吃音と電話
目の前に相手がいない電話は、多くのどもる人にとって、苦手なことのひとつのようです。僕の開設している吃音ホットラインにも、「第一声が出なくて困っている」「会社の名前が言えない」「周りに人がいると電話ができない」など、電話にまつわる相談がよくあります。吃音相談会などでも、困っていることのベスト3の中に、電話が出てきます。携帯電話が普及したので、昔と比べると、苦手意識はずいぶん下がったようですが、それでも、吃音と電話は、どもる人の永遠のテーマです。しばらく、吃音と電話について、考えてみます。第一回の今日は、出産という大事な場面で、電話と格闘した人の話です。
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2020/7/25
目の前に相手がいない電話は、多くのどもる人にとって、苦手なことのひとつのようです。僕の開設している吃音ホットラインにも、「第一声が出なくて困っている」「会社の名前が言えない」「周りに人がいると電話ができない」など、電話にまつわる相談がよくあります。吃音相談会などでも、困っていることのベスト3の中に、電話が出てきます。携帯電話が普及したので、昔と比べると、苦手意識はずいぶん下がったようですが、それでも、吃音と電話は、どもる人の永遠のテーマです。しばらく、吃音と電話について、考えてみます。第一回の今日は、出産という大事な場面で、電話と格闘した人の話です。
一大イベント
「もうすぐ生まれますよ!」
妻がとても苦しそうになってきた。その妻が陣痛の辛さに耐えながら、僕をベッドに呼び、「生まれたら、実家の両親にすぐに電話してね」と言った。陣痛の妻に付き添って昨晩からあまり寝ておらず、特に僕の頭は、もうろうとしていた。しかし、妻のさっきの一言で、急に頭がさえてきた。それは、この出産という一大イベントを、夫として感動的に迎える心構えのためではなく、ただ自分のどもりがそれ以上に気がかりだったためだ。妻の両親に電話をする。それはなんでもない事であり、どもりでない人であれば、この一大イベントの時には、感動を共有できる夫としての大切な役割であろう。しかし、この時の僕は、そんなことよりも、ただただ自分が、どもらずに電話をし、うまく妻の両親に伝えることができるかどうかが、一番気がかりだったのである。
なんとも自己中心的な、なんとも頼りない、なんとも心の小さな男であろうか。
「だんなさん! もう頭が出てきましたよ!」
そんな助産婦さんの言葉なんて、どうでも良かった。ただ、もうすぐ電話をしなければならない、という嫌悪感のみが僕の頭でうずまいていた。
「だんなさん!おめでとうございます!元気な女の子です!」
喜びとは逆に、「ついに来た! 電話をしなきゃ!」という思いで頭は真っ白。体はコチコチ。妻にお疲れの声をかける間もなく、疲れ果てた妻に目もくれず、一目散に電話に走った。心の中では、「くそう! 電話かけたくない!」と叫んでいた。
それからの記憶はない。上手く伝えられたのかも、覚えていない。ただ、電話越しで、ありがとう! ありがとう!と妻の父が喜んでいた。
一大イベントである、妻の出産を終えての感想は、どもりで緊張して困った、ということだ。今でも、妻に悪いと思っている。
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2020/7/25