水上勉さんとの出会い

 毎日書いてきました「ほぼ日刊 吃音伊藤伸二新聞」ですが、残念ながら昨日は時間がありませんでした。信州、鹿教湯温泉を中心にした旅の最終日で、しなければならないことが多くて、お休みしたのは、この2か月ほどで初めてです。毎日続けるというのは、いつかは途切れるので、これで少し気が楽になりました。今回の旅で思いがけずに出会った「無言館」の館長・窪島誠一郎さんが、小説家の水上勉さんの息子さんだったことを知ったことで、今回、僕たちと水上勉さんとの出会いを紹介します。
 
 小春日和に恵まれた1987年11月下旬の連休、私たちは、かねてからの念願であった水上勉さんの若州一滴文庫を訪れた。実在のどもる青年僧を主人公にした小説、『五番町夕霧楼』『金閣炎上』を書いた水上勉さんに、私たちのグループで話をして欲しいと何度も依頼したが、日程が合わずに実現していない。若州一滴文庫
 「若狭まで来ませんか。お会いし、お話しましょう」のことばを頼りに若狭へと向かった。手紙は前もって出していたものの、「会いましょう」との確約の返事をいただかないままに、とりあえず出かけた。だから、お会いできるとは思っていなかった。
 紅葉の美しい山を背にして建つ一滴文庫。その門をくぐり、少し歩くと茅舎の農家が見えてくる。やわらかい陽射しのあたる縁台にすわって、長靴をはいた柔和な顔のお百姓さんらしい人がひなたぼっこをしている。
 「あっ! 水上さんだ」(思わずかけよって話しかけた)
 「成人のどもる人のセルフヘルプグループですが、覚えていて下さいますか」
 「覚えていますよ。何度も呼んでいただきながら行けなくてすみませんね」
 一滴文庫のロビーのような所で、水上さんを囲んでしばらく語り合った。
 「この絵を見て下さい。素晴らしい絵でしょう。これはみんな小学校の子がここに来て描いたんですよ。こんな色、大人にはなかなか出せませんよ……」
 今、若狭でしている仕事、つき合っている子どもたちのこと、公害のこと、教育のことなど、淡々と、しかし熱っぽく語られた。話が少しとぎれたところで、以前からお聞きしたかったことを質問した。水上さんご自身の、障害のあるお子さんについて書かれている本にあった「障害を抱く」ということばの底に流れるものに共感したので、ぜひ聞いてみたかったのである。
 「水上さんは以前、『生きる日々』という本の中で「障害を抱く」ということを書いておられましたが、そのことについてもう少し詳しくお話していただけませんか」
 私たちの質問に水上さんはこう話して下さった。

 『障害を背負っていたら重かったけれども、障害を抱く、抱くとそれが楽になるというふうなことを私は書きました。それは、それを背負ったんじゃしんどいから抱いただけだよ。背負うということには逃げる姿勢がある。背負ってしまうと、子どもの表情が見えんもんな。そういう感じ、あるな。カンガルーは子どもをいつも抱いているから、子どもが風邪ひいたのがすぐ分かるんじゃないかな。動物というのはそういうもんなんだ。人間だって子どもがぶっ倒れたときにはまず抱くやないか。まず背負う人はいない。必ず抱くものなんだ。それを忘れて障害の子でもやっぱり背負ってしまう。そういう運命を背負ってしまう感じの受け止め方というのは、抽象的にはあるよね。そうじゃなくて、背負ってしまったのを、抱き直さないと、そうせんと一緒に生きていけんようなところありますよ。僕はそう思いますね。だから、一緒になって何かを作るということですね。
 あなたたちも、どもりという障害を持ってて、それを背負ってたらとても大きな問題だと思う。けれども、抱くと、どもりを持ったままで生きていけるのじゃないかな。私の書いた『金閣炎上』のモデルになった林養賢は、どもったものだからみんなに馬鹿にされて、それで屈折していくんですね。それが金閣寺を崩壊させる大きな動機の一つになるんですけれども、彼はかわいそうに肺病で獄死しました。彼はどもりを抱くところまでいかなかったですね。実際、彼に会えば、私は彼に「どもりをいつも対立的に考えるな」と言うただろうと思うのですよ。
 私も歩けない子が生まれたとき、女房と二人でアホなこと考えた。こうやなかったらとか、いつかみな対立的に考えるんだよ。だから抱けん。生まれてしまったのに、そんなこと考えてもしようがない。背負っているのはまだ対立的だな。対立的じゃなくて同化しちゃうわけよ。そういうことは言えるよな。だから抱くと障害でなくなっちゃうんだよ。一緒に生きるということになってしまうんだよ。転換するってことかな。
 あんたたちは、ことばに障害持ってて、こういう私は第三者で流暢に口が回るから勝手なことを言うというところがあるけれども、それはそれぞれの生き方なんだ。障害は腹に抱け。背負っていちゃ、いつまでも病人だ』
                           1987・12・20


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2020/7/23