仲間 このすばらしいもの
故郷・三重県津市に小さな旅に出かけたことから、同窓会の話になり、ずいぶん前のブログを再掲載しました。そこにも出てきましたが、『新・吃音者宣言』(芳賀書店)の書評が『週刊エコノミスト』(2000年2月29日・毎日新聞社)に掲載されました。教育評論家の芹沢俊介さんが書いて下さったもので、週刊誌が発売されるまで知りませんでした。僕の思想の本質を正確にとらえた、とてもありがたい書評でした。
この週刊誌がきっかけで、同級生がFAXを送ってくれたことが、「何もいいことのなかった」故郷の津市とつながるきっかけでした。そのいきさつを書いた「スタタリング・ナウ」(2000.4.15 NO.68)の一面記事を紹介します。芹沢さんの書評は、明日、紹介します。
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2020/6/27
故郷・三重県津市に小さな旅に出かけたことから、同窓会の話になり、ずいぶん前のブログを再掲載しました。そこにも出てきましたが、『新・吃音者宣言』(芳賀書店)の書評が『週刊エコノミスト』(2000年2月29日・毎日新聞社)に掲載されました。教育評論家の芹沢俊介さんが書いて下さったもので、週刊誌が発売されるまで知りませんでした。僕の思想の本質を正確にとらえた、とてもありがたい書評でした。
この週刊誌がきっかけで、同級生がFAXを送ってくれたことが、「何もいいことのなかった」故郷の津市とつながるきっかけでした。そのいきさつを書いた「スタタリング・ナウ」(2000.4.15 NO.68)の一面記事を紹介します。芹沢さんの書評は、明日、紹介します。
仲間この素晴らしいもの
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二
「小、中、高校と一緒だった分部です。先週、中井君から連絡が入り、エコノミスト誌に出ていた「新・吃音者宣言」の書評を拝見しました。早速、中根、行方、尾崎、守田・…、石田先生にファックスを入れ、君の出版を紹介させていただきました。中根君は、新聞などで見て、貴兄のこれまでの活躍、出版もよく知っていました。津市立図書館に「吃音と上手につきあうための吃音相談室」がありましたので、昨日借りてきました。妻と一緒に読ませていただきます。今後の一層のご活躍祈念します」
先だって、一通のファックスが入った。一瞬、信じられない思いだったが、温かい幸せな気分が胸一杯にひろがった。直ぐに彼に電話をしてみた。
「シンジの本には孤独だったと書いてあるが、お前とは高山神社で遊んだぞ。津高の教頭になっている中条もシンジのこと覚えていたぞ」
吃音に悩み始めた小学校の2年生の秋から、ひとりの友達もなく、21歳まで、ひとりぼっちで生きてきたと信じ込んでいた。孤独で生きていた頃は、級友は誰も僕の存在など意識はしていないだろう。完全に忘れられた存在だと思っていた。
このファックスと電話が一気に僕をその頃へと引き戻してくれた。しかし、名前を挙げてくれた10人の仲間。分部君からすると僕をよく知っているだろうと思った人達だろうが、僕が思い出せたのはわずかに二人だった。中学、高校の卒業アルバムを出して、名前をたよりに探したが、全く思い出せない。仲間と遊んだこと、何かをしたことが、すっぽりと記憶から抜け落ちている。苦しく、悲しかったことだけが、鮮明に思い出されて、記憶を強化してきたのだろうか。
確かに彼たちの遊ぶ場所にはいたのかもしれないが、主体的に遊んでいたわけではなかったのだろう。常に僕は人の後で目立つ事なく、そっとついていっていたのだろう。楽しかった記憶はない。
数日後に、故郷の津市で、急遽ミニ同窓会がもたれたようだ。僕の本『吃音と上手につきあうための吃音相談室』(芳賀書店)を酒のさかなに飲んだと、再び分部君から僕が大分県での湯布院のエンカターグループにいっている間に電話が入った。
僕の逃げの人生のはじまりとして鮮明に記憶している高校一年の初めに卓球部をやめるエピソードにある、片思いの彼女は一体誰なのか、そのあてっこで盛り上がったのだと言う。みんなが一度シンジに会いたいど言っていると、その電話は終わったのだった。
誰も、僕のことなど気にかけていてくれないし、覚えている人などいないと思っていた。それが一冊の本の出版のおかげで、僕は決して忘れられた存在ではなかったのだと知った。どもりを否定し、自分をも否定して生きていたから、仲間の気持ちも、思いも、僕には触れることはなかったのだ。
今年の1月3日。島根県の玉造温泉に長期に滞在していた僕は、34年振りに初恋の人に会った。34年の年月は一瞬のうちに縮まり、次から次へと話題はひろがり、6時間以上も話し込んだ。21歳の僕は、今とは違ってかなりひどく吃っていた、それでも一所懸命話していたと彼女は言う。
中学、高校時代の仲間からの思いがけない連絡。
34年振りの初恋の人との再会。20世紀の最後の年に、奇跡のように起こったふたっの出来事。吃音を忌み嫌い、吃音を否定してきた暗い闇の人生を全て照らし出せたのは、新しく吃音とっきあう歩みを大きく踏み出した象徴でもあるだろう。
日本吃音臨床研究会の中で、共に活動する仲間たち。大阪や神戸の吃音教室の仲間たち。吃音親子サマーキャンプにスタッフとして集まって下さる仲間たち。たくさんの印刷物の発送に休日に集まってくれる仲間たち。
さらに、私たちの活動に共感し、支えて下さる幅広い多くの人々。多くの仲間がいる。
吃音が縁で出会う仲間を大切にしていきたい。
「スタタリング・ナウ」(2000.4.15 NO.68)
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2020/6/27