真継伸彦さん 自分の消極性を克服するための講演活動
大阪吃音教室では、金鶴泳さんに続いて真継伸彦さんの話になります。
金鶴泳さんも真継伸彦さんも、大阪吃音教室の講座だけでは説明しきれないので、今回は、とりあえず大阪吃音教室で話されたことだけにしておき、後日、金鶴泳さん、真継伸彦さんについては、詳しい紹介をしたいと思います。では、前回の続きです。
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2020/06/19
大阪吃音教室では、金鶴泳さんに続いて真継伸彦さんの話になります。
金鶴泳さんも真継伸彦さんも、大阪吃音教室の講座だけでは説明しきれないので、今回は、とりあえず大阪吃音教室で話されたことだけにしておき、後日、金鶴泳さん、真継伸彦さんについては、詳しい紹介をしたいと思います。では、前回の続きです。
【大阪吃音教室だより】
真継伸彦さん知ってますか。この人も有名な作家ですが、彼も吃音を嫌悪し、ものすごく悩んだ人なんです。自伝的な小説でこう書いています。
『僕が吃音に代表される消極性、自分には人並みのことができないという不安につきまとわれ、先天的な消極性と極度の羞恥とは彼の性格を作っている。彼は幼少時から自分を持ちきれないことがしばしばだった。そして心のあり方を変えたいと何度も思った。そして、周囲の迷惑を顧みずにその小心を変えるために消極性を変えるためにかなり無鉄砲な行為を繰り返した。酒を飲んで酔って酔ったふりをしながら人にくってかかったりということをしてきた』
しかし、なかなか消極性は変わらない。そこで、彼がしたのは、自分の吃音を公表することでした。そうしないといつまでたっても自分の人生を生きることはできない。そのきっかけとなったことは、
『非情になること、つまり感情を無にすることによって、彼は些々たる感情となってあらわれ自分を翻弄する自分の本質、すなわち翼々たる小心を変えることができるのではないかと期待したのである』
自分の消極性を克服するために彼がやったことは、講演です。
『大学卒業後に関心を抱き始めた仏教などの専門的な話題のほかに信条である反戦主義を説くことを義務と定めていた。彼は嫌がる自分を無理やりに公衆の面前に引き出し、強引に話させるという荒治療によって、吃音を治していこうとした。話そうとして話せぬ苦悩のさまが画面に映し出されるテレビの出演は、講演よりはるかにおそろしかったが、彼はあえて引き受けた。荒治療は百回をとうに越しただろう。しかし吃音は治るどころか放っておけばますます悪化する一方であると思われた。講演に失敗して失望し聴衆の気配を背後に感じながら演壇をひきさがるとき、彼はとんだデモステネスだと自嘲することがあった。彼はこの古代ギリシャの雄弁家の名を吃音矯正学院に通い始めた小学三年生の頃から知っていた。吃音矯正学院の教科書にはどもる子どもたちを励ますために、毎日のように海辺へおもむき、小石を口にふくんで演説の練習を続けて吃音を克服したデモステネスの逸話がのっていた。彼はそれ以上にデモステネスの伝記を知らず、知りたくもなかった。が、この雄弁家の内心には同胞に語るべきこと、告知するべき独自のことが満ちあふれていたに違いないと思われた。ぜひとも語らなければならないという内からの衝迫が、吃音をも克服させたのだろう』
『林檎の下の顔』 真継伸彦 筑摩書房
この真継伸彦さんの、デモステネスに対する見解は私も同じです。要するに、小石をはさんで発声練習をしたよりも、国民に聴衆に語るべき内容、ことばが彼にとっていっぱいあったから雄弁家になれたのであって、そのトレーニング方法だけがクローズアップされていることに、どうかな、そうではないのではと、真継伸彦さんは思った。だから、自分も内心にぜひとも語らなければならないことがあるだろうかということを問いかけていきます。真継さんは、親鸞の研究者としても知られている人ですが、作家として、仏教学者として活躍しています。
NPO法人大阪スタタリングプロジェクト機関紙「新生」1996年12月号
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2020/06/19