反戦少年が観た映画「彼らは生きていた」
友人のすすめで、今日、宝塚市の映画館、シネ・ピピア2で、「彼らは生きていた」を観てきました。すごい映画でした。僕は映画は大好きですが、基本的に暴力、ハードアクションは好きではなく、戦争映画もほとんど観ません。しかし、ヒットラー関係の映画はよく見るので、戦争映画は観ないのではなく、迫力ある戦闘シーンを売り物にした戦争映画は観ない、観たくないということなのでしょう。
僕は、戦争そのものが絶対に許せないのです。僕の最初の戦争映画体験は、小学1年生か、小学校入学前かに観た「きけわだつみの声」でした。そのときの強烈な印象が、僕をそのときから現在にいたる、反戦少年にしたのです。
戦闘シーンを売り物にしない、いわゆる「反戦映画」は観ています。今回の「彼らは生きている」は子どもの頃観た「きけわだつみの声」に匹敵するものでした。戦場でどのようなことが起こり、そのとき兵士はどんな気持ちと考えをもったのか、これまでの映画では描ききれなかったものを、退役軍人のインタビューの音源をナレーションのような形で構成し、映像と音声の合成で、今、撮影したのかと思える臨場感ある、ドキュメンタリー映画として表現していました。映像とインタビューをナレーターが進行する通常のドキュメンタリー映画とは全く違うものになっています。全編を通して、退役軍人のひとりひとりの言葉が、戦争のもつ本質をえぐり出していきます。フィクションの役者のセリフでは、絶対に表現できないリアリティーがありました。迫力ある戦闘シーンが売り物の劇場映画では絶対に表現できないリアリティーです。
今の世界は紛争が絶えず、日本も戦争と無縁ではなくなりかねない現代、若い人たちにこそ、この映画を観て欲しいと思います。映画の冒頭、15歳の少年が兵士となることへの思いを語るところは、胸に迫ります。次第に激しくなる戦場で、若い兵士たちが母の名を叫び倒れるように死んでいきます。戦死した仲間を埋葬するシーンは、新型コロナウイルスで亡くなった人を埋葬するシーンが重なりました。
第一次世界大戦の様子が、生々しくスクリーンに蘇ります。退役軍人の言葉をもう一度確認するために、もう一度観なければならない映画になりました。
映画紹介のサイトの文章と、1995年に書いた「反戦への思い」という文章を紹介します。大阪吃音教室の「自分史を書く」の講座の中で書いたものです。

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2020/6/16

僕は、戦争そのものが絶対に許せないのです。僕の最初の戦争映画体験は、小学1年生か、小学校入学前かに観た「きけわだつみの声」でした。そのときの強烈な印象が、僕をそのときから現在にいたる、反戦少年にしたのです。
戦闘シーンを売り物にしない、いわゆる「反戦映画」は観ています。今回の「彼らは生きている」は子どもの頃観た「きけわだつみの声」に匹敵するものでした。戦場でどのようなことが起こり、そのとき兵士はどんな気持ちと考えをもったのか、これまでの映画では描ききれなかったものを、退役軍人のインタビューの音源をナレーションのような形で構成し、映像と音声の合成で、今、撮影したのかと思える臨場感ある、ドキュメンタリー映画として表現していました。映像とインタビューをナレーターが進行する通常のドキュメンタリー映画とは全く違うものになっています。全編を通して、退役軍人のひとりひとりの言葉が、戦争のもつ本質をえぐり出していきます。フィクションの役者のセリフでは、絶対に表現できないリアリティーがありました。迫力ある戦闘シーンが売り物の劇場映画では絶対に表現できないリアリティーです。
今の世界は紛争が絶えず、日本も戦争と無縁ではなくなりかねない現代、若い人たちにこそ、この映画を観て欲しいと思います。映画の冒頭、15歳の少年が兵士となることへの思いを語るところは、胸に迫ります。次第に激しくなる戦場で、若い兵士たちが母の名を叫び倒れるように死んでいきます。戦死した仲間を埋葬するシーンは、新型コロナウイルスで亡くなった人を埋葬するシーンが重なりました。
第一次世界大戦の様子が、生々しくスクリーンに蘇ります。退役軍人の言葉をもう一度確認するために、もう一度観なければならない映画になりました。
映画紹介のサイトの文章と、1995年に書いた「反戦への思い」という文章を紹介します。大阪吃音教室の「自分史を書く」の講座の中で書いたものです。

「イギリスの帝国戦争博物館に保管されていた第一次世界大戦の記録映像を『ロード・オブ・ザ・リング』ピーター・ジャクソン監督が再構築し、ドキュメンタリー映画として蘇らせた。2200時間にも及ぶモノクロの映像を修復・着色し、バラバラなスピードだった映像を1秒24フレームに統一させ、リアルさを追求した。撮影当時はセリフを録音する技術がなかったため、イギリスBBCが保存していた600時間もの退役軍人のインタビュー音源をナレーションの形で構成し、映像と音声を合成した。また、足音や爆撃音など、効果音を加え、一部の兵士の声は新たにキャストを起用し、読唇術を用いて当時のなまりのある話し方まで再現した。戦場での兵士の戦闘だけでなく、休憩時や食事の風景など日常の様子も盛り込み、これまで誰も見たことのなかった鮮やかでリアルな戦争記録映像を再構築した」
反戦への思い
伊藤伸二
♪春の小川はさらさらいくよ…♪
この歌を聞くと、今でも胸がキュンとなって独特の思いが一瞬浮かぶ。
春を待ち、春が来たよろこびの思いではない。
「戦争は嫌だ! 絶対に嫌だ! どんな戦争にも僕は絶対に反対する。刑務所に入ろうとも僕は絶対に戦争には行かない」
この童謡を聞く度に、口ずさむ度に私はこう自分に叫んでいる。この童謡は、私の反戦思想の原点なのだ。
小学校一年生の時、学校なのか、役場だったのか、映画館のない田舎で観た映画「きけわだつみの声」は私に大きな影響を与えた。
小学校一年生の時だから、ストーリーがそれほど分かっているとは思えない。しかし、山中で上官が部下の口の中に、自分の長靴をねじこんで、気絶するまでなぐり倒していたシーン。戦争に行った父親が無事に帰るのを待ちわびながら、小さい子どもが二人手をつないでこの童謡を歌いながら、小川にかかる小さな橋を渡っているシーンは今でも私のスクリーンから離れない。
人間を人間として扱わない軍隊の上官への怒り、家族を引き裂く戦争への怒り。この映画ひとつで私は戦争絶対反対論者となった。
『憲法第九条遵守』『非武装中立』という政策だけで、私は長い間日本社会党を一貫して応援してきた。しかし、その社会党はどんどん変わっていく。「きけわだつみの声」の映画を原点とした私の変わらぬ反戦思想を今後どういう形で表現していけばよいか、立ち止まり、困っている。
映画「きけわだつみの声」が敗戦五十年の今年、再映画化された。まだ観ていないが必ず観るつもりだ。上官が靴を口にねじこんでなぐりつけたシーン。春の小川の歌を歌っているシーンははたしてあるだろうか。四十年前の恋人に出会えるような気分だ。
この映画を観て、若い人たちが〈戦争は絶対にいけない〉という思いを持ってくれるだろうか。ぜひ持ってほしいと思う。映画はそれだけ大きな影響を若い人たちに与えると思うからだ。アメリカ映画、たとえば「プラトーン」「7月4日に生まれて」などのベトナム戦争の映画は、日本の若い人にも大きな影響を与えていると思う。私が幼い頃に観た映画にいまだに影響されているように、阪神大震災にいち早くボランティアとして動いた若い人たちも、映画や小説などで、いろんな人の人生に出会った人たちなのではないかと勝手に思い込んでいる。映画の力は大きい。
(1995.6.23.「書くトレーニング」より)
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2020/6/16