どもりを個性に 桂文福オリジナルの落語家人生  (6)

 應典院での僕の桂文福さんへのインタビューも、テンポよく進み、佳境に入っていきます。吃音とお酒の話が出て来ますが、お酒が入ると気分が大きくなるのか、なめらかになる人がいます。一方、お酒が入るとますますしゃべれなくなる人がいます。これが吃音のおもしろいところです。文福さんは、お酒を飲むとすごくどもります。應典院の催しの後、僕たちの仲間と飲みに行きました。飲むほどに、酔うほどに、僕たちの仲間の中には、流暢になる人がいたのですが、反対に文福さんは、ますます「吃音」が快調になっていきます。7人ほどいたどもる人の中で、際だってどもっていたのが文福さんでした。その人が、話すことを職業にしている、有名な落語家だとは。とてもおもしろい経験でした。
 では、前回の続きです。

 
どもりを恨んだこと

文福 これもおもろい話やけど、大横綱の北の湖関。あの人は強すぎて人気ないと言われたけど、ハートのあったかい人で、大好きな人です。北の湖関に一回会いたいなあと、北の海関の稽古を見終わって、喫茶店に行ったら北の湖関がいた。その時、ABCの乾アナウンサーが「文福ちゃん、わしな、北の湖関の後援会の人、よう知ってるんや。こんど飲みに行くけど、一緒にけえへんか。好きやろ」「お願いします」で飲む席に行ったんです。
 いきなり「横綱」と声をかけられなくて、一緒に来られていた闘竜関と、「文福さん、まあ一杯飲もう」「俺、相撲好きやねん。闘竜も好きやねん」「なんや、あんた。口がうまいな」「ほんまでっせ、加古川出身で、宝殿中学校出て、本名、田中賢二やろ」「わあ、よう知ってくれてる」「わあ、乾杯」と、闘竜関とは盛り上がってわーと飲んだんです。
 「文福ちゃん、横綱の横へ行こ」という頃には、こちらはもうべろべろです。緊張してるのとべろべろで。僕は横綱と同じ28年生まれやから、28が誇りですと言おうとしたんやけど、「ににににににぱちぱちぱち・・・」。そしたら横綱が「師匠、もうちょっと落ち着いて」、で話にならなかった。
 情けのうて、情けのうて。何も言えなくて、帰ってから、ほんまに落ち込んだ。
 「今日ほどどもりを恨んだことはない。せっかく北の湖関と出会ったのに、どもって何も喋れんかった」と嫁さんに話した。次の日、乾アナウンサーに会ったら、「よかった。横綱、大喜びやったで」「なんででっか」「河内音頭やってくれて、音頭で横綱の生い立ちをやって、横綱の奥さんの名前もおりこんでやってくれて」と言んです。僕、酔うてたから、無意識に河内音頭をやったんですね。北の湖関の生い立ちをざあっとやって、そういえば途中でなんか手拍子でやったのを少しは覚えているけど、べろべろに、酔うてるから、横綱と飲むなんてめったにないことやから、何も覚えてない。横綱が喜んでくれたことを知ったから、朝、駅前でお酒買って稽古場へ行って、「横綱、昨日はどうも」とお礼に行こうと思ったら、また、闘竜関が、「よう来てくれた」と出てきてくれたけど、また僕の方は「あわあわあわあわ・・・」ですわ。(爆笑)

 ここで河内音頭を『本日、お越しの皆様へ〜 日本吃音臨床研究会 その名、会長の伊藤さん〜、皆様方の気持ちがひとつに 今日は楽しい集会で〜笑う門には福来る 笑う門には文福で〜、皆様方もがんばろう〜みかんはみかんで、柿は柿〜メロンはメロン トマトはトマト それぞれに味があるからうれしいんだ〜みんなの味を大切に 仲良く元気に 歩んでいこう〜』

 こんなんです。いろいろありますが。極度の緊張とかね、小学校、中学校のときもね、これはもう誰のせいとも言えませんしね。伊藤さん、どもりになったのは、誰かのせいだというのはありますか。

伊藤 親父がどもりでしたね。でも、そのせいだと思ったことはありません。

文福 身内とかご兄弟とかは。

伊藤 兄弟は誰もどもりません。僕だけです。

文福 うちも兄弟どもりませんしね。お袋はばーっと喋るし、親父は、極端なシャイでものあんまり言わん。そのシャイなところが似たのかな。ほんで、ぐわーと思うところがおかんに似たのかな。両方とってますんやけどね。どもるというのは周りになかった。ただ、昔、砂塚秀夫さんの主演で「俺はども安」という番組があった。

伊藤 あれ、僕も見ていましたが、嫌でしたね。「どどっとどもって人を斬る!!」という初めのセリフが。

文福 「ててててまえ、しししし生国・・・・俺はども安! チャチャチャーン」。当時は、テレビであれができたんやね。今は、どもりとかめくらとかちんばとか放送コードにひっかかるから。古典落語の中にはそんなん多いんです。おしとかいうことばもね。そんなんは、僕らはせんとこと思って。何もわざわざそんな話をせんでも他になんぼでもいろんな話があるのにね、あえて、「これは放送ではできへんから、今日の寄席で、そうっとやっとこうやんか」。僕は、そうっとやるという根性が嫌いなんです。ここだけはええというのはちゃうでと。あえてこんなんやらんでもええ。目の不自由な人の話をやって、最後まで聞いたらええ話というのは、あるんです。景清という、戦国時代の武将が自分の目が見えると義経を目の仇にするというので、目をくりぬいて、清水さんに奉納したという逸話があったんです。あるとき目の不自由な職人が清水さんに行って、景清公の目を観音さんから与えてもらって、目があいて、という落語があるんです。最後まで聞いてると、観音様のおかげで目があいて、という目がないとこから目ができて、誠におめでたいお話でした。ハッピーエンドに終わる話なんやけど、途中ではえらい目に合うシーンがないと話にならん。「どめくらが!」とか、そんなシーンがあってこんちくしょうと思う、そんな場面があるばっかりに放送ではできません。でも、全部聞いたらそれなりにええ話なんやけど、落語などには人の欠陥を言うのが多いんです。古典とか文化とか伝統とかいうのを隠れみのにしてはびこってる場合が多い。あえてせんでもええんちゃうかと僕らは思ってる。どもりを扱った小咄も、あるんですよ。

伊藤 あるんですか。

文福 あるんですよ。どもりの道具屋と言うてね。おもしろいですよ。「道具屋、のこぎり見せてくれ」と言うときに、「おおおおい、どどどど道具屋、ののののののこぎり、みみみみみ見せてくれ」「ままままま真似すな」というおもしろいんですけど。受けるけどね、僕自身もやっぱりやるの嫌ですね。
             
 どもってて笑える話

文福 どもってて笑えるのは、桂文珍さんから聞いた話にこんなんがあります。文珍さんが梅田から阪急に乗った時に、たまたま同級生に会った。その人もどもるらしい。「おい、お前、久しぶり」そしたら、文珍さんは有名になってるし、よけいに「ううう・・」となった。「お前、どこに住んでるねん」と言われても声が出ない。「どこ、住んでるねん。遊びに行くわ。俺、武庫荘、武庫荘。お前、どこや?」「ううううっ・・・」。車掌がその時、「十三、十三」。「ここや!」。ずっと一駅の間、十三が出えへんかったんやね。そこに助け舟の「十三、十三」。笑えるけど、どもりの僕らにはちょっと悲しいね。
 そうかと思うと、もうひとつの話。阪急で梅田から京都へ行くとき。もう電車のドアがもう閉まるというときに、「たばこ買うて来い。ピースやピース」と言われた人が、ピースのピが出ない。売店で、力んで大きな声で「ピピピピ、ピー」と言うたら、電車が出ていった。それも聞いたとき、作り話やろけれど、笑った。ピピピとどもったのはほんまの話やろけど、後は芸人がつくったんでしょうが、よう出来てるでしょ。
 そんな話はようけあるんですわ。今、みなさん、笑ってるけど、ほんまに笑えない人がいたらあかん。だから、僕らがやっている「真の笑いは平等の心から」というモットーに反するわね。
            「スタタリング・ナウ」2001年2月17日、NO.78


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2020/6/13