どもりを個性に 桂文福オリジナルの落語家人生  (4)

 桂文福さんは、以前から、よく「人権講演会」の講師として話をされていました。「であい、ふれあい、わきあいあい」というのぼりを立てて、全国を回って講演活動をされています。僕たちと出会ってからは、自分の吃音の話もするようになったそうです。
文福人権講演DVD 「人権」は、文福さんが大切にされているテーマです。その人権講演会のドキュメンタリーを撮った田中幸雄監督からいただいた文福さんのDVDが僕の家にあります。タイトルは、「桂文福 ふれあい人権噺 真の笑いは平等な心から」です。若い文福さんが、落語や河内音頭を通して、全国を回って聞いた人権にまつわるいい話をされています。そのDVDに登場する露の新次さんと文福さんとの対談、「落語家から見た笑いと差別」も、紹介したいなあと思っています。
 田中幸雄監督とは、部落差別をテーマにした映画「ラストから始まる」に吃音の中学生が登場するが、どう描けばいいか相談にのってもらえないかと、桂文福さんの紹介で知り合いました。その話も紹介できたらいいなあと、どんどん思いは広がっていきます。
 そんなことを思いながら、今日は、コモンズフェスタでの話の続きです。

 
全盲の噺家

文福 話、変わりますが、この應典院の本堂ホールの舞台は2回目なんです。「笑福亭伯鶴の会」で出してもろたんです。全盲の噺家です。落語は、目をつぶって聞いている方が状況が浮かんできたり、想像が広がったりして、結構便利な芸なんです。例えば、「わー、ここは生魂の境内か?こんな祭りやってるのか、あっ、タコ焼きやがあるな、おっ向こうに風船売ってるな」、と広がる。ところが、実際芝居で舞台でしようと思ったら、その全部そろえるわけにいかんし、セリフで言うことしか観客は分からへん。やっぱり視覚に訴えるのは限界がある。落語はどないにでもなる。
 伯鶴君は目が見えないけれど自分の世界から絵ができています。えらいんです。松鶴師匠も太っ腹やね。大抵は、目の不自由な者は落語なんか無理無理と断ろうとしたんやけど、松鶴師匠も足が不自由で、落語家になった人やから引き受けたんでしょうね。
 「俺は、ほんまは歌舞伎や芝居が好きやったが、足が悪いから芝居は無理や。そやから、俺は落語家になったんや。だから、何かあったからといって諦めるということに対してひっかかっていたんや。お前は目が悪いからといって諦めるのはあまりにもかわいそうや、弟子にしたろ」全盲の落語家は珍しいから入門当時結構テレビでも取り上げられた。そのとき、松鶴師匠はえらいと思いました。
 「おい、伯鶴、お前、目が見えないからといって、これを利用したらあかんぞ。お前はたまたま今テレビに出てるけど、たまたま目が見えないから取り上げられただけであって、お前の力と違うで。こんなんが落語の修行風景やなんて、ただ、お前がたまたま目の見えない子やから取り上げてるけど、それを利用して売れてるなんて思ったら承知せえへんぞ」 と、ぽーんと言われた。だから、伯鶴もよう分かってて、彼は目が見えないなんて思えへんくらい、普通なんです。例えば、「伯鶴師匠は目が不自由ですね」「不自由ちがいます、不便なだけですわ」「ハンディ違います。これは個性ですわ」とかね。彼は、ホノルルマラソンも走りに行くし、「昨日見た映画、よかった」と映画見に行くし、山にも登る。
ライトハウスにも行って、ボランティアの人に対面朗読してもらう。伯鶴さんは新聞読むためにだけやったら嫌やと。対面朗読してくれた女の子に、ちょっと一緒にお茶行けへんかって誘う。そんなのが彼は自然なんです。
 落語が終わって一杯飲んだ時です。遅くなってタクシーで帰らなあかんことになって、「兄さん、ちょっとうちへ先に回ってから後で兄さんとこへ」と一緒に乗った。車が動き出したとたんに、運転手さんに、そこ行ったら富士銀行、左に行ったら居酒屋があってと指示する。彼はその飲み屋から自分の家までの道を全部覚えてるわけですね。5分走ったらどこへ行くとかね。ところが、運転手さんがそれを真剣に聞いてなかったんで、途中で分からんようになった。ほんで僕が怒って、「ちゃんと道を言っているのにどう思ってるねん」と。運転手さんもその時初めて目の見えない人やったんやと気づいて、「すんませんでした」と言って。もういっぺん現場へ戻らないと、帰れない。
 彼は目が不自由やから、確かに使いにくいですわな。本人は、「ふるさと寄席」連れて行ってやーと言うんですけど、「伯鶴さんって目の不自由な人でがんばってますねん」と前もって言うて、講演やってもらうことはあっても、普通の席で、急に、黒いサングラスかけて出ていくと、ちょっとお客さんには違和感がある。ちょっと気を使って使いにくいことがある。だから、大きな劇場からお声がかからないことがある。ところが、松鶴師匠が亡くなって13回忌・追善興業のとき、一門が日替わりで出演し、伯鶴さんもとうとうやっと浪花座に出ました。
 「伯鶴師匠、やっと大きな舞台に出た」と見に行った知り合いの人がびっくりした。大きなところやから、まずチャカチャンチャンと鳴って出ていって舞台にちゃんと座れるかが心配です。ところが、チャカチャンチャンと鳴って、袖から出て来て、ぴたっと台の上に乗って、落語を一席やってすっと降りてきた。彼は、ちゃんと幕が開く前になんべんも歩いて、歩数を数えてやってたんですね。
 これくらいの角度で回って足を挙げてと、それをみんなが見てる前でやると、いかにもあいつはがんばってるなあと思われるのが嫌で、人が見てないときやから、うんと早い時間に楽屋入りしてきて、そういう努力している。ところが、こんなことがたまにある。前、ある映画館で、伯鶴君と一緒に仕事をしたんです。準備ができたからと喫茶店でお茶を飲んだ。後から聞いたら悪気はないんやけど、他のメンバーが舞台が始まる段になって、「ちょっと、これ低いんちゃうか。お客さん、見にくいで。ちょっと上げよか」と2段ほど上げた。それをスタッフが彼に言うのを忘れたんやね。そしたら、伯鶴さんの出番です。チャカチャンチャン、出たら台の高さが違うから難儀した。ざぶとんを敷く子が、さーっと出てきて、伯鶴さんの手を引いて座らせた。あの時、彼は絶対悔しかったと思う。若い子に手を引いてもらってそんなのをやってもらいたくないのにと悔しかったけど、そういう失敗談がたまにあります。
 彼は、ほんとに目が見えないのは、自分の個性やと言うてる。僕、伯鶴君のそう言うたとき、逆に励まされますね。どもりくらいなんやと思うときある。ただ、障害の大きい小さいに関係なく、そういうふうに頑張っている人がいるからいい。
 車椅子の友達もようけおりますけどね。仕事に行ったら、手話の人がいます。要約筆記の人も。要約筆記って大変やね。しゃべったことをばーっと書いて。僕が講演したとき大変だった。「あわわわわわっ・・・」てなるからね。却ってその人を意識して合わそうとすると、間が狂うしね。
 ある講演に行ったとき、教育委員会の世話人さんが、「今日は手話通訳させてもらうんです」。「ああ、お願いしますわ」。手話ってなんべんもやってるから大体分かってますやんか。ところが、その方が手話通訳の人にこんなことを言う。「君ら、今日は大変やで。今日の師匠、早口やから、手話やるのん大変やで」。もう、ぶちっーですわ。
 「私は舞台はね、ちゃんと喋れまんのやあ!!」先方としては、冗談かなんか知らんけどね。そんなん言われたらええ気しませんわな。楽屋で雑談してるときに、どもってへんでも、早口やと思ったんやろね。「始まったら、ちゃんと喋れまんのや!!」。半分けんかを売ってるみたいやけど。そんなん、ようありますよ。
「スタタリング・ナウ」2001年1月20日、NO.77

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2020/6/11