斉藤道雄さんの最新刊 『治したくない ひがし町診療所の日々』(みすず書房) 2200円+税
桂文福さんのネット配信のことを、昨日、ブログに書きました。文福さんとの出会い、その後のおつき合いはとてもおもしろく、それを紹介するつもりでいたのですが、その前に、斉藤道雄さんが、次の手紙を添えて、ご著書を送って下さいました。

斉藤道雄さんは、元TBSのディレクターで、僕たちの第16回吃音親子サマーキャンプを密着取材して、『報道の魂』というドキュメンタリー番組を作って下さった方です。斉藤さんとも、長いおつき合いになります。
斉藤さんが送って下さったご著書のタイトルは、『治りたくない』です。前のご著書のタイトルは、『治りませんように』でした。
僕は、この「治したくない」のタイトルを見た瞬間、2005年に斉藤さんが密着取材をして下さった、第16回吃音親子サマーキャンプを思い出しました。『報道の魂』の映像では、何人かの子どもたちにインタビューされていましたが、その中に、当時中学1年生の女の子がいました。斉藤さんが「どもっているままでいいの?」と投げかけたとき、彼女は「はい、治らなくていいです。というか、治したくないです」と答えています。
インタビューを受けた高揚感から発せられたことばかもと思いましたが、どもる子どもたちが、短いながらも、どもりながら生きてきた中で考えついた、到達した究極のことばだったんだろうと思いました。言語聴覚士養成の専門学校でよくこのDVDをみせるのですが、その発言には学生たちはみんな驚きます。「治したくない」は、僕が45年前に提起した、「吃音を治す努力の否定」にも通じます。斉藤道雄さんについてはまた紹介しますが、まず、本の裏表紙のことばを紹介します。
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2020/05/23
桂文福さんのネット配信のことを、昨日、ブログに書きました。文福さんとの出会い、その後のおつき合いはとてもおもしろく、それを紹介するつもりでいたのですが、その前に、斉藤道雄さんが、次の手紙を添えて、ご著書を送って下さいました。


「性懲りもなく、また浦河を書きました。
書き終わって、ようやく息がつけるようになった気がします。
もっと広く見渡し、まとめたり解説したり論を唱えたりということを試みるべきだったかもしれません。でもぼくは一介のライターとして過疎の町にとどまりました。全体は見えないけれど人間は見える、そう直感したからです。笑いと思索が、そこでは共存していました。
ひとつ、こころがけたことがあります。
映像を超えるということ。
ビデオや写真を撮り、ミーティングを録音しながら取材をつづけました。映像と音声の迫力にはいつも「かなわないなあ」と思ったものです。けれどそこからが考えどころです。圧倒的な臨場感、なまなましさ、迫りくるものをふたたびことばにしてゆくこと。記録された映像音声をふくみながら、そこから引きさがって人間を浮きあがらせること。それが少しはできたか、どうか。
この本もまた、読者に出会ってはじめて完結します。
ご一読いただければと願っています。
2020年5月 斉藤道雄」
斉藤道雄さんは、元TBSのディレクターで、僕たちの第16回吃音親子サマーキャンプを密着取材して、『報道の魂』というドキュメンタリー番組を作って下さった方です。斉藤さんとも、長いおつき合いになります。
斉藤さんが送って下さったご著書のタイトルは、『治りたくない』です。前のご著書のタイトルは、『治りませんように』でした。
僕は、この「治したくない」のタイトルを見た瞬間、2005年に斉藤さんが密着取材をして下さった、第16回吃音親子サマーキャンプを思い出しました。『報道の魂』の映像では、何人かの子どもたちにインタビューされていましたが、その中に、当時中学1年生の女の子がいました。斉藤さんが「どもっているままでいいの?」と投げかけたとき、彼女は「はい、治らなくていいです。というか、治したくないです」と答えています。
インタビューを受けた高揚感から発せられたことばかもと思いましたが、どもる子どもたちが、短いながらも、どもりながら生きてきた中で考えついた、到達した究極のことばだったんだろうと思いました。言語聴覚士養成の専門学校でよくこのDVDをみせるのですが、その発言には学生たちはみんな驚きます。「治したくない」は、僕が45年前に提起した、「吃音を治す努力の否定」にも通じます。斉藤道雄さんについてはまた紹介しますが、まず、本の裏表紙のことばを紹介します。
北海道、浦河。そこに、精神障害やアルコール依存をかかえる人びとのための小さなクリニックがある。
開設から6年。「ひがし町診療所」がそれまでの精神科の常識をことごとく覆しながら踏み分けてきたのは、薬を使って症状を抑えるといった「いわゆる治すこと」とは別の、まったく新しい道だった。
医療者が患者の上に立って問題を解決しない、病気の話はしない、かわりに自分の弱さを、問題を、きちんと自分のことばで仲間に伝えること。医師や看護師が能力を最大限発揮しない、それによって人が動き出し、場をつくり、その場の空気が、やがて本当の意味での力となってゆく。
障害のある人びとを、精神科病棟のベッドから、医師や看護師のコントロール下から、地域の中に戻すこと。グループホームで生活し、病気の苦労、暮らしの苦労を自分たちの手に取り戻すこと。そのことが、患者の側だけでなく、健常者を、町全体を、そして精神科医療そのものも変えてゆく…
北海道、浦河。べてるの家のその先へ。
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2020/05/23