應典院をめぐる不思議なつながり

 應典院での大阪吃音教室の最後の講座が3月27日に行われたことを、前回書きました。
その應典院とのつながりは、とても不思議なものです。人と人とはこうしてつながっていくのかと、大きな縁を感じます。
應典院入り口
應典院入り口2
 1986年、第一回吃音問題研究国際大会を、僕が大会会長になり、京都で開催しました。世界11か国、400人が集いました。その国際大会で、世界の人々が出会う最初が大事だと、「出会いの広場」を担当してくださったのが九州大学の村山正治さんでした。村山さんの九州久住高原でのベーシック・エンカウンターグループに参加していた僕は、参加して3回目かに、ファシリテーターをしてみないかと誘われました。臨床心理の勉強をしてきたわけではない僕に声をかけて下さったとき、僕がそのような役をしてもいいのかと思ったのですが、セルフヘルプグループの経験があるから大丈夫だと背中を押してもらい、引き受けました。その記念すべき初ファシリテーター体験をしたとき、私と組んでくださったのが、九州大学の高松里さんでした。セルフヘルプグループを研究していた高松さんから、大阪セルフヘルプ支援センターを紹介してもらいました。早速、そこに参加し、そのメンバーと、セルフヘルプグループについて研修をしたり、合宿をしたりしました。そのメンバーの中に、読売新聞記者の森川明義さんがいました。森川さんは、私のセルフヘルプグループで生きた半生を7回シリーズで写真付きの大きな記事にしてくださいました。

 ある日、森川さんから電話があり、「1997年に再建され、参加型寺院として、また人と人とが出会うお寺として有名な應典院を取材するが、よかったら一緒に来ませんか」と誘われました。好奇心の強い僕は喜んで取材に同行しました。そして、住職の秋田光彦さんの話をたくさん聞きました。明治大学出身であること、無類の映画好きであること、人との出会いを大切にしていることなど、共通することがとても多く、僕も話の中に加えていただきました。親しくなって、小劇場のような本堂ホールでのイベントなどを企画する、應典院寺町倶楽部の運営委員メンバーにも加えていただきました。
 その活動の一環として、当時東京と名古屋で定期的に行われていた「竹内敏晴・からだとことばのレッスン」を大阪・應典院で開くことを提案しました。竹内さんもとても喜んでくださいました。
 そして、その旗揚げのための講演会が、1999年2月に開かれました。みぞれまじりの寒い悪天候の中、150名ほどの人が集まり、翌月からレッスンが始まりました。レッスンは、毎月第2土・日の2日間、欠かさず開かれ、それは2009年7月まで続きました。竹内敏晴さんは、その2ヶ月後の9月にお亡くなりになりました。
 應典院が、大阪吃音教室の会場になったのは、2008年4月からでした。それまで使っていた会場が使えなくなり、竹内さんのからだとことばの定例レッスンの会場である應典院にお願いしたのです。

 不思議なつながりは、ここで終わりませんでした。應典院の小さなニュースレターで私のインタビュー記事を目にして、東京から私に会いに来てくださったのがTBSディレクターの斉藤道雄さんでした。斉藤さんの、北海道浦河にある別荘でお会いしたのが、北海道・浦河のべてるの家の向谷地生良さんです。
 九州大学・村山正治さん、九州大学・高松里さん、読売新聞記者・森川明義さん、應典院の秋田光彦さん、TBSディレクターの斉藤道雄さん、北海道・浦河のべてるの家の向谷地生良さん。こうして人と人とがつながっていくのだと、不思議な縁を思います。

 このつながりが、ひとつの成果として、書籍や冊子の形でまとまっています。

朝日福祉ガイドブック『セルフヘルプグループ』(朝日新聞厚生文化事業団)
  日本吃音臨床研究会ホームページの「セルフヘルプグループ」のコーナーで全文掲載
TBSのドキュメンタリー番組「報道の魂」
『吃音の当事者研究〜どもる人たちが「べてるの家」と出会った』(金子書房)
『竹内レッスン〜ライブ・アット大阪〜』(春風社)
  大阪でのレッスンが一冊の本に。竹内さんのエッセイと、2つの座談会を掲載。
 
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2020/4/26