エリクソンのライフサイクル論とリッカムプログラム

 今回のテーマの読書介助犬とリッカムプログラムへの危惧ですが、それにエリクソンのライフサイクル論を絡めて僕の考えを書きます。リッカムプログラムは学童期までに吃音の流暢性を形成しようとして、単純に言ってしまえば「言い直し」をさせ、言い直してどもらずに言えたら褒めて、流暢に話すことを定着させようとするものです。
 
 僕は、心理学者、エリクソン(E.H.Erikson)のライフサイクル論が大好きです。これまで講演や、大学の講義などで何度も取り上げてきました。龍谷大学の臨床福祉学科のソーシャルワーク演習では10年ほどずっとこの話をしてきました。ヘレンケラーのことばの獲得に家庭教師のサリバンがどう関わったかについて話す時、二人の関係をライフサイクル論で説明してきました。また、僕が吃音に悩んでいくプロセス、そして、そこから立ち直っていくプロセスも、よくライフサイクル論で説明してきました。

 エリクソンは人間の生涯を展望して、8つの段階に分け、その段階ごとに体験しなければならない心理・社会的発達課題を示しました。
 0歳から1歳、1歳半までの時期の課題を基本的信頼感として、課題が達成されたときに、次の段階に行きます。その次の段階が、自律性、次が自発性、学童期が勤勉性、そして思春期に自我同一性の形成へと、段階を登っていくように発達し、段階を飛び越すことはできないとしました。そして、課題のそれぞれの対立する概念も示しました。基本的信頼感の対の概念は、基本的不信感です。不信感よりも、基本的信頼感が勝ったとき、その時期の課題が達成されたとしました。
 学童期の勤勉性の対の概念は、劣等感です。勤勉性がほとんどなく、劣等感ばかりを意識した僕は、学童期の課題が全く達成されないままに思春期を迎えることになります。勤勉性というのは、勉強に限らず、何かに一生懸命打ち込むとか、何かをがんばるとか、やったぞーというような感覚を持つことです。僕はそれまでは順調に発達してきたのですが、学童期に吃音に強い劣等感をもったために、どもっているのは「仮の人生」だと、自己同一性の形成ができませんでした。学童期に吃音に対するあまりにも大きな劣等感をもってしまったため、学童期の発達課題である勤勉性がもてず、思春期の自己同一性の形成が達成できずに21歳まで深く悩んだということなのです。
 その僕が21歳から立ち直っていけたのは、基本的信頼感、自律性、自発性がもともと備わっていたからです。僕の人生を振り返っても、学童期前の基本的信頼、自律性、自発性がとても大事だと思います。それがあったから立ち直れたと本当に思います。

 ところが、前回紹介した、言語聴覚士が幼児吃音の臨床に取り入れようとしているリッカムプログラムは、保護者が、子どもにどもっていることを意識させ、どもらない話し方を教え、定着させようとします。子どもが楽しかったり、うれしかったことを母親に話そうとするとき、気持ちが急いてしまい、あわてて急いで話そうとします。どもっているということも意識しません。そんなとき「ゆっくり、そっと、やわらかく」どもらないで話そうと、子どもに話し方を意識させることは、吃音を否定し、深く悩み、「どもれない体」になっていたのが、「どもれる体」になって生きやすくなった僕にとっては、極端に言えば、虐待に近いとさえ思います。
    
 2013年、オランダで開かれた第10回オランダ大会の最初の基調講演は、幼児吃音の「環境調整」と「DCモデル」と「リッカムプログラム」の効果に差があるかどうかの研究でした。
 「環境調整」とは、親を中心とした聞き手が、「どもっても言い直しをさせたりしないで、そのままを受け取る良い聞き手になる」ように、どもる子どもの環境を整備することです。
 「DCモデル」は、親や聞き手の要求、指示などと子どもの言語能力のバランスが崩れたときにどもり始めるとする吃音の原因論から来ているもので、主に話し手が話すスピードや語彙を子どもに合わせるなど、主として間接的なものです。
 「リッカムプログラム」は、どもるとどもることを意識させ、言い直しをさせてどもらない話し方を身につけさせようとします。
 この3者には、全く効果に差がなかったというのが、このオランダの言語病理学者の基調講演の結論でした。リッカムプログラムで効果があったとする成果も、「幼児吃音の自然治癒現象」とどう違うのか、結局は分からないということでしょう。その基調講演の後、何人かの臨床家と話したのですが、リッカムプログラムは、母親と子どもの関係を悪くするという否定的な意見をもつ人ばかりでした。特に本人がどもる臨床家やセルフヘルプグループのリーダーは否定的でした。

 エリクソンの発達段階、誕生から学童期までをもう一度まとめてみます。
  
誕生〜2歳までの乳児期  「基本的信頼感/基本的不信感」
 この時期は、「基本的信頼と安全の感情」を育てる時期です。親を信じることは自分を信じることです。全面的に肯定されて、基本的信頼感が育ちます。どもっている子どものことばを受け止め、その内容に興味をもち、おもしろがって、そのまま十分に聞く。そこから、何を話しても聞いてもらえるという安心感が育ちます。おしゃべりの大好きな子どもに育てることがとても大事です。
 
2歳〜4歳の幼児期  「自律性/恥」
 自律性が育つ時期は、子どもが最初のしつけに出合う時期で、トイレを中心にしつけをされる時期です。ある意味では、こうしなければならないという、強制で、いろんなことを親は子どもに教えていくことになります。手でご飯を食べてはいけない、スプーンを使いなさい、などです。それも、早く、急いで、ではなく、根気よく伝えることがしつけの重要な部分で、それでも子どもには相当のストレスです。
  
4歳〜7歳の児童期  「自発性/罪悪感」
 好奇心や探求心が開発される時期で、想像力や創造力の基盤であり、後の学童期の勤勉性につながります。自発性を育てられることがテーマになります。自分から何か働きかけることで、失敗を恐れない、失敗してもすぐに忘れる時期です。ことばに関しても覚えたことばをどんどん使い、考える力が育っていきます。子どものあらゆる行動を根気よく認めることが、自発性を育てるための基本要件です。

 基本的信頼、自発性、自発性を育てる大事な時期に、仮に一日に15分程度であったとしても、訓練的なものを家庭の中に持ち込む、リッカムプログラムに僕は大きな疑問と、危険性を感じます。だからこそ、かつてのアメリカの言語病理学は、直接的な言語訓練は、学童期に入ってからだと、「幼児吃音は環境調整」といわれてきたのです。
 これまでの環境調整を徹底的に総括し、幼児教育、発達心理学などの叡智を集めて、リッカムプログラムが開発され、提案されたとはとても思えません。僕の親しくしている幼児教育の専門家にリッカムプログラムの話をしたら驚いていました。
わたしのそばできいていて さて、ここまできたら、僕が何を言いたいかお分かりのことでしょう。
 「読書介助犬」は、ただ黙ってそばにいるだけです。介助犬に絵本の読み聞かせをするだけで、子どもたちは音読や読書に興味をもっていきます。どもる子どもの親や、周りの人は「読書介助犬」から大きなヒントを得ることができると思います。
 前回は、『読書介助犬オリビア』を紹介しましたが、今回は、読書介助犬をテーマにした絵本『わたしのそばできいていて』(WAVE出版 リサ・パップ作 菊田まりこ訳)を紹介します。

 日本吃音臨床研究会会長 伊藤伸二 2020/3/29