リッカムプログラムへの危惧と、読書介助犬 

 毎日新聞の社説(2020.2.25)で、幼児期の吃音の治療が取り上げられ、同じく読書介助犬(2020.2.24)のことが毎日新聞のくらしナビで取り上げられていました。社説を書いた人は吃音についてほとんど何も知らずに、ある情報をもとに書いています。すべてのことがらを徹底的に調査して記事を書くことが難しいことは理解できます。それがジャーナリズムの限界なのでしょう。
 しかし、そうなると、別の角度からの情報も必要になります。情報の取捨選択は、読んだ人がするしかありません。こんな情報が、こんな考え方が、一方にはありますよと、僕は発信を続けるしかありません。どんな情報に接するか、どの情報を選ぶかが大切ですが、判断材料は提供し続けたいと思います。

 幼児期の吃音は、長い間、子どもへの直接的介入は行わず、親の子育てへのガイダンスをもとに、環境調整が行われてきました。「言い直しをさせない」「吃音を否定しないで、良い聞き手になりましょう」が親に対する一番なされてきたアドバイスでした。
 ところが最近、大きな変化が出てきたように思います。日本でも、1997年に制定された言語聴覚士法により、言語聴覚士が専門家として吃音の臨床に携わるようになり、何かいい治療法がないかと探り始めて、状況が変わってきたといえるでしょう。
 2004年、第7回吃音世界大会がオーストラリアのパースで開かれたときのことです。言語聴覚士養成の大学院の学生と話し合う機会がありました。「吃音の自然発生率は10%だ」「放っておいたら自然に消えることはなく、幼児から吃音の治療を開始しなければならない」と大学院生が口々に言うのです。その頃、幼児吃音の70%程度が自然治癒するといわれていました。その時は不思議に思ったのですが、すぐに分かりました。
 オーストラリアのシドニー大学のリッカムキャンパスから生まれたリッカムプログラムが出てきたのです。
 3年後の2007年、第8回吃音世界大会がクロアチアで開かれました。そこで、オーストラリアのマーク・オンズロー教授による「リッカムプログラム」のワークショップを受けました。親にゆっくり話すモデルをさせ、どもったら「お母さんのように話しなさい」と言い直しをさせ、どもらずに言えたらほめる方法に強い違和感をもちました。親に子どもの指導をさせると、もしうまくいかなかった場合、親が責任を感じてしまうのではないかと、まず思ったのです。オンズロー博士のビデオでの紹介やデモンストレーションの後、「どもらないで話せたら褒め、どもると否定されないまでも、褒められないのであれば、子どもはどもることをマイナスに捉えないか?」と質問をしました。すると、オンズロー博士は、「吃音に対して否定的なセラピストはいないから大丈夫だ」と即答しました。そんなはずはないだろうとつぶやきながら、日本に導入されないことを私は祈っていました。「吃音否定」につながるリッカムプログラムで、「カメさんの話し方」のゆっくり話す練習の復活は、100年前に戻ったようです。
 僕が、リッカムプログラムが問題だと思うのは、親、または子どもの生活と深く関わる人が、治療を行い、子どもの話し方について様々な場面でコメントをしていくということです。本来、家庭は、安心・安全な場のはずです。たとえ15分程度でも、家庭の中に訓練を持ち込むことには問題があると思います。母親が、自分の話す内容ではなく話し方に注意を向けているとしたら、子どもにとって家庭は決して安心・安全な場とは言えないでしょう。幼児期に大切な、欠かすことのできない、親と子の愛着を育む場が、本来の役割を果たすことができなくなるのです。
 エリック・H・エリクソンのライフサイクル論をもとにした、リッカムプログラムへの危惧については長くなりそうなので、後日にします。
オリビア カラー
 今回は、『読書介助犬オリビア』(講談社青い鳥文庫)の中から、オリビアに宛てた子どもの手紙と、2012年に僕が書いた「リッカムプログラム」と題した文章を紹介します。


オリビアがいてくれたから、きらいな本もじょうずに読めるようになったよ。
オリビアは、ぼくがどんなに読むのがヘタでもぜったいに、わらわなかったよね。
ぼかにしなかったよね。
ぼくは、犬が大きらいだったけど、オリビアに出会ってかわったよ。
オリビアはふかふかしていて、やさしくて、ぼくの話をよくきいてくれて。
ぼくはそれがすごくうれしかったよ。
いつのまにかぼくもオリビアのことをとてもすきになっていたよ。
ともだちだとおもったよ。
たいせつにしたいとおもうようになったよ。
ありがとう、オリビア、
ぼくはオリビアのことをずっと、ずっとわすれないよ。
わすれないよ。
         『読書介助犬オリビア』(講談社青い鳥文庫) 166ページ



   
リッカム・プログラム
                               伊藤伸二
 カナダの大学院で言語病理学を学び、言語聴覚士の資格をとって、カナダの大きなセンターで、言語聴覚士として3年間仕事をされた、池上久美子さんの報告は、興味深かった。
 私は国際吃音連盟の世界大会には何度も参加し、国際流暢性(吃音)学会にも参加し、海外のセルフヘルプグループのリーダーや吃音研究者とのつきあいがある。また、『スタタリング・ナウ』では、海外文献や海外情報の掲載もしてきた。だからある程度は海外の吃音事情は知っているつもりでいた。しかし、カナダの大学院での吃音の講義内容、実際の吃音臨床を詳しく報告していただき、改めて、私たちの吃音についての視点や実践と、海外とのあまりにも大きな違いに驚いた。
 吃音は北米でも、日本でも、他の国でも現実には治っていない。治せていないのに、なぜこうも吃音に対する考え方、取り組みが違うのか。その違いはどこから来るのか、少しでもそれを知りたかった。だから、どもる人のセルフヘルプグループ、大阪スタタリングプロジェクトの大阪吃音教室に来ていただいた。池上さんがセルフヘルプグループのメンバーとともに、話し合いに加わって下さった意義は大きい。
 大阪吃音教室のメンバーが発言することで、カナダやアメリカの吃音に対する取り組みと、私たちの取り組みの違いが、さらに鮮やかに浮かび上がった。しかし、社会状況や文化の違いは理解しつつも、やはり疑問はとけなかった。この違いは、いつまでも続いていくのだろうか。それとも、新しい接点はみつかるのだろうか。
 今回は、リッカム・プログラムに触れておきたい。カナダではここ数年、どもる子どもの指導に、リッカム・プログラムが注目を集めているという。
 私がリッカム・プログラムに初めて出会ったのは、2007年、クロアチアでの第8回世界大会だった。マーク・オンズロー博士のワークショップに参加し、ビデオなどを見ながら、説明を受けたとき、強い違和感をもった。
 −親と子どもがスピーチ・クリニックに通い、親は子どもの日常生活で毎日治療を行う。吃音が改善されれば親による治療が減らされる。親は子どもがどもらずに話した場合も、明らかにどもった場合もコメントを行う。
 どもらなかった場合のコメント:
(1)どもらずに話せたことを子どもに伝える。
  例 「すらすら言えたね」
(2)どもらずに話せたことを褒める。
  例 「上手に話せたね」
(3)子どもに自分の話し方を評価させる。
  例 「つまった言葉はあった?」

 どもった場合のコメント:
(1)どもったことを子どもに伝える。
  例 「少しつまったね」
(2)子どもに言い直しを求める。
  例 「もう一度できるかな?」
 どもった場合でも、どもらなかった場合でも、直ちに言葉かけをすれば、子どもも親の言葉に耳を傾ける。明らかにどもったことを伝える場合は、親は淡々と話し、叱るような口調は避ける。どもらなかった場合の言葉かけとどもった場合の言葉かけの割合は、少なくとも5:1でなければならない。
              『スタタリング・ナウ』NO.215 2012.7.22


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2020/3/26