群馬吃音キャンプ 若い人たちとの対話 4
人生の悩みはモグラたたき〜吃音の悩みは解消されたけれど

伊藤 当然だと思うよ。それは、とても真っ当だと思う。さて、悩み方には上手な悩み方と下手な悩み方があると、僕は思う。僕は、どもりで悩むというのは、下手な悩み方だと思う。僕は、どもりに悩むことによって、本来悩まなければならない本当の人間的な悩みから目をそむけ、逸らして生きていたように思うんです。本来悩まなければならないことを避けてきたと思う。そう考えたら、あなたが吃音の悩みは解放されたけれど、吃音以外の悩みはなかなか解放されなかったと言うのは、ごく当然のことだと思います。今までは、吃音に悩むことで、他の悩みから目をそむけてきたのだから。そんな感じがしませんか。
参加者 はい。といっても、それ以外の悩みも、結構くだらないことも多いのだけれど。
伊藤 そうか。くだらないことをひとつひとつつぶしていく、人生はモグラたたきだと思う。ひとつたたいても、またモグラが出てくる。また、たたいても出てくる。ずっと一生モグラたたきをしていくのが人生だと思う。吃音の悩み以外の悩みが真っ当な悩みかどうか分からないけれど、イギリスの文豪のサマーセットモームという世界的な小説家がすごく吃音に悩んだということは、やっぱり吃音は真っ当な悩みかもしれないなと思ったりもしますけどね。
僕は、思春期、ほんとはもっと別の悩みがあったかもしれないのに、吃音の悩みに逃げていたという感じが、ずっとしていた。たとえば恋をして、愛するということについての悩みや、友だちづきあいの人間関係、そして何よりも、「将来の夢」について悩みたかった。だけど、恋も友だちとの人間関係も将来についても、吃音の悩みでかき消されていた。あなたが今、吃音の悩みからちょっと解放されたら、別の悩みが出てくるというのは当たり前だと思う。吃音の悩みから解放された考え方は、別の悩みにも活かせるんじゃないかな。あなたはまだ20代の前半、まだこれからじゃないの。
僕は、どもりに悩んで、そしてどもりを受け入れてきたプロセスがあったから、糖尿病になり、ひょっとしたら失明するかもしれないと言われたときも、まあいいかと思えた。実際、眼底出血があり、レーザーで焼いて、これ以上出血すると失明しますよと言われたんだ。そのときも、僕はどもりを受け入れてきたプロセスがあるから、仮に目が見えなくなったとしても、それを受け入れるだろうと思った。ほぼ失明するかもしれないと言われたとき、僕が案外平気でいられたのは、吃音の悩みから解放されていく練習をしたから、失明という試練を受け入れられたのかもしれないと思う。
あなたは、吃音を受け入れたと言ったけれど、受け入れたことをきちんと言語化し、文章にし、そして残していく作業をしないと、本物になっていかない。不登校になって、何か分からないけれど、いつの間にか学校に行けるようになった人がいました。それはそれでいいんだけれど、また、ちょっとしたきっかけで不登校になった。きちんと確認していく作業がなされていなかったからだと僕は思う。君も、なぜ自分は、吃音を認め受け入れることができたのだろうか、自分で研究し、文章にしてみたら、今のあなたの、くだらないという悩みにも活かせるんじゃないかな。
くだらない悩みと君は言ったけれど、悩みは周りから見たらくだらなくても、本人にしたらくだらないことはないですよ。他人から、その悩みはしょうもないと言われる筋合いは全然ない。その人が悩んでいたらその悩みは、ほんとにその人にとっての悩みなんだから、練習して、自分のこれまで経てきた道を文章化してみたら、いい財産になると思うな。いいですか。
参加者 ありがとうございます。
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2019/12/25
人生の悩みはモグラたたき〜吃音の悩みは解消されたけれど

参加者 私は21歳のときに、吃音を受け入れる決意をした。決意をしても、しばらくはどもりたくないという気持ちがあって、悩むこともあったんですけど、今は吃音では悩まなくなりました。でも、吃音以外の辛いことに関しては、頭の中では受け入れた方がいいと思っていても、実際には全然受け入れられない。吃音では、自助グループなどいろいろ恵まれたので、吃音は受け入れられたけれど、それ以外のことは、なかなか受け入れられない。
伊藤 当然だと思うよ。それは、とても真っ当だと思う。さて、悩み方には上手な悩み方と下手な悩み方があると、僕は思う。僕は、どもりで悩むというのは、下手な悩み方だと思う。僕は、どもりに悩むことによって、本来悩まなければならない本当の人間的な悩みから目をそむけ、逸らして生きていたように思うんです。本来悩まなければならないことを避けてきたと思う。そう考えたら、あなたが吃音の悩みは解放されたけれど、吃音以外の悩みはなかなか解放されなかったと言うのは、ごく当然のことだと思います。今までは、吃音に悩むことで、他の悩みから目をそむけてきたのだから。そんな感じがしませんか。
参加者 はい。といっても、それ以外の悩みも、結構くだらないことも多いのだけれど。
伊藤 そうか。くだらないことをひとつひとつつぶしていく、人生はモグラたたきだと思う。ひとつたたいても、またモグラが出てくる。また、たたいても出てくる。ずっと一生モグラたたきをしていくのが人生だと思う。吃音の悩み以外の悩みが真っ当な悩みかどうか分からないけれど、イギリスの文豪のサマーセットモームという世界的な小説家がすごく吃音に悩んだということは、やっぱり吃音は真っ当な悩みかもしれないなと思ったりもしますけどね。
僕は、思春期、ほんとはもっと別の悩みがあったかもしれないのに、吃音の悩みに逃げていたという感じが、ずっとしていた。たとえば恋をして、愛するということについての悩みや、友だちづきあいの人間関係、そして何よりも、「将来の夢」について悩みたかった。だけど、恋も友だちとの人間関係も将来についても、吃音の悩みでかき消されていた。あなたが今、吃音の悩みからちょっと解放されたら、別の悩みが出てくるというのは当たり前だと思う。吃音の悩みから解放された考え方は、別の悩みにも活かせるんじゃないかな。あなたはまだ20代の前半、まだこれからじゃないの。
僕は、どもりに悩んで、そしてどもりを受け入れてきたプロセスがあったから、糖尿病になり、ひょっとしたら失明するかもしれないと言われたときも、まあいいかと思えた。実際、眼底出血があり、レーザーで焼いて、これ以上出血すると失明しますよと言われたんだ。そのときも、僕はどもりを受け入れてきたプロセスがあるから、仮に目が見えなくなったとしても、それを受け入れるだろうと思った。ほぼ失明するかもしれないと言われたとき、僕が案外平気でいられたのは、吃音の悩みから解放されていく練習をしたから、失明という試練を受け入れられたのかもしれないと思う。
あなたは、吃音を受け入れたと言ったけれど、受け入れたことをきちんと言語化し、文章にし、そして残していく作業をしないと、本物になっていかない。不登校になって、何か分からないけれど、いつの間にか学校に行けるようになった人がいました。それはそれでいいんだけれど、また、ちょっとしたきっかけで不登校になった。きちんと確認していく作業がなされていなかったからだと僕は思う。君も、なぜ自分は、吃音を認め受け入れることができたのだろうか、自分で研究し、文章にしてみたら、今のあなたの、くだらないという悩みにも活かせるんじゃないかな。
くだらない悩みと君は言ったけれど、悩みは周りから見たらくだらなくても、本人にしたらくだらないことはないですよ。他人から、その悩みはしょうもないと言われる筋合いは全然ない。その人が悩んでいたらその悩みは、ほんとにその人にとっての悩みなんだから、練習して、自分のこれまで経てきた道を文章化してみたら、いい財産になると思うな。いいですか。
参加者 ありがとうございます。
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2019/12/25