群馬での吃音キャンプ 若い人たちとの対話3
吃音でよかったこと

参加者(小学6年生) 伊藤さんは、どもっていて、一番よかったことは何ですか。
伊藤 よく聞かれるけれど、どもっていてよかったことってまずないですね。それはないけれど、僕は吃音に悩んだおかげでよかったことは山ほどある。吃音でよかったことと、どもっていてよかったことは、ちょっと意味が違うよね。僕は世界一幸せなどもる人だと思っています。どもっているおかげで、1965年にどもる人のセルフヘルプグループを作り、世界で初めての世界大会を開き、大学の教員になり、本もたくさん書いた。75歳にもなって、あちこちから話を聞きたいと呼んでもらえる。子どもたちも伊藤さんに会いたいと言ってくれる。こんな幸せな人生はないよね。
何年か前に、大学の同窓会があったけれど、みんな70歳を越えて、自営業や研究者などで現役の人も中にはいるけれど、大体がリタイアして10年経っている。ゴルフ三昧、釣り三昧で、最初はそれでよかったけれど、だんだんとおもしろくなくなってくると言っていた。でも、僕は、吃音のおかげで勉強を続けることができる。吃音を治そう、言語訓練をしようという立場だったら、新しく勉強することなんてほとんどない。だけど、吃音と共に生きていこうと提唱すると、どうしたらそういう心境、考え方になるんだろうかと考え、精神医学、臨床心理学、社会心理学など勉強しないといけない。僕は、小中高と全く勉強しなかったけれど、75歳のこの年になって、今一番勉強していると思う。常にたくさんの本を読み、勉強しているけれど、こんなこと、吃音でなかったら、絶対やっていない。そういう意味では、めちゃくちゃ吃音で幸せだったと思います。
それと、吃音でよかったことのもうひとつは、どもっていると異性にもてたことですね。僕は大学4年生のとき、3ヶ月間、無銭旅行に近い、日本一周旅行をしたんだけど、そのときの写真は、女の子と写っているものばっかりです。たくさんの友だちができました。どもっていたら、異性に好かれないと、ずっと思っていたけれど、たくさん友だちができた。初めの頃は、どもるから、最初のひとことが話しかけにくい。一人旅で、しゃべらずに旅行していても楽しくない。でも、気仙沼だったか、黙って日本一周するのはつまらないと思って、思い切って話しかけやすそうなおばちゃんに「ちょっと写真、撮ってもらえませんか」と言った。その一言がきっかけで、それからはしゃべっていこうと思った。どもりながら一生懸命しゃべったら、どもる人は誤解されるようで、誠実に聞こえるらしい。一生懸命しゃべっているように聞こえたのか、誤解されたのか分からないけれど、行く先々で女性と出会い、一緒に旅行し、旅行が終わってからでもつきあう人もいた。
どもるからもてた、とは思わないけれど、どもるという劣等感とか弱点とか言われるものがあるから、精一杯自分のやれることはやろうと思った。そのことが結果として、僕のことを好きだと言ってくれる人が現れたということじゃないかなと思います。僕は、初恋の人とは、21歳のときに出会った。彼女とは、東京正生学院という吃音を治すところで出会ったけれど、そのとき、僕はすごくどもっていた。彼女は全然どもっていなかったけれど、すごく悩んでいた。伊藤さんはこんなにどもっているのに、こんなに一所懸命に話をして、内容もおもしろい。おもしろいというのは、吉本興業のようなお笑いの話ではないよ。僕は、どもりに悩んできたから、本はいっぱい読んだし、映画もいっぱい観てきた。だから、映画のストーリーや児童文学とか小説のストーリーなどをいっぱい話していたような気がする。それがおもしろかったのかもしれない。でも、僕はいまだに雑談は苦手なんだよね。懇親会とかパーティは苦手です。どうでもいいような話をする時は、どもりたくはない。でも、ちゃんと自分のことを話したい、誠実に向き合って話したいということだったら、どんなにどもっても話す。全体としては、吃音でよかったと思う。どもることでよかったことではないけれど、そんなことでいいですか?
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2019/12/24
吃音でよかったこと

参加者(小学6年生) 伊藤さんは、どもっていて、一番よかったことは何ですか。
伊藤 よく聞かれるけれど、どもっていてよかったことってまずないですね。それはないけれど、僕は吃音に悩んだおかげでよかったことは山ほどある。吃音でよかったことと、どもっていてよかったことは、ちょっと意味が違うよね。僕は世界一幸せなどもる人だと思っています。どもっているおかげで、1965年にどもる人のセルフヘルプグループを作り、世界で初めての世界大会を開き、大学の教員になり、本もたくさん書いた。75歳にもなって、あちこちから話を聞きたいと呼んでもらえる。子どもたちも伊藤さんに会いたいと言ってくれる。こんな幸せな人生はないよね。
何年か前に、大学の同窓会があったけれど、みんな70歳を越えて、自営業や研究者などで現役の人も中にはいるけれど、大体がリタイアして10年経っている。ゴルフ三昧、釣り三昧で、最初はそれでよかったけれど、だんだんとおもしろくなくなってくると言っていた。でも、僕は、吃音のおかげで勉強を続けることができる。吃音を治そう、言語訓練をしようという立場だったら、新しく勉強することなんてほとんどない。だけど、吃音と共に生きていこうと提唱すると、どうしたらそういう心境、考え方になるんだろうかと考え、精神医学、臨床心理学、社会心理学など勉強しないといけない。僕は、小中高と全く勉強しなかったけれど、75歳のこの年になって、今一番勉強していると思う。常にたくさんの本を読み、勉強しているけれど、こんなこと、吃音でなかったら、絶対やっていない。そういう意味では、めちゃくちゃ吃音で幸せだったと思います。
それと、吃音でよかったことのもうひとつは、どもっていると異性にもてたことですね。僕は大学4年生のとき、3ヶ月間、無銭旅行に近い、日本一周旅行をしたんだけど、そのときの写真は、女の子と写っているものばっかりです。たくさんの友だちができました。どもっていたら、異性に好かれないと、ずっと思っていたけれど、たくさん友だちができた。初めの頃は、どもるから、最初のひとことが話しかけにくい。一人旅で、しゃべらずに旅行していても楽しくない。でも、気仙沼だったか、黙って日本一周するのはつまらないと思って、思い切って話しかけやすそうなおばちゃんに「ちょっと写真、撮ってもらえませんか」と言った。その一言がきっかけで、それからはしゃべっていこうと思った。どもりながら一生懸命しゃべったら、どもる人は誤解されるようで、誠実に聞こえるらしい。一生懸命しゃべっているように聞こえたのか、誤解されたのか分からないけれど、行く先々で女性と出会い、一緒に旅行し、旅行が終わってからでもつきあう人もいた。
どもるからもてた、とは思わないけれど、どもるという劣等感とか弱点とか言われるものがあるから、精一杯自分のやれることはやろうと思った。そのことが結果として、僕のことを好きだと言ってくれる人が現れたということじゃないかなと思います。僕は、初恋の人とは、21歳のときに出会った。彼女とは、東京正生学院という吃音を治すところで出会ったけれど、そのとき、僕はすごくどもっていた。彼女は全然どもっていなかったけれど、すごく悩んでいた。伊藤さんはこんなにどもっているのに、こんなに一所懸命に話をして、内容もおもしろい。おもしろいというのは、吉本興業のようなお笑いの話ではないよ。僕は、どもりに悩んできたから、本はいっぱい読んだし、映画もいっぱい観てきた。だから、映画のストーリーや児童文学とか小説のストーリーなどをいっぱい話していたような気がする。それがおもしろかったのかもしれない。でも、僕はいまだに雑談は苦手なんだよね。懇親会とかパーティは苦手です。どうでもいいような話をする時は、どもりたくはない。でも、ちゃんと自分のことを話したい、誠実に向き合って話したいということだったら、どんなにどもっても話す。全体としては、吃音でよかったと思う。どもることでよかったことではないけれど、そんなことでいいですか?
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2019/12/24