第11回 吃音キャンプ IN GUNMA 
比べず、今の吃音のままで


 ちょうど僕が、秋のキャンプロードであちこちに行っているとき、NHK神戸放送局が、大阪吃音教室のことを取材してくれました。きっかけは、9月、吃音親子サマーキャンプと大阪吃音教室の取材をしてくれて大きく取り上げられた朝日新聞でした。
 先日、12月9日、「おはよう関西」で5分間という短い時間でしたが、大切にしていることをコンパクトにまとめて、映像が流れました。以下のURLで見ることができるようです。

・NHK総合「おはよう関西」公式サイト
https://www4.nhk.or.jp/P2849/
・同上「受け入れ 前向きに生きる」ページ
https://www.nhk.or.jp/osaka-blog/ohayou/417037.html


 さて、時間の経過を追って、という訳にもいかず、思いついたところから、報告していきます。群馬の吃音キャンプは、今年11回目でした。どもる子ども、保護者に加え、ことばの教室や言語聴覚士、医師など臨床家が多く参加したキャンプでした。その群馬のキャンプの初日の夜、小学高学年から社会人まで、比較的若い人たちと円く輪になり、ひとりひとりの質問に答えていきました。目の前にいる人たちから出される素朴な質問に、頭をフル回転させて答えていく時間、僕は好きです。
群馬キャンプ 伸二とタイトル
参加者 吃音は自分では受け入れているつもりだし、普段は平気なんですが、人前で話すときに、途中でことばが出なくなると、話が切れてしまって嫌なんです。話が伝わっていない気がして。人前では、うまくしゃべりたいんですが、伊藤さんは、人前で話すとき、緊張したりしないんですか? どうしたら、人前で話すことが平気になりますか。


伊藤 昨日、千葉市の特別支援教育振興大会で、1000人くらいの前で講演したけれど、全くドキドキしなかった。それは、どもりたくないとか、どもったら嫌だとか、途中で話が途切れたら聞き手がどう思うかとか、そんなことは全然考えないからです。話す内容については、どう話せば伝わるか考えるけれど、どもるかもしれないという不安や恐れは、100%ないね。もし、それがあったら、講演や講義は引き受けられないよ。僕は、2度、テレビのスタジオ出演をしている。テーマは、「セルフヘルプグループ」だったので、どもらない人も何人もいたけれど、みんな、緊張すると言っていた。僕は全然しなかった。 僕たちどもる人間は、どもっていた方がいいと思うよ。すなおにそのままどもっていた方がいい。どもることを理解してほしいとか、どもる人のことを理解してほしいとよく言うけれど、それなら、吃音を隠さずにしゃべっていくべきだと思う。自分はどもりを隠しておいて、隠しているどもりを相手にどう理解してもらうのか、そんなことはできない。すなおにそのままどもっていくということが、どもる僕たちの権利であり、義務であり、責任でもあるように思う。途中で、というのは、やっぱりどもりたくないという気持ちがあるのかな。
参加者 ありますね。
伊藤 どもりたくないという気持ちから離れることかな。でも、演劇をしているときは、どうってことないわけだね。
参加者 そのときは、特にそういうのはない。
伊藤 不思議だよね。僕も芝居をしたことがあるけれど、芝居のときはしゃべれるよね。
参加者 しゃべれます。
伊藤 役になりきると、そうなるね。東京と名古屋で大きな舞台に立ったことがあるけど、そのときも、みんな、「緊張する、緊張する」と言っていたけど僕は緊張しなかった。舞台で演じながら、これじゃいけない、緊張した方がいいんじゃないかと思った。緊張していない舞台、普通に平気でいる役者の舞台など、観客は見たいだろうか。越路吹雪という歌手は、長く舞台に立っていたけれど、ずっと最後まで緊張したそうだ。それでも舞台に立ち、緊張する自分を支えていたと話していた。緊張もしなくて、仲間と一緒にカラオケで歌っているような舞台を、人はお金を出して見に来ないし、聞きに来ない。やはり緊張しながら、しんどい思いをしながらも舞台に立って、自分を支えて歌い、演じる。それが本当の姿じゃないかと思った。僕たちどもる人は、どもっていた方がいいと思うんだけど、そういう考え方についてはどうですか。あまり、賛成しませんか。
参加者 いや、そういう考え方はいいと思います。
伊藤 いいと思うけれど、自分にはできない? やりたくないですか?
参加者 しゃべるのは結構好きなんです。
伊藤 そう、いいじゃない。
参加者 しゃべっているときに、どうしてもちょっとテンポがずれてしまう。普通にしゃべってるときはいいけど、おもしろいことを言おうとか、うまい掛け合いをしようというときにどもると、どうしてもズレて、テンポが変わってしまうのが嫌なんです。
伊藤 今、話がズレてきているんじゃない? おもしろいことを言ったりする掛け合いと、最初に君が言った、人前でパブリックな話をするときというのは、別なんじゃないの。
参加者 別なんですけど、話すときに、そういうのを心がけてる。
伊藤 そういうのを心がけてるというのは、どもらないように心がけてるということ?
参加者 どもらないようにというか、難しいけれど、テンポよくしゃべるというか、そういうことを心がけている。
伊藤 どもる僕たちは、君のように話すことに劣等感を持っているね。でも、テンポよく、アナウンサーのように、とは言わないけれど、それに匹敵するようなしゃべり方を基準にして、それができない自分は劣っていると思っていたら、いつまでたっても、しんどいと思うよ。全然どもらない人間でも、話をするのが下手で、テンポが悪く、滑舌が悪い人はいっぱいいる。この前、精神医学だったかの雑誌に、筑波大学の教授の斎藤環さんという精神科医が、「私は自他共に認める滑舌の悪さで、よく人から、話が分からないと言われる」と書いていた。確かに、講演を何度か聞いたけれど、そうだなあと感じていた。大学教授という、話さなければならないような仕事をしている人でも、テンポよく明瞭にしゃべる人間なんてそうは多くない。どう、みんなの学校の先生は、ちゃんとしゃべっている?スピーチする人で、上手だなあと思う大人はいる?
参加者 国語の先生なんかは、上手だと思います。
伊藤 『吃音の認知療法・認知行動療法』(金子書房)という本に、国語の教師が出てくる。自分が大好きな児童文学を生徒たちに読み聞かせたいんだけど、どもってうまく読めない。これじゃ、国語の教師として失格かなと思っていたくらいの人だ。今は大学の先生をしているけれどね。高校や大学で講義を受けていて、テンポよくちゃんとしゃべっている先生は多いの?
参加者 そこまでの人はいないですね。
伊藤 この先生は、ちょっと下手だなあと思う人もいる?
参加者 そうですね。たくさんいたと思います。
伊藤 ね。そうでしょ。みんなは、一流のかっこいい人と比較していると思わないですか?僕たちは、そんなに大したことはない、ちょぼちょぼの人間なのに。一流を目指すことはやめた方が、僕は楽になると思うよ。途中で切れて、話が分からなくなるんじゃないかと言ったけれども、それほど聴衆は馬鹿じゃないから、途中で切れたって、うまい具合につなぎ合わせて理解すると思うよ。君は、これまでずっとキャンプに来ていて、自分は吃音を認めているし、大丈夫だと思っていると言ったけれども、結局、君には、内心は、どもりたくないという気持ちがあるんだろうね。でも、それは決して悪いことじゃない。どもりたくないという気持ちはあっていい。僕たちには、どもる権利もあるし、どもらない権利もあるのだから、どもりたくないと思う場面でサバイバルしながら、必死でどもらないようにするということもあっていい。うまく話せたり、ときどきだめだったりする、今のままでいいと思うよ。

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2019/12/17