吃音以前に、生きている
2019年9月27日(金)の大阪吃音教室は、新潟県五泉市の禅僧・櫛谷宗則さんをお迎えします。今年で4回目になります。今年の演題は、「吃音以前に、生きている」です。
過去3回の演題は、2016年は「自己の存在価値を自身のなかに見出す」、2017年は「吃音を新しい命の明るさで生きる」、2018年は「苦しんで生きていこう」でした。吃音を理解し、僕たちを応援していただいていることが伝わってくる、深い演題だと思っています。
櫛谷さんとの出会いは、15年前くらいになります。朝日新聞のコラム「小さな新聞」で、僕たちのニュースレター「スタタリング・ナウ」が紹介された記事を読んだ櫛谷さんから、ご自分が編集し出版しておられる「共に育つ」への原稿依頼がありました。それまで縁のなかった仏教関係の冊子への執筆依頼は、当時、仏教に惹かれ始めていた僕にとってはありがたいことでした。毎回、出版されるたびに冊子「共に育つ」を送って下さり、僕たちのニュースレターもずっと読んで下さっています。読んで、ときどき、はっとするような感想を書いて僕を励まし続けて下さっています。
いつだったか、新潟で講演があったとき、足を延ばして五泉市のお寺にお伺いしたかったのですが、都合がつかず、お会いすることができませんでした。2014年、大阪市天王寺区のプレマ・サット・サンガで2日間座禅会をされると知って、1日参加しました。一番前に座っていた私に、休憩時間、「伊藤伸二さんですね」と声をかけて下さいました。「参加申し込み」は、事務局宛てにしていたものの、声をかけていただいたときはびっくりしました。そのとき、櫛谷さんは、僕の顔をまっすぐに見て「あなたの目は何かと闘っている目だ」とおっしゃいました。鋭い目で、見抜かれたような気がしました。思えば、1965年からずっと、「吃音を治す・改善する」文化と闘ってきたのですから、するどい目つきになっていたのでしょう。そのとき、何か文章を書いていただけませんかとお願いして、書いて下さいました。それは、「スタタリング・ナウ」2015年4月号に掲載しています。その文章に添えて下さったお手紙にこう書かれていました。
「これもご縁と思い、精一杯書かせていただきました。治す派との闘いは、対立しないで伊藤さんご自身の、吃音を光とする生き方を深めていかれること、その生活そのものが一番の道(武器)ではないかとふと思いました」
その後、大阪の座禅会に来られる前日の金曜日に、大阪吃音教室に来ていただいています。これまで吃音にまったく縁のなかった櫛谷さんが、吃音をしっかりと認め、吃音と共に生きていこうよ、それがどもる人の生き方じゃないかと、背中を押して下さっているように思います。
ぜひ、大阪吃音教室にご参加下さい。大阪吃音教室は、毎週金曜日、大阪市天王寺区の應典院で、夕方6時45分から9時まで開いています。9月27日は、櫛谷宗則さんに来ていただきます。毎週、講座の内容が決まっています。詳しくは、「大阪吃音教室」で検索して、会場やスケジュールなど、確認して下さい。ぜひ、ホームページをご覧下さい。
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2019/9/22
2019年9月27日(金)の大阪吃音教室は、新潟県五泉市の禅僧・櫛谷宗則さんをお迎えします。今年で4回目になります。今年の演題は、「吃音以前に、生きている」です。
過去3回の演題は、2016年は「自己の存在価値を自身のなかに見出す」、2017年は「吃音を新しい命の明るさで生きる」、2018年は「苦しんで生きていこう」でした。吃音を理解し、僕たちを応援していただいていることが伝わってくる、深い演題だと思っています。
櫛谷さんとの出会いは、15年前くらいになります。朝日新聞のコラム「小さな新聞」で、僕たちのニュースレター「スタタリング・ナウ」が紹介された記事を読んだ櫛谷さんから、ご自分が編集し出版しておられる「共に育つ」への原稿依頼がありました。それまで縁のなかった仏教関係の冊子への執筆依頼は、当時、仏教に惹かれ始めていた僕にとってはありがたいことでした。毎回、出版されるたびに冊子「共に育つ」を送って下さり、僕たちのニュースレターもずっと読んで下さっています。読んで、ときどき、はっとするような感想を書いて僕を励まし続けて下さっています。
いつだったか、新潟で講演があったとき、足を延ばして五泉市のお寺にお伺いしたかったのですが、都合がつかず、お会いすることができませんでした。2014年、大阪市天王寺区のプレマ・サット・サンガで2日間座禅会をされると知って、1日参加しました。一番前に座っていた私に、休憩時間、「伊藤伸二さんですね」と声をかけて下さいました。「参加申し込み」は、事務局宛てにしていたものの、声をかけていただいたときはびっくりしました。そのとき、櫛谷さんは、僕の顔をまっすぐに見て「あなたの目は何かと闘っている目だ」とおっしゃいました。鋭い目で、見抜かれたような気がしました。思えば、1965年からずっと、「吃音を治す・改善する」文化と闘ってきたのですから、するどい目つきになっていたのでしょう。そのとき、何か文章を書いていただけませんかとお願いして、書いて下さいました。それは、「スタタリング・ナウ」2015年4月号に掲載しています。その文章に添えて下さったお手紙にこう書かれていました。
「これもご縁と思い、精一杯書かせていただきました。治す派との闘いは、対立しないで伊藤さんご自身の、吃音を光とする生き方を深めていかれること、その生活そのものが一番の道(武器)ではないかとふと思いました」
その後、大阪の座禅会に来られる前日の金曜日に、大阪吃音教室に来ていただいています。これまで吃音にまったく縁のなかった櫛谷さんが、吃音をしっかりと認め、吃音と共に生きていこうよ、それがどもる人の生き方じゃないかと、背中を押して下さっているように思います。
ぜひ、大阪吃音教室にご参加下さい。大阪吃音教室は、毎週金曜日、大阪市天王寺区の應典院で、夕方6時45分から9時まで開いています。9月27日は、櫛谷宗則さんに来ていただきます。毎週、講座の内容が決まっています。詳しくは、「大阪吃音教室」で検索して、会場やスケジュールなど、確認して下さい。ぜひ、ホームページをご覧下さい。
櫛谷宗則(くしや しゅうそく)
昭和25年、新潟県五泉市の生まれ。「宿なし興道(こうどう)」といわれた豪快な禅僧、澤木興道老師の高弟、内山興正(こうしょう)老師について19歳で出家得度(しゅっけとくど)。安泰(あんたい)寺に10年間安居(あんご)する。老師の隠居地に近い宇治田原町の空家・耕雲庵(こううんあん)に入り、縁ある人と坐りながら老師のもとに通う。老師遷化(せんげ)の後、故郷へ帰り地元などで坐禅会を主宰。大阪では谷町のプレマ・サット・サンガで、毎年9月末に坐禅法話会を続けている。
<編著書>
『禅に聞け−澤木興道老師の言葉』『澤木興道 生きる力としてのZen』『内山興正老師 いのちの問答』『澤木興道老師のことば』『禅からのアドバイス−内山興正老師の言葉』(以上、大(だい)法(ほう)輪(りん)閣(かく))
『コトリと息がきれたら嬉しいな−榎本栄一いのち澄む』(探求社) 『共に育つ』(耕雲庵)など。
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2019/9/22