吃音親子サマーキャンプ参加20年の渡辺貴裕さんの、うれしいキャンプの紹介
2019年8月25日付け朝日新聞大阪版の社会面に引き続き、9月2日付け、朝日新聞東京版では、生活面に、吃音親子サマーキャンプの記事が掲載されました。大阪版とは、タイトル、小見出し、掲載の写真など、少し違うようですが、大筋はそのままです。大阪版の記事の時、参加者で、芝居の演出をして下さっている東京学芸大学教職大学院准教授の渡辺貴裕さんが、自身のフェイスブックで紹介して下さったものを紹介します。
学生のときからキャンプに参加して、今回が20回目だという渡辺さんならではのコメント、とてもありがたく読みました。吃音親子サマーキャンプには、こんな渡辺さんのような、長く参加し続けているスタッフがいます。キャンプ卒業生でずっと関わってくれている人がいます。そんな人たちの思いがつまったすてきな空間である吃音親子サマーキャンプ。2日目の出来事については、次回紹介します。
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2019/9/2
2019年8月25日付け朝日新聞大阪版の社会面に引き続き、9月2日付け、朝日新聞東京版では、生活面に、吃音親子サマーキャンプの記事が掲載されました。大阪版とは、タイトル、小見出し、掲載の写真など、少し違うようですが、大筋はそのままです。大阪版の記事の時、参加者で、芝居の演出をして下さっている東京学芸大学教職大学院准教授の渡辺貴裕さんが、自身のフェイスブックで紹介して下さったものを紹介します。
吃音親子サマーキャンプ、今年も無事終了。
今回は、第30回ということで、3日目の午後に、このキャンプで起きている&起きてきたことを振り返るプログラムがあった。私は進行役を頼まれたが、「なぜキャンプに参加し続けているんですか?」など、事前に募った質問に答える形で、普段見えにくいであろう、それぞれの立場のスタッフ(成人吃音者、ことばの教室の教師、キャンプ卒業生…)からの思いや経験が語られる場になったのは、よかったかなと思う。
また、朝日新聞の取材が入り(記者の小若さんがお子さん連れでフル参加)、本日25日付けの朝刊社会面(大阪版)に大きく記事が出ている(朝日新聞デジタルの紙面ビューアで「大阪」を選ぶと読める)。この興味深いキャンプの場について広く発信されるのは、ありがたい。
私の名前も、「演劇指導」に携わる大学准教授として出してもらっている。が、私にとっては、別に専門家だから関わっているというわけではなく、学生の頃から参加し続け、気付いたら20回目になっていた、というだけの話だ。
今日の最後の振り返りプログラムでも話したことだが、学生の頃は、空いている時間があればどんどん子どもの中に入って体当たりで一緒に遊んでいたが、最近は、暇さえあれば横になって休んでいる。体力的な衰えもあるが、それくらい、このキャンプは、「何かをしてあげる」とか「世話をする」とかなく、「役に立たなきゃ」と気負う必要もなく、自然体で、みんなが対等の立場でかかわれる場だ(主催の伊藤さんの方針で「先生」呼ばわりもしないし)。
今回の新聞記事でも、また私が以前書いた原稿(『街に出る劇場』所収)でも、焦点が当たっているのは、演劇の部分。が、それと並んでキャンプの柱になっているのが、子どもたちによる(あるいは保護者らによる)吃音をめぐる話し合い&作文だ。
今回私は高校生グループの話し合いを担当した。一番少ない子でも7回は来ているような、リピーターの子たち。吃音で、つらいことも含めさまざまな経験をしてきて、それを仲間と語り合って、いろんな時期を経ながらここまで来た高校生ら。彼ら&彼女らの話し合いは、時にとても深い。
集団面接やら部活の合宿やら、ずっと一緒に過ごすわけではないけれども一回きりでもないかもしれない相手がいる場で、自分の吃音について公にして説明するか、という話をしていたときに、「他の学校の難聴の子が部活の合同練習のときに、最初にみんなの前で自分の難聴について説明していてすごいと思った」みたいな話をある子がして、そこからさらに、「見えやすい障害」(足が不自由で補装具をつけているとか)の良さと難しさという話題になった。
吃音の「見えにくい」がゆえの難しさ(困難を分かってもらいにくい、しゃべらなければ隠せてしまう、etc.)はよく話に出るので、私はてっきり、他人に分かってもらいやすいとか、「見えやすい障害」の良さのほうに話が集中するのかと思っていた。が、彼らの捉え方はそうではなかった。
「見えやすい」ゆえのある種のメリットを認めながらも、彼ら&彼女らからは、「『見えやすい』ものだと、『この障害はこう』みたいな決めつけから入ってしまう恐れがある。先入観なく説明できるほうがいい」とか、「『見えやすい』ものだと、相手は『どうしよう』って一歩引いてからになってしまうかも。吃音の場合だと、それなしでスタートできる可能性がある」とか、さまざまな角度から話が出て、さらに、社会からの認知&理解についての話(彼らいわく「知名度」)にも入っていった。
すごいなあ。答えが一つに定まらないような問いについて、自分の感覚をくぐらせたうえで、それぞれの考えを出し合う。最近の言葉で言うと、「哲学対話」と呼べるかもしれないが、ここでは、自分が吃音の当事者であることをベースに、より切実感をもった話し合いが行われているようにも思う。
他にも、「自分がどもりの当事者であることによって、どもり以外のことでのいじめられたりからかわれたりしている人に対しても、気持ちが分かったり助けやすくなったりすることがあるだろうか」というテーマをめぐる話や、あるいは、ある子が出していた「どもりは自分にとって『二人三脚』のようなもの」という表現に対するそれぞれの受け止め方と考えの交流とか、刺激的だった。
話し合いに立ち会っている私の側が、「なるほどなあ」と目を見開かされる。
来年は第31回。主催の伊藤さんは76歳になる。
この「特別」な場であるキャンプを、いかに社会の「特別」ではなくしていくか。今日の最後の振り返りプログラムのテーマの一つでもあった、大きな課題だ。
学生のときからキャンプに参加して、今回が20回目だという渡辺さんならではのコメント、とてもありがたく読みました。吃音親子サマーキャンプには、こんな渡辺さんのような、長く参加し続けているスタッフがいます。キャンプ卒業生でずっと関わってくれている人がいます。そんな人たちの思いがつまったすてきな空間である吃音親子サマーキャンプ。2日目の出来事については、次回紹介します。
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2019/9/2