全難言大会2日目午後 吃音講習会 健康生成論

 今、注目を集めている考え方に、健康生成論があります。精神医療、福祉の世界で、原因を探して診断して治療するという、弱いところや悪いところを治していくという立場が「疾病生成論」ですが、それは、限界があって、もう立ちゆかなくなりました。治りにくい、治らない、病気や障害はたくさんあるからです。その代わりに、この人は、どうして病気や課題、問題を抱えながら、ちゃんと生きているのだろうと、健康面に焦点を当てて、その健康面を探り、それを育てていく「健康生成論」に、注目が集まっているのです。
 これは、1970年から1980年にかけて研究され、提唱されたものです。一時それほどでもなかったのが、40年の年月を経て今、すごく注目を集めるようになりました。大きな時代の流れになってきているからだと思います。1970年から1980年にかけて健康生成論が出てきて、前後して、当事者研究、ナラティヴ・アプローチ、ポジティヴ心理学、レジリエンス、オープンダイアローグなど関連する考え方が出てきました。ネガティヴなもの、マイナスのものを治し、改善するという発想は、人が幸せに生きるのに限界があると、大きく舵をきったということです。精神医療、福祉の世界で、これまでの臨床が、本当に、病気のある人、障害のある人の役に立ったのだろうか、大きな反省のもとに、真剣な議論、真面目な検討が行われ、疾病生成論ではだめだと方向転換をしました。ところが、残念ながら、言語障害、吃音の分野は、全く微動だにしません。これがだめだったら、別の方法を考えよう、別のことを考えようという発想が出てきても不思議はないと思うのですが、吃音の場合は、全く変わりません。1903年に始まった楽石社の考え方が、2020年の今、世界中で行われています。

 僕が、1965年に作った言友会という、どもる人のセルフヘルプグループが、どのように変わってきたのか、考えてみました。すると、ああ、そうか、僕たちは、健康生成論の立場に立って考え、活動してきたのだなあと整理がつきました。

 僕たちは、どもりを治そうと必死になって訓練をしました。しかし、治そうとすればするほど悩みを深め、治そうとすればするほどどもってしまうという現実の中で、これではもう立ちゆかないと思ったのです。治そうとすることが、自分自身が生きる上で、いかに大きな弊害があるかということに、僕たちは気づきました。そして、大きく方向転換をして、「吃音を治す努力を否定」するという提起をしたのです。今までの、治すということは当たり前で必要なこと、努力するということはまっとうなことですばらしいこと、という中で、治す努力の否定という問題提起をしました。そして、治す努力よりも、自分が何をしたいのか、何をしなければならないのか、という自分が生きるテーマに対して努力すべきだと考えて、吃音者宣言という宣言文を出しました。たいまつ社から『吃音者宣言』という本も出版しました。この本は、絶版になりましたが、日本吃音臨床研究会のホームページには、一冊丸ごと紹介しています。ぜひ、ご覧下さい。吃音者宣言の本表紙
 それを読んでもらったら、分かると思いますが、40年以上も前に、苦しんだ中から悲鳴をあげて、自分たちはこう生きるんだと心からの叫びともいえる宣言を出しました。それは、1976年のことで、ちょうど、アントノフスキーが健康生成論を出した時期とほぼ重なります。そう考えると、因縁というか、縁を感じます。

 僕たちがどうして、そういう考え方に至ったのかを紹介することが、今、吃音に悩んでいる子どもに何ができるのか、につながっていくだろうと思います。

 アントノフスキーは、更年期を迎えたイスラエル人の女性の健康度を調べるというプロジェクトに加わりました。アウシュビッツの収容所を経験しない人と経験した人との調査結果から、興味深いことが分かりました。アウシュビッツのあの過酷な、もうこれ以上のストレスはないだろうといわれるくらいのストレスの中を生き抜き、そして更年期を迎えた女性の7割は、やっぱりしんどい思いをして生きたきました。つまり、健康状態としてはよくなかったのです。これまでの疾病生成論の立場に立ったら、この70%の人に焦点を当てて、どうしたらよかったのかを考えることになります。でも、アントノフスキーは、残りの30%の人に注目しました。あれだけ過酷なストレスの大きな状況の中でも、健康に、または、あの経験を糧にして、より良く生きている女性たちがいる。その3割の人たちにはどういう力があったのか、インタビューをずっと重ねていって、出てきたのが、首尾一貫感覚、SOCというものなのです。
 首尾一貫感覚とは、把握可能感、処理可能感、有意味感、この3つの感覚をいいます。 把握可能感は、自分の置かれている状況やその後の展開を把握し、自分のことばで説明することができる。今の状況を把握することができる。こういう感覚です。
 処理可能感は、自分にふりかかっているストレスや障害に、自分自身の力や、外部の力を使えば、なんとか対処できるという感覚です。その人の持っている力といえば、レジリエンスという考え方があります。レジリエンスは、回復する力、逆境を生き抜く力と言われます。阪神淡路大震災のときには、PTSDがすごく注目されました。東日本大震災のときには、あのような過酷な状況にもかかわらず、ちゃんと生きている人たち、しっかりと自分の将来をみつめている高校生たちもいる。この人たちには、あれだけ大変な状況の中でも、しっかりと生きていく力があったことになります。
伸二2 僕には、その大変な状況をとても身近に感じる出会いがあります。吃音親子サマーキャンプに来ていた小学校6年生の女の子が、吃音でいじめられて、4月から8月まで、長い期間不登校になっていました。その子が家族と一緒に、僕たちの吃音親子サマーキャンプに来ました。そして、話し合いの中で、「みんなはちゃんと学校に行っているのに、私は行きたいのに、学校に行けていない」と、涙をぼろぼろこぼしながら話をしました。そのとき、みんながそのことに応答していって、いろんなことを話しました。最初はどうしようもないくらい暗い顔をしていたけれど、たった90分の話し合いの中で、彼女は、目が輝いて、これからなんとかやっていけると感覚をもったのでしょう。翌朝の作文では、「私はこれまでどもりに負けていた。けれども、これから、なんとかやっていけると思う」と書き、処理可能感をもつことができました。そして、キャンプが終わったら、すぐに、彼女はすでに夏休みが終わっている学校に行きました。その後、中学1年、2年のときも、遠く、宮城県女川町から吃音親子サマーキャンプに来ました。女川町と聞いたら、ぴんとくる人もいるかもしれませんが、2011年3月11日、あの津波が彼女の町を襲い、そして、彼女は、仙台育英高校に進学も決まり、制服もちゃんとあつらえていたにもかかわらず、お母さんと共に逃げ遅れて、残念ながら今もまだ遺体もあがっていない状態です。
41xDLTUJWlL._SX342_BO1,204,203,200_ そのことについて、『どもる子どもとの対話−ナラティヴアプローチが引き出す語る力』(金子書房)の本に、実際に90分の話し合いの中で、どういう話が出てきたのかということを書いています。そのとき、彼女は、レジリエンス、回復する力をもともと持っていたのだと思います。こういうものがなかったら、90分の話し合いをしただけで、やる気が出てきて、キャンプが終わったらすぐに学校に行くということはできるはずがありません。彼女に、回復する力、逆境を生き抜く力があったということです。このように、レジリエンスは、育てることもできるけれど、もともと持っていた力、その人に備わっていた力のことを言います。
 今から紹介する健康生成論の首尾一貫感覚は、もともと持っていたものも多少あるけれど、学童期、思春期に育てることができる。むしろ、思春期にこの感覚が高められて育っていくんだとアントノフスキーは言います。
 そう考えると、僕たちが1965年に会をつくって活動していたのは、当然学童期も思春期も終わっています。でも、アントノフスキーの言う3つの感覚、把握可能感、処理可能感、有意味感を、グループの中で、育てていったのだと思えました。
 過去のできごとは変えられないけれど、過去の意味づけは変わる、僕はそう実感しています。
 去年の秋、僕は東京大学先端科学技術センターで講演をしました。盲聾の福島智教授、脳性マヒで車いす生活の熊谷晋一郎准教授がいる所です。そこでは、当事者研究やバリアフリーについて研究しているのですが、そこから、僕の50年に及ぶセルフヘルプグループの活動を振り返って話をしてほしいと依頼がありました。そこで、一生懸命これまでのことを振り返ってみると、すごく大きな発見がありました。僕は、これまで、過去のことを振り返って、いろんな所で話をしているし、本にも書いていて、これ以上は語れないというくらい語っているのに、もう一度、振り返ってみると、ああそうだったのかという発見がありました。それは、どもれる体になったという、僕にとってはとても大きな発見でした。どもれる体とは、については、次回に。

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2019/8/14