2019年度全国公立学校難聴・言語障害教育研究協議会全国大会三重大会の吃音分科会
全難言大会三重大会・吃音分科会での、ことばの教室の実践発表
吃音の分科会。事務局の都合で変更になった分科会の部屋は、少々手狭な感じがしました。部屋の両脇にもイスを並べて、ぎっしり満員でした。
発表は2本。初めは、静岡県の発表でした。「吃音のある子どもへのトライアングルアプローチ〜ことばの教室と学びの教室の連携〜」というタイトルで、心理面、技能面にプラスして、身体的アプローチを行ったら、吃音症状の改善が見られたというものでした。心理面、技術面のアプローチだけではなかなか吃音の改善がみられなかったので、子どものからだの動きのぎこちなさに注目して、そこへのアプローチを試みたという実践です。筆圧が強すぎて、鉛筆の芯が何本も折れてしまうなどの細かな動作だけでなく、からだ全体のバランスの悪さに注目して、トランポリンやバランスボールを使って、子どものからだにかかわっていった実践です。それで、本人も家族も少し吃音が改善されたと喜んでいるとの報告でした。
2本目の発表は、神奈川県の土井幸美さんです。「対話で拓く吃音の世界〜どもる子どもたちの「ことばの力」を信じて〜」とのタイトルでした。まず発表者の背景から、話はスタートしました。養護学校やろう学校での当事者との出会いや、「ろう文化宣言」の精神に触れたこと、べてるの家の当事者研究に影響を受けたことをまず話しました。子どもを弱い存在、小さき存在に囲わないというのが、子どもと接するときに大切にしていることでした。パワーポイントによる説明だけでなく、実際にどもる子どもと対話をしている映像は、子どもも土井さんも楽しそうに対話しながら、本質的な話に向かっていきます。楽しそうで、ふたりのいい時間が流れているのが伝わってきました。どもる子どもとの関わりに、対話の重要さが伝わってきました。
事例発表は、A君、Bさんなどと子どものことは話しても、子どもにかかわる本人、教師のことが語られることは、ほとんどありません。子どもが変わっていくのは、教師と子どもとの関係性の中でです。このような事例研究のあり方に、村山正治・九州大学名誉教授は、パーソンセンタードアプローチの視点から「PCAGIP」と名付けた事例検討のあり方を提唱されています。僕は、発表するその人自身のことを語ってほしいと常に思っています。今回の土井さんもそうでしたが、僕たちの仲間のこれまでの全難言での発表もそのようなものになっています。
さて、一方は「吃音改善」のために、からだに注目した実践。もう一方は、吃音改善をめざさない「哲学的対話」の実践です。コーディネーターとして、何か共通するものはないか、発表を聞きながら考えていました。そこでふと思いついたのが吃音氷山説です。実は、事前に、発表内容を知らされたときには、共通点として、氷山説は思い浮かびませんでした。当日、ふたりの発表を聞き、今後の実践に使えそうな視点はないかと考えた時に、氷山説がふと出てきたのです。
このような全国規模での研修会で、実践発表をするとことは、勇気のいることです。発表してよかったと発表者が思って下さることがとても大事なことだと、コーディネーターの僕は考えています。共通項が見つかってよかったです。
吃音氷山説は、吃音は氷山のようなもので、海面に浮いている目の見える部分は、吃音の問題のごく一部で、本当の問題の大部分は水面上に沈んでいるというものです。
行動…どもりを隠し、話すことから逃げ、生活のさまざまな場面で消極的になる行動
思考…「どもりは悪いもの、劣ったもの、恥ずかしいもの」「どもりは治る、治さなければならない」などの、自分をしばり、みじめにする考え方
感情…どもることへの不安む、恐怖、どもった後の恥ずかしさやみじめさ、罪悪感など
からだ…緊張し、人とふれあうのを拒む体

ふたつの発表は、一方は技術面へのアプローチもしているものの、心理的アプローチもし、今回は「からだ」へのアプローチです。海面下の問題に注目しての実践であることは共通しています。そのことを、氷山説をもとに解説しました。僕たちが、竹内敏晴さんから「からだとことばのレッスン」で学んだことも少し話しました。「からだ」へのアプローチはとても大切です。今後「からだ」を意識した取り組みが多く出てくることへの期待も話しました。
ただ、「からだ」への注目は大切ですが、僕たちは、「吃音の改善」を目的にはしないことは伝えました。吃音に対してどのような考え方をもっているかで、指導・教育は変わります。たとえば、周りから見たら言語訓練をしているように見えても、目的が違えば本人に与える影響は全く違うものになります。「吃音を改善してあげたい」との目的で、音読や発声練習をするのと、吃音の改善は全く目的にせず、子どもの表現力を育てようと絵本や、文学作品を声を出して読むことを楽しむのとは全然違うのです。
そのことを伝えて、午前中の僕のコーディネーターとしての役割を終えました。僕の吃音の取り組みについては、午後から2時間の講義・講演があるので、そこで詳しく話そうと思います。役割を終えてほっとしました。
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2019/8/11
全難言大会三重大会・吃音分科会での、ことばの教室の実践発表
吃音の分科会。事務局の都合で変更になった分科会の部屋は、少々手狭な感じがしました。部屋の両脇にもイスを並べて、ぎっしり満員でした。


事例発表は、A君、Bさんなどと子どものことは話しても、子どもにかかわる本人、教師のことが語られることは、ほとんどありません。子どもが変わっていくのは、教師と子どもとの関係性の中でです。このような事例研究のあり方に、村山正治・九州大学名誉教授は、パーソンセンタードアプローチの視点から「PCAGIP」と名付けた事例検討のあり方を提唱されています。僕は、発表するその人自身のことを語ってほしいと常に思っています。今回の土井さんもそうでしたが、僕たちの仲間のこれまでの全難言での発表もそのようなものになっています。
さて、一方は「吃音改善」のために、からだに注目した実践。もう一方は、吃音改善をめざさない「哲学的対話」の実践です。コーディネーターとして、何か共通するものはないか、発表を聞きながら考えていました。そこでふと思いついたのが吃音氷山説です。実は、事前に、発表内容を知らされたときには、共通点として、氷山説は思い浮かびませんでした。当日、ふたりの発表を聞き、今後の実践に使えそうな視点はないかと考えた時に、氷山説がふと出てきたのです。
このような全国規模での研修会で、実践発表をするとことは、勇気のいることです。発表してよかったと発表者が思って下さることがとても大事なことだと、コーディネーターの僕は考えています。共通項が見つかってよかったです。
吃音氷山説は、吃音は氷山のようなもので、海面に浮いている目の見える部分は、吃音の問題のごく一部で、本当の問題の大部分は水面上に沈んでいるというものです。
行動…どもりを隠し、話すことから逃げ、生活のさまざまな場面で消極的になる行動
思考…「どもりは悪いもの、劣ったもの、恥ずかしいもの」「どもりは治る、治さなければならない」などの、自分をしばり、みじめにする考え方
感情…どもることへの不安む、恐怖、どもった後の恥ずかしさやみじめさ、罪悪感など
からだ…緊張し、人とふれあうのを拒む体

ふたつの発表は、一方は技術面へのアプローチもしているものの、心理的アプローチもし、今回は「からだ」へのアプローチです。海面下の問題に注目しての実践であることは共通しています。そのことを、氷山説をもとに解説しました。僕たちが、竹内敏晴さんから「からだとことばのレッスン」で学んだことも少し話しました。「からだ」へのアプローチはとても大切です。今後「からだ」を意識した取り組みが多く出てくることへの期待も話しました。
ただ、「からだ」への注目は大切ですが、僕たちは、「吃音の改善」を目的にはしないことは伝えました。吃音に対してどのような考え方をもっているかで、指導・教育は変わります。たとえば、周りから見たら言語訓練をしているように見えても、目的が違えば本人に与える影響は全く違うものになります。「吃音を改善してあげたい」との目的で、音読や発声練習をするのと、吃音の改善は全く目的にせず、子どもの表現力を育てようと絵本や、文学作品を声を出して読むことを楽しむのとは全然違うのです。
そのことを伝えて、午前中の僕のコーディネーターとしての役割を終えました。僕の吃音の取り組みについては、午後から2時間の講義・講演があるので、そこで詳しく話そうと思います。役割を終えてほっとしました。
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2019/8/11