吃音の夏のスタート

 時の流れは早いもので、今日はもう8月9日。公立学校難聴・言語障害教育研究協議会全国大会三重大会と親、教師、言語聴覚士のための吃音講習会も終わり、今は30回目の吃音親子サマーキャンプの準備をしています。記録として残しておきたいので、繰り返すところもありますが、もう一度、全国大会から講習会までを日記風に振り返ります。

 8月1日、特別な思いで、三重県津市に向かいました。その日から、全国公立学校難聴・言語障害教育研究協議会全国大会三重大会と、その後、第8回親、教師、言語聴覚士のための吃音講習会が開催されます。
 三重県津市は、僕の故郷。高校までを過ごしました。冗談でよく言うのですが、「いい思い出など何ひとつなかった」故郷です。ご存知の方もいらっしゃると思いますが、堀内孝雄の歌、確か「遠くで汽笛を聞きながら」のフレーズに「何もいいことがなかったこの街で」とありますが、まさにそのとおりです。
 鶴橋から近鉄電車・アーバンライナーに乗ると、2つ目の駅が津でした。タクシーで、会場の三重県総合文化センターに行きました。津市の中心部の町並みは変わりませんが、会場に近づくにつれ、新しい建物が増えてきます。
 とにかく暑い津でした。日本吃音臨床研究会の仲間が、書籍販売のブースに、送っておいた書籍を並べます。テーブルを2つ借りていましたが、いっぱいです。たくさんのことを考え、本として残してきたのだなあと思いました。
全難言大会 書籍ブース 毎年、全国大会では仲間が書籍販売をしてくれます。そこには、全国にいる知り合いが寄ってくれ、書籍販売ブースが「たまり場」みたいになっているのがおもしろいです。
 今大会の事務局長の辻大輔さんが、会場内を走り回っています。最後の力を振り絞って、全体を取り仕切っていました。
 初日は、基調提案と記念講演でした。その後、会場をプラザ洞津に移して、交流会です。
 ここで、僕の古くからの知り合いの小島玉子さんに会いました。長年ことばの教室の教師をし、三重県のことばの教室の中心人物です。小島さんとは、東京で開催された研修会で会いました。どういうきっかけで話しかけたのか覚えていませんが、津市出身だと分かり、意気投合しました。その小島さんとの長いつきあいで、三重県での大会では必ず僕を講師として呼んでくれました。1997年5月、僕のことを取り上げてくれた新聞の7回連載記事掲載の最終日、僕は、三重県言語・聴覚障害研究会の総会で記念講演をすることになっていました。新聞掲載の最終日に、故郷・津で、教師に向かって話すという不思議な縁に、過去とのひとつの決着を感じたのを覚えています。そのことについて書いた「スタタリング・ナウ」の一面記事は、また後日、紹介しようと思います。
交流会 民謡3人 小島さんは、僕たちの吃音親子サマーキャンプにも何度かスタッフとして参加してくれていますし、長いつきあいがあったからこそ、今回の全国大会の吃音のコーディネーターの話が僕に回ってきたのだと思います。その小島さんが直前に体調を崩したと連絡があり、心配していたのですが、交流会会場の入り口で、尺八の演奏で迎えて下さいました。また交流会ではお連れ合いの誠司さんの三味線と尺八の演奏と、尾鷲節の名人の民謡の素晴らしい声が、僕たちを歓迎してくれました。
 お酒が飲めない上に、非社交的な僕は交流会が大の苦手です。テーブルに座っているだけでしたが、次から次へとたくさんの人が話しかけて下さって、なつかしい再会もありました。静岡のわくわくキャンプでご一緒したことばの教室の担当者にも会いました。九州地区のことばの教室の人たちも話しかけてくれました。全国大会の吃音分科会のコーディネーターも何度もさせてもらっているおかげです。
 宿舎のホテルには、僕の仲間が全国から集まっています。一滴のお酒も飲めないのに、居酒屋に行くみんなにつきあいました。僕の仲間はお酒の席でも、吃音やどもる子どもたちの話ばかりしています。その他の話題は全くありません。本当に吃音を愛し、どもる子どもが大好きな人たちです。吃音に悩んで、そのせいで何もいいことがなかった故郷の津市で、全国から集まった僕のいい仲間と吃音の話で夜が静かにふけていきます。吃音に悩み、吃音に必死で取り組んできた僕へのご褒美のような楽しく、うれしい時間でした。
看板と共に 明日は、午前中が吃音の分科会、午後からは僕が講師をする吃音の講習会です。分科会では、仲間の横浜の土井幸美さんが発表します。「吃音を生きる子どもに同行する、教師・言語聴覚士の会」の仲間が集まっている中で、「対話でひらく吃音の世界〜どもる子どもたちの<ことばの力>を信じて〜」とのタイトルで、子どもたちとの実践を発表します。
 全国大会の1日目(2019年8月1日)は、こうして静かに過ぎていきました。

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2019/8/9