「福島は語る」を観て〜理解すること、知ることの大切さ


 土井敏邦監督が描きたかったという、ひとりひとりの等身大のことばと福島の風景。171分という時間の長さを感じさせないものでした。登場する人たちの語りは、重いのだけれども、その中に笑いもユーモアもあり、苦しみから這い上がってきたしなやかな強さを感じました。メディアが好むはしゃいだ「復興」という軽いことばとは正反対の、生活は大変だけれど、生きなくてはならないとの強い意志がしっかりと生活に根ざしている、そんなことばの重さを受け取ったような気持ちです。
 避難先で、原発事故の影響を受けた出身地を言えない子どもたちのあまりにも理不尽な現実に怒りがこみ上げます。その他、仮設暮らしをしている人、家も仕事も息子も失った男性など、どの人たちも慣れ親しんだ日常を奪われ、想像しなかった環境に身を置き続けています。
 将来の見通しがもてないことのつらさは、比ではないでしょうが、成人式のとき、吃音のために仕事をしている自分自身の姿を思い描けず、将来への不安一杯だった僕の体験につながります。よくフラッシュバックということを聞きますが、先日、フラッシュフォワードということばを初めて知りました。先の見えない不安は、恐ろしいものです。

 たくさんの、心に残ることばがありました。

 「こんな狂った人生になるとは夢にも思わなかった。でも、俺よりまだまだ不幸の人はいっぱいいんだど、土井さん。土井さん、そんなに心配しないでけろ」
 「大事に守ってきた土地、畑、それは私たちだけのものではないんです。私の前にばあちゃんがいて、その前のご先祖さんがいて、私の前の方々が大事に大事にその畑を作ってきたはずです。そういう場所なんですよ、畑は。だから、とても大切な所なんです」
 「こういう気持ち、この辛さを絶対もう福島県だけで終わってほしいの。だから絶対再稼働なんてことはあってはならないし、ほんとに福島の復興を願っているんだったら、また福島県人に復興させてくれると言っているんだったら、日本の国から原発をなくすことがほんとの福島県人に対する復興だと思うの」
 「最初は隠す。それが隠しようがなくなると、それをごまかそうとする。それには学者も絡む。それもごまかしきれなくなると、今度は範囲を狭めて、矮小化する。被害を否定できなくなると、範囲を狭める。そして、問題を終わりにしようとする。国家が民衆に対するときの姿勢は、基本的に全く変わっていない」
 「ある程度の年配者が寿命が縮まってでも故郷に帰りたいという気持ちは分かるんです」
 「汚染されても私の故郷なんだ」

 僕は、苦しかった思い出しかないせいか、故郷、土地、土に対して、大きな愛着を感じてきませんでした。特に、土に対して、さわってこなかったということもあるでしょうが、何の思いもなかったように思います。誰のことばだったか、遠く離れていても、土は、大地は、ずっとつながっている、続いていると書かれていました。福島の土と、ここ大阪の土はずっと地続きなんだと改めて思いました。
 知るべきことがたくさんあるということを知らされました。

 私たちの身近なところで苦しんでいる人々、現実を知らないということは「人間としての罪」といえると思います。知ったから何ができるかと言えば心許ないのですが、何かの時は、はせ参じることはできますし、行動は起こせます。知らないと、何もないのと同じになってしまいます。原発事故に対して無為無策、知らないふりをしている私たちの政府に対して、怒りは持ち続けたいと思います。

土井監督とサイン 上映後に、前回のブログで紹介した土井さんの舞台挨拶があり、その後、サイン会がありました。土井さんに挨拶をして、パンフレットにサインしてもらいました。仕事、領域は違いますが、少数派であること、いろんなことへの関心の視点では共通することは多く、土井さんとは表現者として戦友だと僕は認識しています。

 吃音の苦しみを理解してほしい、どもることの辛さを分かってほしい、このもどかしさを知ってほしい、そんな風潮が、今、漂っています。それを否定する気持ちは全くありませんが、吃音のことを知ってほしいと願うのなら、その思いと同じくらい、福島の人、沖縄の人、また遙か海の彼方の出来事であっても、平和や、人の人生を壊そうとしている勢力に対して、抵抗する人々、理不尽な立場に追いやられている人々への思いを、少しでも理解しようとする気持ちがなくてはならないと思います。
 比べることではないのですが、どもりの苦しさは、当事者の受け止め方で、抱えきれるものになると思うからです。

 映画を観た十三の第七芸術劇場に「名張毒ぶとう酒事件」の映画もかかっていました。僕が三重県の出身で、高校生の時に起こったこの事件は、よく覚えています。無罪判決を出した裁判長のこともよく知っていますし、「無実の罪」で牢獄に長く入れられた奥西勝さんのことも書きたいと思っています。

 ぜひ、「福島は語る」のドキュメンタリー映画をご覧下さい。自分の生き方をもう一度、自分自身に問いかける時間になると思います。

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2019/3/13