映画「福島は語る」を語る、土井敏邦監督の舞台挨拶
映画の後、横浜から駆けつけた土井さんの舞台挨拶がありました。心に残るお話だったので、メモをとったものを、記憶をたよりに紹介します。多少の違いはお許し下さい。
できるだけ多くの人にぜひ見てもらいたいという土井さんの思いを紹介します。

今日は3月11日、特別番組が組まれています。表面的な復旧の風景は伝えていますが、原発の問題については何一つ解決していません。僕はもともと子どもの頃からオリンピックが嫌いだったのですが、オリンピックに使うお金をさいてでも、被災地に使って欲しいと思いますし、この映画を見ると、原子力発電所を再稼働させる動きが、狂気としか感じられません。多くの人と、この思いを共有したいと思いますが、そうならない現実に、言いようのない虚しさを覚えます。
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2019/3/11
映画の後、横浜から駆けつけた土井さんの舞台挨拶がありました。心に残るお話だったので、メモをとったものを、記憶をたよりに紹介します。多少の違いはお許し下さい。
できるだけ多くの人にぜひ見てもらいたいという土井さんの思いを紹介します。

今日は3月11日、特別番組が組まれています。表面的な復旧の風景は伝えていますが、原発の問題については何一つ解決していません。僕はもともと子どもの頃からオリンピックが嫌いだったのですが、オリンピックに使うお金をさいてでも、被災地に使って欲しいと思いますし、この映画を見ると、原子力発電所を再稼働させる動きが、狂気としか感じられません。多くの人と、この思いを共有したいと思いますが、そうならない現実に、言いようのない虚しさを覚えます。
土井敏邦監督の舞台挨拶
この映画を作るにあたって、2つのことに力を入れました。
まず、ことばです。被災者の人の、目には見えない思いを、見えるようにするには、語ってもらうしかない。私は、その人たちの思いをどうしたら引き出せるかを考えました。事象や出来事を語っても、聞く人の胸に届かない。内面の、痛み、その人の人間が見えてくること。生きるとは、幸せとは、夢とは何なのかなど、人として共通する普遍的なテーマを引き出す語りを大切にした。相手の話を聞き出すときは、聞き手の私が、どう生きているか、何を大切に生きているのかが問われる。この人には語っていいんと思ってもらえるには、自分がどこまで裸になり、どういう生き方をしているかを相手に伝えるしかない。その意味で、私の人生そのものが映画に投影されているといえる。
もうひとつ、大事にしたのは、風景、光景。人々の生活、夢が失われたが、自然も失われた。この福島の風景を皆さんの目に焼き付けてほしかった。記憶にとどめておいてほしかった。
30数年、パレスチナを取材し続けきた私がなぜ福島なのか。パレスチナは、イスラエル建国で、60万、70万の人たちが故郷を奪われ、今、パレスチナ問題と言われるのは、故郷を取り戻す闘いです。人間にとって、故郷とは、土地とは何か、と問い続けていた。原発の人災で故郷を奪われた福島の人たちのことを伝えることは、私にもできる、私にしかできないこともあるのではと思って、福島に行った。パレスチナを福島に重ねることができた。でも、福島は、故郷だけでなく、放射能がある。除染をして人を帰すと言う。除染して果たして帰れるのかと思った。
人間が人間として生きる権利が奪われたのは、パレスチナも福島も同じだ。誰も責任を負わず、福島は終わったことになり、福島の人たちは忘れ去られている。一方で、東京オリンピック、大阪万博だとはしゃぐ人が許せない。だから、人間の生きる権利、尊厳、誇りを伝えなければいけないと思った。
映画の編集の段階で、「チェルノブイリの祈り」という本に出会い、衝撃を受けた。10年後に書かれたものだが、まさに人間を描いている。ひとりひとりの等身大の人生を描き、それを鏡に観ている自分自身を観る。皆さんも、あの人たちの生き方そのものに、自分の生き方を映し出しただろう。だから、福島も、チェルノブイリも、パレスチナも遠い問題ではない、普遍性がある。それは、私たち伝える人間の仕事だとの思いで作りました。観た人が長く感じなかったと言って下さるので、伝わっていると思います。それは、私の力ではない。あの人たちの力です。それだけの力をもった人たちなんです。福島原発の問題は終わった、片付いたと思っている人たちに、この映画をつきつけたいと思います。
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2019/3/11