高知での吃音相談会

 2018年の吃音親子サマーキャンプの2日目の夜、2回目の参加の高知の織田すみ子さんが相談があると話しかけてきました。お話を聞いてみると、高知でぜひ吃音キャンプをしたいとのこと。また大胆なことを、と思いましたが、織田さんは真剣そのものです。僕の話をぜひ、高知のみんなに聞いてもらいたいと熱心に話してくれました。秋は、島根、岡山、群馬、千葉、沖縄と各地のキャンプが続くので、12月であればぜひとお答えしました。
 高知へ帰ってからの織田さんの動きは素早いものでした。まず、子どもが通うことばの教室の担当者に、そして教育委員会に働きかけました。担当者が賛成してくれ、高知県の言語聴覚士会にも働きかけ、だんだんと高知でのスケジュールが決まっていきました。ひとりでも、熱意のある保護者の力の大きさを見せられました。そして、その保護者の思いを受け止めた担当者のおかげで、昨年をしめくくる高知でのイベントが実現したのです。キャンプは無理でしたが、どもる子どもの保護者のための相談会と言語聴覚士会の吃音研修が実現しました。
 ことばの教室の担当者のひとりが長年の知り合いだったことも大きかったようです。僕は、43年前に、全国巡回吃音相談会で高知を訪れています。そのとき、会場の手配をし、自宅に泊めて下さったのが、須崎市のことばの教室の教師であった川野通夫さんでした。川野さんのことは、別の機会に書きたいと思っていますが、その川野さんの指導を受けたことばの教室の担当者が今回の相談会・研修会の後押しをして下さいました。
ち 相談会看板ち 相談会日程表
 12月22日、朝7時30分に伊丹空港を出発しました。高知空港まで、フライト時間はたった37分でした。あっという間に高知龍馬空港に着きました。迎えに来て下さった織田さんの車で、桂浜に寄り、はりまや橋小学校へ。打ち合わせをし、ランチをいただき、ゆったりとした中で、吃音相談会が始まりました。参加者は、小学校1年生から中学校2年生までの本人と家族でした。初めは、子ども、保護者、ことばの教室の担当者全員に僕の話を聞いてもらいました。子どもにとっては、ちょっと難しかったかもしれませんが、小さな集まりでは、こうして全員の前で話をすることがあります。その後は、保護者と子どもに分かれて、話し合いの時間を持ちました。最後にまた全員が集まり、声とことばののレッスンとしての歌を歌い、ふりかえりをしました。短くも充実したひとときが終わり、午後6時から懇親会がありました。
ち 相談会織田さん高知6高知9
 そこで久しぶりの再会をしたのが、大阪教育大学の伊藤研究室に出入りしていた、当時京都大学の学生だった喜多順三郎さんでした。40年以上前に会ったきりだと思っていましたが、彼は1986年の京都での世界大会に参加していたと聞き、32年ぶりということになりました。400人参加していた世界大会で、喜多さんと会った記憶はなく、僕にとっては、40年以上の本当になつかしい再会でした。お互いに風貌は変化していますが、話し出すと、思わず、どもり方は変わっていない! あのときのままだ、と思いました。
 彼のどもり方は、ブロック(ことばがつまる、いわゆる難発)のどもっている間が絶妙で、とても思慮深い印象を聞き手に与え、つい聞き入ってしまいます。本当に素敵などもり方をします。映画や芝居では、清水次郎長一家の森の石松みたいにちょっとおっちょこちょいな人間として描かれることもあるどもる人ですが、彼はその正反対です。僕の場合は、森の石松型なので、彼のようなどもり方にひかれます。
 その場には、川野さんの親戚で、僕も会ったことがあるようなのですが、全く覚えていなかった、大崎聡さんという方がいました。翌日の研修会の企画をしてくれた人です。長年高知市でことばの教室の教師をし、言語聴覚士会の役員をしています。その他、言語聴覚士会の会長をはじめ、役員の方が参加して下さり、なつかしい話や言語指導・治療の現状の話など、尽きることなく話が続きました。
 43年前と、23年前にも講師として招いて下さったことのある高知。遠いと思っていた高知が、意外に近くにあること、そして物理的だけでなく、距離がぐんと縮まった気がしました。懇親会が終わり、高知の夜の商店街を歩きました。どこにこれだけ人がいるのだろうと思うくらい、にぎやかでした。川野通夫さんもお酒が大好きだったなあと思いながら、歩きました。では、その川野さんとの思い出は、次回に。

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2019/1/6