くまのプーさんのルーツ

 近くの絵本喫茶「ハーゼ」主催のお話会、6月4日のテーマは、「クマのプーさん」でした。クマのプーさんと言えば、ディズニーのキャラクターらしいのですが、僕はそのことも知りませんでした。そういえば、ディズニーランドに行ったとき、いたかなあという程度です。これまでのムーミン、キューピー同様、ほぼ何も知らない状態で、お話を聞きました。

 「クマのプーさん」は、1926年、イギリスの作家、アラン・アレキサンダー・ミルンによって書かれた物語に、E・Hシェパードが挿絵をつけました。ミルンは、息子クリストファー・ロビンの子ども部屋の住人であったぬいぐるみ(玩具)に、生命を与え、彼らにさまざまな事件を経験させ、それらをユーモラスに描きました。
 現代では、ディズニーのキャラクターとして知られていますが、それはウォルト・ディズニーが世界中に広めたからです。ミッキーマウスは1928年生まれだそうで、ミッキーより2歳年上だとのことでした。ディズニーの娘が、このプーさんのお話が大好きで、夜、『ウィニー・ザ・プー』の話を楽しそうに読んでいたそうです。それを見たディズニーも読んでみるとおもしろいので、これはぜひ、アニメにしたいと思い、スタッフをイギリスに送り、版権を譲ってもらおうとしました。なかなか許可してもらえず、ディズニーが版権を買い取るのに、21年もかかったそうです。ディズニーは、プーコーナーを作り、世界的に人気が広がりました。正確に言うと、21年目にやっと、ミルンさんが亡くなった後、その奥さんに頼んで、版権を譲ってもらったとのことでした。

 プーさんには、3人の父親がいると言われています。一人は、文字通りこのお話を書いた作家のアレクサンダー・ミルンさん。二人目は、挿絵を描いたシェパードさん。このやさしい、あたたかい絵が、人気作品になるために大きな役割を果たしています。そして、三人目は、世界的に広めていったウォルト・ディズニーです。

 プーさんに関する本は多く、ハーゼの長谷川雄一さんは、分厚い原書、『クマのプーさんと魔法の森』(求龍堂グラフィックス)、『プーさんとであった日』(評論社)なども含め、たくさんの本をお持ちでした。

 そして、驚いたことに、このプーさんのお話は、実話に基づいて書かれています。軍医が、戦争に行く途中、小グマに出会い、20ドルくらいで買い求め、戦地に連れていった。いよいよ最前線に行かなければならないというとき、そこへは連れていけないので、ロンドン動物園に預けた。クマは、小さいときから人間に飼われていたので、人間に慣れていて、一緒に並んで写真を撮ったりしていたのが、残っているそうです。お話のタイトルは、『プーさん』ではなく、『ウィニー・ザ・プー』だそうです。動物園のクマの名前がウィニーだったから、そのタイトルになりました。
クマのプーさん_0001
クマのプーさん_0002
 プーさんのお話には、息子をモデルにした少年が登場します。実の息子が、1歳のお誕生日に、ハロッズ百貨店から送られたクマのぬいぐるみを大切にしていました。ミルンさんは、子どもにとってぬいぐるみはそんなに大切なものなのかと思います。それと同時に、自分は子どものころ、どうだったのだろうと思いを広げたそうです。それらがヒントになって、お話を書きました。
 長谷さんは、その話のとき、幼児教育とからめて、次のように話されました。

 この物語は、6歳以前の幼児の世界を表しています、特にミルンは、物語を書くことによって、息子のクリストファー・ロビンの世界を知ると同時に、自分が過ごした幼年時代に戻ることが可能であることに気づきました。ここが、幼児教育に携わる人にとって、大変重要な意味を持ちます。彼は、自分の子ども(ロビン)の生活を探索しているうに、子どもにとってのおもゃの意味を再確認し、子ども特有の心理に気づき、その世界を探索したのです。幼児教育・保育・子育てのあり方を探っている人たちにとって、この探索行動と子ども性の気づきは、大変重要な意味があります。私たち大人がこの2つの視点を再考し、子どもの視点に立った、子どものための子育て・保育教育を考える機会を与えてくれる題材だと思います。

 私は先生なんだから、先生の言うことを聞け!ということではなく、自分が子どもでこう言われたらどう思うだろうかと振り返り、こういう言い方の方がいいのではと気づくのがいい先生じゃないかというのです。数学がとても得意で先生になった人は、子どもが間違えると、なんでそんなことを間違えるのかと思ってしまいますが、子どものころ、分からなかったという人が先生になると、自分の経験を生かして、その問題を丁寧に教えるのではないかというのです。「これは、難しいぞ。間違えるぞ」と言いながら教える。子どもたちは「間違わないよ」と言いながらも、やっぱり間違える。「なんで、間違えると分かっていたの?」と聞かれて、「先生も子どものころ、ここ、間違えたからな」と、子どもに笑いながら言う。得意な先生もいいけれど、分からない先生もなおいいということでしょう。

 550ページを超える原書、日本語訳も、それくらい分厚い本だそうです。その最後のページの訳がすばらしいと、長谷さんは紹介して下さいました。石井桃子さんの訳だそうです。分厚い本ですが、描かれているのは、登場人物が6歳までのことだけ。それ以降のことは書かれていません。それを明記した最後のページは、こんな英文が並んでいます。
皆さんなら、どう訳しますか? 翻訳者になったつもりで、考えてみませんかと、長谷さんは言いました。実際に、長谷さんが短大で学生にこの課題を出してみたことがあるそうです。石井桃子さんのようにはいかないが、とてもセンスのいい学生がいたとか。
石井桃子さんの訳は、次回、紹介します。

    The End
  When I was One,
  I had just begun.

  When I was Two,
  I was nearly new.

  When I was Three,
  I was hardly Me.

  When I was Four,
  I was not much more.

  When I was Five,
  I was just alive.

But now I am Six,I'm as clever as clever.
So I think I'll be six now for ever and ever.



日本吃音臨床研究会会長 伊藤伸二 2018/06/08