神戸での吃音相談会
4月15日は、35回目の神戸吃音相談会でした。あの大震災の年を除いて、ずっと毎年、開いていると、会長の伊藤照良さんは言います。

神戸スタタリングプロジェクトの毎月1回の例会も兼ねているこの相談会、新しい人4名を含む19名が参加しました。会場の市民福祉交流センターの401号室、いつものように、丸く円になり、座りました。「始めます」という進行役のことばで、すぐスタートしました。
新しい参加者を中心に、聞きたいこと、知りたいことを質問してもらって、それに答えながら、対話をするという方法で進めました。

40代女性が、今一番困っているのは、面接と電話だと話しました。面接では、準備しても忘れてしまって頭が真っ白になるし、電話は早く言うように相手にせかされるとペースが乱れるので苦手だとのことでした。面接と電話に対する対処法について話がすすんでもいいのですが、やはりなぜ真っ白になるのか、相手にせかされたらなぜ話せなくなるのか、背景があると僕は思いました。
丁寧に話を聞いていくと、彼女の母親との関係に発展しました。母親は何でもテキパキとする人で、「私にはできるのに、私の娘のあなたがなぜ、できないのか」と責められるそうです。長い間、そのような関係が続いてきたので、それが親からのプレッシャーだとか、親は親、自分は自分と切り離して考えていいということになかなか気づけなかったようでした。
僕は、過激に言わないと長年染みついている母と子の関係は変わらないと思い、あえて、「そんな、アホな母親の影響を受ける必要はない。聞き流したら」と母親との関係を見直すことをすすめました。そういうふうにも考えられるのかと、新しい発見をしたような発言が続きました。母親との関係を見直さない限り、面接や電話の相手との関係を適切なものにすることはできないと思います。
また、大切なのは、「比べないことだ」と伝えました。人間の苦しみのほとんどは、自分と他者、過去の自分、理想の自分と今の自分と比べることにあります。テキパキする母親と比べることをやめる。どもりの問題を考えるときも、比べないということは大切です。どもらない人と比べても何の意味もありません。今、どもっているままの自分で、これからも生きていかなければならないのですから。
2人目の女性は、自分のどもりのこともあるが、息子のどもりのことも心配だと言います。息子にはどもり以外でも心配なことがあるとのことでした。吃音以外のことで、僕が何かできることはないので、それは深く追求しませんでしたが、原則として、20歳を過ぎた人の場合、本人に任せるしかないのではと思っています。彼女自身は、今、職場での人間関係で気になることがあるようでした。どもることで、会話がポンポンと続かないことがあって、それを相手がフフンと笑うように見えることが気になると言います。
気になるのなら、相手に直接聞いて確かめてみたらと言うと、「あっ、そうですね」とびっくりされていました。どもる人は、案外、相手がこう思っているに違いないと自分で想像して、悩んでいることが少なくないようです。推測や想像をしないで確かめてみることは必要です。確かめて厳しい現実を知ったとしてもそれは受け止めるしかありません。 また、会話が続かず、少し間があくと、どうしてもどもる人はその全責任が自分にあると感じてしまうけれど、それは、半々だということを、僕は話しました。
次に、自分の名前や会社名が言えなくて困っていると男性が話しました。言い換えのできない固有名詞、特に自分の名前が言えないのは、確かにつらいことです。でも、みんな何らかの対処法を考えているはずです。僕は、参加者全員に、名前など言葉が出ないときどうしているか、ひとりひとりに尋ねていきました。前に言いやすいことばをつけてその勢いで言うとか、紙に名前を書きながら、注意転換をしながら言うとか、歌うようにリズムをつけて言うとか、極端にゆっくり言うとか、いろいろありました。
聞き返されるのが嫌だとの話だったので、僕は、そのときがチャンスだと話しました。聞き返されたら、極端にゆっくり言えばいい。僕たちは「名前」をちゃんと言うことにこだわり過ぎています。電話や自己紹介など、人は、相手の名前なんていい加減に聞いています。どうしても正確に、確実に名前を言わなければならない場は、日常生活でほとんどありません。名前を聞き間違えられても問題はありません。そのままにしておけばいいのです。「名前」をどもらずに、きちんと言うことは、そんなにたいしたことではない。どうでもいいことに命をかけることはないと言うと、もう一人の男性も、そんな考えがあったのか!とびっくりされていました。
どもることを、周りのみんなが知ってくれると、楽になるという話も出ました。人それぞれに工夫してサバイバルして、悪あがきもして、がんばってみる。そして、どうしても出なかったら、どもってもいいと覚悟をしておく、結局はそれに尽きるように思います。

最後に、参加した人から、感想を聞いて相談会は終わりました。
・人と比べないことが大事ということばが心に残った。
・相手のペースにのらないようにしたい。
・名前なんてどうでもいいという話に驚いた。居酒屋の予約をとるとき、名前が言えなくて困っていたけど、言いやすい名前を言ったらよかったんだと思ったら、気が楽になった。・名前を言うことに全エネルギーを費やしていた。本当は、名前を言ったあとの内容が大事だったのに。
・会話の沈黙やその場の空気が悪くなったのは、自分のせいだと思っていたけど、五分五分と聞いて、はっとした。
・求めない、比べないって大事だと思っていたけど、改めてそう思った。
・どもりも結構いいものだなあと思った。
2018年度になって、大阪吃音教室の僕の講座はもうすでに2回ありましたが、大阪以外の場所で吃音の話をするのは、この神戸での相談会が初めてでした。40年の長いつきあいになる伊藤照良さんが会長をしている神戸スタタリングプロジェクトの恒例の相談会。吃音の話は、今年度も尽きずに続いていくのだろうなと思いました。新しい人が参加してくれて、新鮮な気持ちで話すことができました。
同時に、長いつきあいになる方との再会もうれしかったです。内藤さんと名村さん、お二人との出会いも、それこそ20年、30年も前の吃音相談会でした。お二人とも、そのときの出会いをいつまでも覚えていて、出会えて良かったと言って下さいます。それは、僕も同じです。これまでの出会いに感謝し、また、これからの出会いを楽しみにして、相談会会場を後にしました。
日本吃音臨床研究会会長 伊藤伸二 2018/4/19
4月15日は、35回目の神戸吃音相談会でした。あの大震災の年を除いて、ずっと毎年、開いていると、会長の伊藤照良さんは言います。

神戸スタタリングプロジェクトの毎月1回の例会も兼ねているこの相談会、新しい人4名を含む19名が参加しました。会場の市民福祉交流センターの401号室、いつものように、丸く円になり、座りました。「始めます」という進行役のことばで、すぐスタートしました。
新しい参加者を中心に、聞きたいこと、知りたいことを質問してもらって、それに答えながら、対話をするという方法で進めました。

40代女性が、今一番困っているのは、面接と電話だと話しました。面接では、準備しても忘れてしまって頭が真っ白になるし、電話は早く言うように相手にせかされるとペースが乱れるので苦手だとのことでした。面接と電話に対する対処法について話がすすんでもいいのですが、やはりなぜ真っ白になるのか、相手にせかされたらなぜ話せなくなるのか、背景があると僕は思いました。
丁寧に話を聞いていくと、彼女の母親との関係に発展しました。母親は何でもテキパキとする人で、「私にはできるのに、私の娘のあなたがなぜ、できないのか」と責められるそうです。長い間、そのような関係が続いてきたので、それが親からのプレッシャーだとか、親は親、自分は自分と切り離して考えていいということになかなか気づけなかったようでした。
僕は、過激に言わないと長年染みついている母と子の関係は変わらないと思い、あえて、「そんな、アホな母親の影響を受ける必要はない。聞き流したら」と母親との関係を見直すことをすすめました。そういうふうにも考えられるのかと、新しい発見をしたような発言が続きました。母親との関係を見直さない限り、面接や電話の相手との関係を適切なものにすることはできないと思います。
また、大切なのは、「比べないことだ」と伝えました。人間の苦しみのほとんどは、自分と他者、過去の自分、理想の自分と今の自分と比べることにあります。テキパキする母親と比べることをやめる。どもりの問題を考えるときも、比べないということは大切です。どもらない人と比べても何の意味もありません。今、どもっているままの自分で、これからも生きていかなければならないのですから。
2人目の女性は、自分のどもりのこともあるが、息子のどもりのことも心配だと言います。息子にはどもり以外でも心配なことがあるとのことでした。吃音以外のことで、僕が何かできることはないので、それは深く追求しませんでしたが、原則として、20歳を過ぎた人の場合、本人に任せるしかないのではと思っています。彼女自身は、今、職場での人間関係で気になることがあるようでした。どもることで、会話がポンポンと続かないことがあって、それを相手がフフンと笑うように見えることが気になると言います。
気になるのなら、相手に直接聞いて確かめてみたらと言うと、「あっ、そうですね」とびっくりされていました。どもる人は、案外、相手がこう思っているに違いないと自分で想像して、悩んでいることが少なくないようです。推測や想像をしないで確かめてみることは必要です。確かめて厳しい現実を知ったとしてもそれは受け止めるしかありません。 また、会話が続かず、少し間があくと、どうしてもどもる人はその全責任が自分にあると感じてしまうけれど、それは、半々だということを、僕は話しました。
次に、自分の名前や会社名が言えなくて困っていると男性が話しました。言い換えのできない固有名詞、特に自分の名前が言えないのは、確かにつらいことです。でも、みんな何らかの対処法を考えているはずです。僕は、参加者全員に、名前など言葉が出ないときどうしているか、ひとりひとりに尋ねていきました。前に言いやすいことばをつけてその勢いで言うとか、紙に名前を書きながら、注意転換をしながら言うとか、歌うようにリズムをつけて言うとか、極端にゆっくり言うとか、いろいろありました。
聞き返されるのが嫌だとの話だったので、僕は、そのときがチャンスだと話しました。聞き返されたら、極端にゆっくり言えばいい。僕たちは「名前」をちゃんと言うことにこだわり過ぎています。電話や自己紹介など、人は、相手の名前なんていい加減に聞いています。どうしても正確に、確実に名前を言わなければならない場は、日常生活でほとんどありません。名前を聞き間違えられても問題はありません。そのままにしておけばいいのです。「名前」をどもらずに、きちんと言うことは、そんなにたいしたことではない。どうでもいいことに命をかけることはないと言うと、もう一人の男性も、そんな考えがあったのか!とびっくりされていました。
どもることを、周りのみんなが知ってくれると、楽になるという話も出ました。人それぞれに工夫してサバイバルして、悪あがきもして、がんばってみる。そして、どうしても出なかったら、どもってもいいと覚悟をしておく、結局はそれに尽きるように思います。

最後に、参加した人から、感想を聞いて相談会は終わりました。
・人と比べないことが大事ということばが心に残った。
・相手のペースにのらないようにしたい。
・名前なんてどうでもいいという話に驚いた。居酒屋の予約をとるとき、名前が言えなくて困っていたけど、言いやすい名前を言ったらよかったんだと思ったら、気が楽になった。・名前を言うことに全エネルギーを費やしていた。本当は、名前を言ったあとの内容が大事だったのに。
・会話の沈黙やその場の空気が悪くなったのは、自分のせいだと思っていたけど、五分五分と聞いて、はっとした。
・求めない、比べないって大事だと思っていたけど、改めてそう思った。
・どもりも結構いいものだなあと思った。
2018年度になって、大阪吃音教室の僕の講座はもうすでに2回ありましたが、大阪以外の場所で吃音の話をするのは、この神戸での相談会が初めてでした。40年の長いつきあいになる伊藤照良さんが会長をしている神戸スタタリングプロジェクトの恒例の相談会。吃音の話は、今年度も尽きずに続いていくのだろうなと思いました。新しい人が参加してくれて、新鮮な気持ちで話すことができました。
同時に、長いつきあいになる方との再会もうれしかったです。内藤さんと名村さん、お二人との出会いも、それこそ20年、30年も前の吃音相談会でした。お二人とも、そのときの出会いをいつまでも覚えていて、出会えて良かったと言って下さいます。それは、僕も同じです。これまでの出会いに感謝し、また、これからの出会いを楽しみにして、相談会会場を後にしました。
日本吃音臨床研究会会長 伊藤伸二 2018/4/19