沖縄嘉手納での幼児吃音 2017.11.5
沖縄県嘉手納市の社会福祉協議会主催の「幼児吃音の理解と臨床」と題した、僕の講演の前半部分を何回かに分けて紹介します。僕は、本当にドジで、90分の話の後、休憩しましたが、そのときにボイスレコーダーを止めて、そのままになっていたために、肝心の今後どうするかの後半の部分が記録されていません。前半の部分だけですが、それでも意味があると思いますので、紹介します。

こんにちは。どのような方がおられるのか、アンケートをとらせて下さい。言語聴覚士の方、保護者の方、保育・幼稚園関係の方。はい、様々な領域の方にお聞きいただくこと、ありがたいです。
吃音ということばを知らなかった人? 何人かいますよね。私が教えている言語聴覚士養成の専門学校の学生の中にも、吃音ということばを専門学校に来て初めて知ったという人もいます。吃音の「吃」は、古い漢字で、吃音以外では使わないので、吃音ということばを知らない人は少なくありません。私の子どもの頃は「どもり」としか知りませんでした。それが最近、「どもり」が放送禁止用語のように扱われています。禁止ではなく、メディアが勝手に自主規制しているだけなのですが、あまり使わないようにしているのは事実です。差別語ではないかと言われたりしていますが、私は決してそう思っていません。むしろ、「どもり」ということばをどんどん使ってほしいと思っています。
私たちは、できるだけどもりということばを使ってほしいとずっと思ってきました。どもる人は、人口の1%と言われているので、沖縄にもたくさんいるはずです。周りにどもる人はいると思うけれど、本人がどもりを隠して、できるだけ周りに知られないようにしているので、なかなか気づいてもらえません。また、どもりぐらいたいしたことはないという考え方も根強いし、どもったりどもらなかったり、場面によって違ったり、すごくどもるときとどもらないときがあったりするので、正しい理解がされないのです。
吃音の研究・臨床は、1903年から始めた、東京音楽学校の校長の伊沢修二がおそらく世界でも最古の部類に入ると思います。東京の小石川の楽石社から始まり、本格的には1920年ごろから行われ、1930年代には、アメリカのアイオワ州立大学で大きな発展を遂げています。研究・臨床の歴史は古く、紀元前から文献に出てくるほどの吃音ですが、残念ながら原因は分かっていません。こうではないかという説はたくさんありました。
原因説で有力なものとして、ウェンデル・ジョンソンの診断起因説があります。どもりは、「子どもの口から始まるのではなくて、母親の耳から始まる」というもので、2、3歳の、誰にでもある非流暢な、どもるような子どもの話し方を「どもりだ」と発見・診断することによって、吃音が始まるという説です。この診断起因説は、親に対していい聞き手になりましょうということを提唱したことではいい面もあったのですが、どもりは母親が作る、母親が原因なのだという説が流れたために、相談に行くと、お母さんの育て方が問題なんじゃないかとか、プレッシャーを与えたのではないか、厳しすぎたのではないかと言われて、母親が悪者にされた時代がかなり長く続きました。
今はもう母親が原因だという説は完全に否定されていますが、未だに、小児科でも児童相談所でも、ついつい母親に原因を求める動きもあり、残念なことだと思います。どもる原因に、母親は関与していません。これは知っておいてもらいたいことです。
ところが、このジョンソンが、実は大変な人体実験をしていたということが60年ぶりに明らかになって、そのことをNHKのBS番組が取り上げることになりました。ディレクターから連絡があって、ジョンソンがどういう人なのか、どういう人体実験だったのか、知りたいということで、相談にのり、2時間くらい話をしました。来年1月25日夜の10時、BSプレミアムで放映される「フランケンシュタインの誘惑」という番組です。ウェンデル・ジョンソンは、母親が原因だということを証明するために、実験をします。実験には、親の同意が必要なので、その同意が必要ない孤児院にいる子ども22名、吃音の子どもと吃音でない子どもをランダムに半分に分けて、半分には温かい、子どもがどんなにどもろうとやさしく受け止めて、いい環境を作った。片方は、ちょっとでもどもると指摘をして、ゆっくり言いなさいと投げかけた。その11名の中には、どもる子もどもらない子もいた。いい働きかけをするのと、悪い働きかけをするのと、どう違うか実験をする。考えたら大変な実験です。
ジョンソンは、誤った環境、厳しいことばをかけると、どもらなかった人間でもどもるようになるのではないか。人工的にどもりが作れるのではないかという結果を導き出したかった。ジョンソンとしては、いいふうに考えれば、よりよい聞き手になりましょうということを導き出したかったのでしょうけれど、求めた結果は得られなかった。どもる子どもを作ることもできなかったし、いい聞き手になったとしてもどもりがそれほど改善されたわけでもなかった。その研究は封印されて、60年が経ちました。
厳しく接した中の半分が、吃音ではないにしても、精神的に異常を来していました。また、なぜこの人は社会に出ていかないのだろうかと調べた結果、その人はこういう実験をされていたということがジャーナリストから知らされて、そういう実験のために、私はこんな生活になったのだということになり、訴訟があって、大学側が賠償金を支払ったということがありました。ジョンソンの実験は、あってはならない実験で、こんなひどいことがあったと紹介する意味で放送するというのが、番組の作り手の趣旨です。
そこから、学ぶことがあります。子どもがどもったり、言いよどんだりしたときに、それを温かく、どんなにどもっても受け止めることの大切さ、マイナスの刺激を与えることの弊害は、学ぶべきことでしょう。
もう少し挙げてみます。今、吃音は、言語聴覚士という専門職者がいて、それがゆえに、子どものどもりを治してあげたい、治そうとします。言語訓練をしようとするのです。本当にそのことが、子どもの役に立っているのかということを考えたいと思います。
僕は、吃音に治すことにこだわってはいけない、むしろ言語訓練はしない方がいいと45年以上、ずっと言い続けてきました。吃音はどう治すかではなくて、どう生きるかということを考えて、子どもの健やかな全体的な成長を支えることが大切だと、僕は考えて、「吃音を認めて、吃音と共に豊かに生きる」ためにこそ、努力を続けるべきだと、ずっと、提唱してきました。でも、なかなか言語病理学の世界の潮流はそうはいきません。やはりどもっている子どもを見ると、治しておいた方がいい、改善しておいた方がいいに決まっている。そうしないと、将来、小学校に入学したらいじめられるのではないかと、将来に対する不安から今のうちに治しておかなければならないとして、訓練が行われています。
幼児吃音の臨床を考えてみると、初期の段階で、いい聞き手になりましょう、言い直しをさせたり、ことばに注意を向けたするのではなくそのままを聞きましょうと言われています。「環境調整」ということば、これは僕の嫌いなことばですが、どもる子どもの聞き手の環境をよりよいものにしましょうと言われてきました。特に母親に、いい聞き手になろうという指導がされてきています。幼児吃音の臨床は、「親へのガイダンス」が中心で、子どもに対しては「遊戯療法」が中心で、直接的な言語指導はしないのが常識でした。
ところが、最近、出てきたのが、オーストラリアのシドニー大学のリッカムキャンパスから始まった「リッカムプログラム」です。ウェンデル・ジョンソンは、幼児期は、ことばの訓練はしないでおきましょう、するにしても学童期以降にしましょうと言っていましたが、このプログラムは、幼児期に訓練をしましょう。子どもがどもったら、そうじゃないでしょう。こうでしょうと、言い直しをさせるというものです。言い直しをさせてはいけないとジョンソンが言ってきたのに、180度変えて、言い直しをさせるというものです。これまでの幼児吃音の臨床の問題点をきちんと検証し、問題点をあげた上で、「幼児期から流暢性形成の訓練」が出てきたのではないのです。2004年、オーストラリアのパースで第7回吃音国際連盟の世界大会が開かれたとき、言語聴覚士養成の大学院の学生の多くと話しました。すると、幼児期の吃音の自然治癒が80パーセント、あるいは45パーセントと言われていた時代に、彼女たちは10パーセントだと教えられていました。そのままにしておいては、自然治癒が多くないので、幼児期から言語訓練すべきだという主張でした。
「リッカムプログラム」はまだ沖縄には上陸していないようですが、阻止してほしいと思っています。関東地方では、言語聴覚士やことばの教室の教師がそれを勉強して、子どもに教えるという流れが出てきています。これは、どもる子どもや親にとって、とてもつらいことです。子どもは自分が表現したいこと、伝えたいことがいっぱいあって、どもってでも一所懸命話そうとする。それを、どもっていたら、止められて、言い直しをさせられる。すると、子どもは自分の表現がだめなんだと思ってしまう。つまり、どもることに対して、流暢でないことに対して、ネガティヴな意識、感情をもってしまう恐れがあります。ここに、大きな問題があると思っています。
残念ながら、言語障害の分野では、僕が45年前から「吃音をネガティヴなものとして意識することが一番の問題だ」と言い続けてきているのに、全然変わりません。相も変わらず、治さなければならない、治した方がいいと言っています。
言語病理学という狭い世界は全く変わらないのだけど、そのほかの領域は、治そう、改善しようとか、マイナスのものをなんとか変えようという、ネガティヴなものを変えていこうという動きはあまり効果がないだろうと、今、大きな方向転換が始まっています。それを紹介します。今回は、レジリエンスとポジティヴ心理学をお話して、子育てについて考えたいと思います。 (続きます)
日本吃音臨床研究会 伊藤伸二 2018/02/02