吃音親子サマーキャンプの子どもたちと共通する笑顔

 10月に放送されたこの番組「静かで、にぎやかな学校 —手話で学ぶ明晴学園—を再放送で見ました。明晴学園は、以前僕を取材し、ドキュメンタリー「報道の魂」で吃音について紹介して下さった、元TBSのディレクター斉藤道雄さんが開校時から校長を勤められていた、日本で唯一の手話を第一言語にして授業するろう学校です。 

 一度見学に行きたいとずっと思っていて実現していません。今回映像で子どもたちのいきいきと生活し、学んでいる姿に触れ、感慨深いものがありました。大阪教育大学の教員時代、ろう学校に教育実習に行く学生の指導や、ろう学校の文化祭などに参加した経験があるからです。当時、口話法が全盛の時代で、手話が禁じられていました。いわゆる「ふつう」に近づけようと、厳しい言語指導も行われていました。その姿は、当時の僕には痛ましいものと感じられました。
 「聴覚障害児の自己概念教育」という、どこにも投稿していませんが、僕が書いた文章があります。高校を卒業するまでは、ろう者として生きられず、社会に出て、ろう者が生き生きと手話で会話をしている姿に触れ、ろう者として生きるようになる。幼児期・学童期・思春期の教育が、聴覚障害の子どもの自己概念を奪っているのではないかと主張する、「聴覚障害児の自我同一性形成について」の論文(『ろう教育科学』Vol.32 1990.7.15 滋賀県立八日市養護学校・坂田浩子)に共感して書いたものです。
 その文章は、機会があれば紹介したいと思います。

 明晴学園の子どもたちの、生き生きと手話を使って会話をする姿は、吃音親子サマーキャンプでの3日間のどもる子どもたちの姿とダブリました。「どもることがふつう」の環境の中で、子どもたちは生き生きとどもりながら平気で、話し合いや劇に取り組みます。キャンプでどもりながら会話を楽しんだ子どもは、キャンプの場だけでなく、学校生活でも平気ではないにしても、話すことから逃げないで、話し始めます。
 「ふつう」に近づける教育ではなく、その子どもが、その子どもとして生きる力を育てたいと思います。6年生の児童会長がこう手話で言っていました。
 
 「ろう者は、聴者から障害者だと見られています。聞こえないこと以外はすべて同じなのに障害者と言われたくありません。対等でありたいです」

 この心からの訴えを僕はきちんと受け止めたいと思います。
 初代校長の斉藤道雄さんは、「ろう児にはろう児の生き方があり、その生き方を支えるのが手話ということばだ」と言います。僕は「どもりを治す・改善する」のではなく、「吃音を生きる」子どもの生き方を支えたいと思います。「ろう」と「どもり」は本質的にはまったく違うものですが、「ふつう」に近づくことを目指さない僕の吃音観と共通します。だから、斉藤さんも僕の考え方に共感してくださつたのでしょう。
 明晴学園の子どもたちの笑顔に触れ、吃音親子サマーキャンプの子どもたちを思ったのでした。吃音親子サマーキャンプの子どもたちへメッセージは次の3つです。
 あなたはあなたのままでいい
 あなたはひとりではない。
 あなたには力がある

 NHKのホームページの記事を紹介します。

 
休み時間もシーン、授業もシーン。子どもたちは大はしゃぎなのに、どの教室も静かな、手話だけの学校があります。品川区にある学校法人「明晴学園」。幼稚部から中等部まで約60人が通うこの学校では、数学も、社会も、英語も全て手話で学びます。もちろん、休み時間の友だちとの会話も、全て手話。
実は、全国86校のろう学校のうち、手話を第一言語にして授業をするのは、ここ 1校だけ。ほんの10数年前まで、手話は日本語獲得の邪魔になるとされ、ろう学校で禁じられてきました。そんな中、「子どもたちが “母語”を身につけ、深い学びを得られる学校を」と、ろう者・ろう児の親たちが声をあげ、9年前に開校しました。番組では、小学部を中心に子どもたちの手話だけの世界をみつめます。今の社会は、聞こえることが前提で、聞こえないことは「不便」とされてしまいます。しかし、教室を見据えると、手話で生きることの何が不便なのか不思議に思え、「障害」と思っているものが、違って見えてきます。子どもたちの小さな手が紡ぎ出す豊かなコミュニケーションの世界に「目」を傾けてみませんか。

 日本吃音臨床研究会会長 伊藤伸二 2017/12/14