言友会中部大会

 言友会中部地区大会で話してきました。言友会から離れて20年以上が経ち、ほとんどの言友会と関係がなくなりました。唯一、関係が続いているのは、岡山言友会くらいですが、今回は長年の親友、岐阜言友会の村上英雄さんからの依頼があったので、出かけることができました。村上さんとのつきあいは、もう45年になります。

 21歳のとき、僕は、どもりを治すために東京に行き、正生学院で必死に訓練しました。でも、僕の吃音は治りませんでした。そして、そのとき出会った人たちとセルフヘルプグループ・言友会を作りました。
 村上さんは、言友会が創立して4、5年くらい経ったときに、言友会に入ってきました。僕が運営委員長の時、事務局長として僕を支えてくれました。事務所をつくるために、真っ黒になってアルバイトをした写真に一緒に写っています。
 村上さんが、大阪教育大学に行って吃音の勉強をしたいと言い出し、以前から知っていた神山五郎先生を紹介するため、一緒に会いに行きました。そのときの話が面白かったので、僕も大阪教育大学行きを決めました。このことは、以前のブログでも書きました。
 ついていった僕が、大阪教育大学に残り、その後、そこから活動を広げていきました。今の僕をつくるきっかけに、彼は大いに貢献してくれたことになります。その彼からの依頼ということで、すぐに引き受けました。

 秋は、静岡、岡山、島根、群馬などで、どもる子どもたちやその保護者、担当者たちとのキャンプが続いています。そんな中で、どもる大人が対象の集まりは、久しぶりの感じがしました。

 10月28・29日、会場は、岐阜県高山市の「お宿・信田」でした。40人くらいの参加です。懐かしい顔もたくさんありました。みんな、それなりに年を重ねてきています。僕も、同じだけ年を重ねてきました。「伊藤さんが来ると聞いて、参加しました」と言ってくれた人も何人かいました。

岐阜中部大会 横断幕
岐阜中部大会 講演中の伸二
岐阜中部大会 伊藤とみんな
岐阜中部大会 集合写真

 今、僕が考えている吃音哲学を語りました。その後、歌を歌い、詩を読み、言語訓練ではない、声を出す喜び、表現する楽しさを知ってもらいたいと思い、日本語のレッスンをしました。

 4時間ぶっ通しの私の話は、歌やことばのレッスンを入れたとはいえ、参加者にはしんどかったかもしれません。
 年を重ねてくると、もうどもっていることが大きな問題ではなくなるようです。自分だけのことを考えたらそのとおりでしょう。僕ももちろんそうですが、僕の経験が、次の世代に受け継がれていってほしいなとは思っています。僕たちがしてきた、同じ失敗は繰り返さず、吃音とともに豊かな人生を歩んでほしいのです。
 
 使命感に燃えているわけではありません。ただ自分が楽しいからしているのですが、どこかで誰かの役に立っていればこんなにうれしいことはない、そんなことを思いながら、今、活動を続けています。その後の懇親会は、盛り上がっていたようです。交流を深めることも、大切な活動のひとつです。

 翌日は、台風の影響もあり、少し先に失礼して、大阪に戻りました。

 2週連続で週末は、台風の影響を受けました。なんとか早く切り上げるなどして直撃を受けずに済みました。

 さあ、週末3度目は沖縄です。幼児吃音について話します。多くのどもる人の経験から、今の教育・医療・福祉の現場の大きな変化から、吃音だけが取り残されているのが残念でなりませんが、最近の大転換の話を、吃音に結びつけて話す予定です。今後、幼児期の吃音について、発言していこうと思っています。沖縄がそのスタートになります。
 日本吃音臨床研究会会長 伊藤伸二 2017/11/01