全難言大会の講習会「吃音」の資料のつづきです。当日はこのようなことを話したつもりです。
対話の実際 1 オープンダイアローグ
オープンダイアローグは、「急性期精神病における開かれた対話によるアプローチ」です。当事者か家族から最初に相談を受けた、医師、看護師などが、治療チームを招集し、24時間以内に初回ミーティングを、本人の自宅や病院、ホテルの一室などで行います。入院させ、薬物療法が中心だったのが、薬を使わず、入院もせずに「開かれた対話」だけで回復する成果は驚異的だと、世界で注目されています。複雑な理論や資格も不要ですが、開発者のセイックラ教授は、オープンダイアローグが「技法」や「治療プログラム」ではなく、「哲学」や「考え方」だと強調しています。そのまま、ことばの教室に導入することはできないまでも、その「哲学・考え方」は生かしたいものです。オープンダイアローグを正しく実践するための12項目の中のいくつかを紹介します。
対等性 すべての参加者の発言は対等に尊重されます。本人を自分の課題の主人公だと考え、「本人抜きでは何もしない」が原則です。
応答性 どんな発言にも速やかに応答します。発言者の言葉を使い、しぐさや行動、表情などのメッセージを受け止め、対話を進めます。
不確実性への耐性 診療なら初診時点で診断と同時に、「どんな治療をするのか」「病状の見通しはどうか」の内容が医師から本人に伝えられます。オープンダイアローグでは最初から「診断」はせず、あいまいなまま進みます。最終的な結論が出されるまでは、あいまいな状況に耐えながら、病気による恐怖や不安を支えるのです。
この、治療成果に、日本の精神科医は、「自分たちがしてきたことは一体何だったのか」と当初半信半疑でした。しかし、現地での研修や論文などで内容を深く知るにつれて、日本に導入したいと強い意欲を持ち始めています。この2年ほどで、関連書籍や雑誌も出始め、研修会やワークショップも開かれ、この夏、創設者セイックラは、日本家族療法学会に招聘され、講演とワークショップを開きます。今後大きな流れになるでしょう。
私は、この対話による成果は当然だと思います。私たちが、吃音から解放されたのも、セルフヘルプグループで対話を続けたからでした。吃音親子サマーキャンプも、ことばの教室の教師、成人のどもる人がファシリテイターになり、90分と120分の話し合いがあります。小学6年生になっていじめに合い、不登校になった女子が、90分の話し合いで、顔が晴れやかになり、翌朝の作文教室で「どもっていても大丈夫」と作文に書き、キャンプが終わってすぐに学校に行き始めました。ことばの教室でも、個別指導やグループ活動の中で話し合いがなされています。この対話を、より「哲学的な対話」に少しでも発展できれば、一度確立された「どもっても大丈夫」との自己概念は、思春期・成人期になって、一時的に悩むことがあっても活きてきます。
対話の実際 2 ナラティヴ・アプローチ
「ナラティヴ」は、「物語」「物語る」の意味で、「ナラテイヴ・アプローチ」とは、「困難や、問題を抱える人が物語るストーリーこそが、その人の人生を形作っていると考え、困難なストーリーの改訂のために、より好ましい素材を一緒に探し、新しいストーリーを共同で練り上げていくアプローチ」です。
私は小学校2年生の学芸会で、担任教師から「どもって失敗したらかわいそう」との教育的配慮によって、「どもりは悪い、劣った、恥ずかしいもの」とのレッテルを貼られました。「どもりが治らなければ、僕の人生はない」との物語を、「どもる覚悟さえできれば、できないことはほとんどない」に変えられたのは、セルフヘルブグループでの仲間との対話のおかげです。私は同じように悩む仲間との語り合いで、他の人が語る人生を知り、吃音の否定的な物語から、「どもっていても、豊かな人生は送れる」の物語に変えることができ、生きやすくなりました。セルフヘルプグループでの対話の中で、私たちは「吃音否定」の物語を「吃音肯定」の物語に変えていったのです。
「その人が問題なのではなく、問題が問題なのだ」
「人には、その人の人生を生きる能力がある」
その人が問題だとすると、自分の性格や吃音が問題となり、言語訓練で吃音症状の軽減をめざすしかありません。問題が問題だというのは、吃音のマイナスの影響こそが問題だということで、ジョゼフ・G・シーアンの氷山説そのものです。吃音は治せなくても、自分が受けているマイナスの影響の、行動や考え方は変えることができます。それは、私たちが長年取り組んできて、大きな成果があがっていることです。
ナラティヴ・アプローチの基本的な技法は「外在化」です。人と問題、吃音と問題を切り離すために、ナラティヴ・アプローチでは、この「外在化」の質問をする対話をしていきます。「外在化」とは自分と吃音を切り離して、自分の内部にあるものではなく、外にあるものとして、吃音に「どもり君」などと名前をつけます。自分の中の吃音が影響を与えるのではなく、外在化した「どもり君」が、話すことから逃げさせたり、自分を消極的にさせたりするなどと考えます。そして、「どもり君」の影響をあまり受けていない経験を見つけるための対話を繰り返し、「どもるから何々ができない」ではなく、「どもりながらも何々ができる」のオルタナティヴ・ストーリー(別のストーリー)に変えていきます。吃音に影響を受けない物語をつくっていくのです。
吃音は学童期に内面化し、劣等感を強めます。自分の内面にある吃音を自分の外に出し、客観的に見る「外在化」に取り組みます。たとえば、ことばの教室で、子どもたちと言語関係図を一緒に作ります。立体を描くことが難しい子どもはブロックを使って、吃音の問題を外に出します。自分の吃音を外に出し、かたちあるものとしてとらえると、取り組みやすくなります。言語関係図、どもりカルタ、絵本などを使って、自分の吃音、吃音から受ける影響について、対話を続けます。最近は、「どもりキャラクター」と対話をする実践を、私たちのことばの教室の仲間は取り組んでいます。はじめ、どもりは敵で悪者のキャラクターだったのですが、対話を重ねるうちに、怖くなくなり、どもりが自分を助けてくれる友だちのようになるという物語に変わっていきます。これまでの吃音に対する否定的なナラティヴが、これからも吃音とつきあえるというナラティヴに変わっていくのです。「吃音否定」の物語を「吃音肯定」の物語に変えていくことが、吃音を治すための言語訓練に代わる、今後の吃音の取り組みだといえるでしょう。
対話の実際 3 当事者研究
当事者研究は、北海道・浦河の統合失調症のコミュニティである、べてるの家の取り組みです。統合失調症の人たちが、薬や病院で管理されていたのを、薬を最小限にとどめ、社会生活に出て行きます。そこで起こる摩擦や困難を、「苦労を取り戻す」といい、その困難を自分で助けるために当事者研究をします。
小学生のときは、担任教師やクラスの仲間など周りの理解があったので、あまり大きな問題にはならずに過ごせたとしても、中学生、高校生になって、さらには就職してから悩み始めることは少なくありません。ライフステージによって吃音の状態も、悩みも、困難な状況も変わります。そのとき、自分の困難を自分で研究する「当事者研究」で対処できるようになれば、それが、「逆境を生き抜く力」であるレジリエンスが育っていることになります。ことばの教室で、からかいの問題などを一緒に研究し、対処法を探ることは、その後の生活に活きてきます。
おわりに
「吃音は劣った、恥ずかしいもの」とのネガティヴな物語を、「吃音とともに豊かに生きる」物語に変えるには、吃音を肯定的にとらえている人との「哲学的対話」が不可欠です。レジリエンスが育つ主要な要素である「洞察・関係性」は、対話の中で、「感じる、知る、理解する、洞察する」と育っていきます。そのために、親や教師が同行する必要があるのです。最初は、話すことは楽しいと思える会話を十分に経験し、次に、自分や吃音と向き合う「哲学的対話」の力を育てます。子どもの話をしっかり聞き、興味・関心をもって質問し、私たち大人も、自分の人生を率直に語っていくことが大切でしょう。
参考文献
『ナラティヴセラピーの会話術』 国重浩一 金子書房
『ふだん使いのナラティヴ・セラピー』D・デンボロウ著 小森康永・奥野光訳 北大路書房
『オープンダイアローグとは何か』 斎藤環著+訳 医学書院
『吃音の当事者研究−どもる人たちが「べてるの家」と出会った−』 向谷地生良・伊藤伸二 金子書房
『どもる君へ いま伝えたいこと』伊藤伸二 解放出版社
『サバイバーと心の回復力−逆境を乗り越えるための七つのリジリアンス−』奥野光・小森康永訳 金剛出版
『親、教師、言語聴覚士が使える 吃音ワークブック−どもる子どもの生きぬく力が育つ−』伊藤伸二・吃音を生きる子どもに同行する教師の会編著 解放出版社
日本吃音臨床研究会会長 伊藤伸二 2017/08/11