退院後の初仕事は、岡山での吃音相談会でした
古くからの知り合いが多い岡山言友会が、毎年、年に一度開催している吃音相談会。参加人数の多いときもあれば、少ないときもあり、それでも集まってくれた人たちと一緒に吃音のこと、どもる自分のことを考える時間は、僕にとって、かけがえのないいい時間です。
この相談会の2日前、僕の開設している吃音ホットラインに、ひとりの女子大学生から電話相談がありました。小さいころからどもってはいるが、将来は、小学校の教師になりたいと思っている人でした。教師になったらできない仕事を、学生のうちに経験した方が、後の教師生活に生きてくるとの先輩のすすめで、いろいろなアルバイトをしているそうです。そのアルバイトの接客業で、決まり切ったことが言えず、悩んでいるとのことでした。
住んでいる所を聞くと、岡山市内だといいます。吃音相談会の2日前です。予定があったとしても、自分にとって大切な問題である吃音のことを考えるいい機会だと思い、会場と開催時刻を伝えました。強引に誘っても、来るか来ないか、それは本人が決めることです。僕にできるのは、誘うところまでです。
6月18日、電話をしてきた女子大生は参加するだろうかと思いながら、岡山駅に着きました。
彼女は参加していました。これまでも、似た状況はたくさんありました。「必ず参加するんだよ」と、必要性を必死に伝えても、本人は来ないということもありました。参加することで、すべてが解決するわけではないけれど、少なくとも、これまでとは違う考え方を知り、仲間に出会うことで、何かが変わります。そのチャンスをつかむかどうか、本人次第ということになります。
せっかく参加してくれたので、彼女に僕が質問していきながら、彼女のもつ課題を明らかにし、参加しているみんながその場を支え、最後にみんなでシェアするというナラティヴ・アプローチ的というか、当事者研究的というか、いつもの僕の関わり方をしました。最近、このようなスタイルが多くなりました。
彼女から出たのは、アルバイトでの苦労より、やはり、どもっている自分が、教師としてやっていけるかの不安でした。まず、入学式で、子どもの名前が言えるだろうかの不安が出されました。
僕は、僕たちの仲間の教師の、実際にあった話をしました。採用試験の面接で自分の名前が言えず困っているときに、面接官の「ゆっくりでいいですよ」とのことばに落ち着き、どもっている自分だからこそ、悩みを抱えている子どもに寄り添えるとアピールできたという話、採用されてからの仕事上でのさまざまな苦労の話など、出された悩みや不安、問題に対して、僕なりの考えを伝えることを基本としています。
また、僕だけでなく、出された問題に対して、みんなで考えていくことにしています。だから、当事者研究のようになります。今回の参加者は、ことばの教室の教師が2名、保護者が3名、子どもの支援にかかわる専門家、そしてどもる人本人と、バラエティーに富んでいたため、話は深まりました。
場を支えたみんなの力も大きく、彼女も一所懸命考え、ことばを選び、質問に答えていきました。そのやりとりの中で、今できることをみつけ出してくれたようでした。「参加する前と今では、吃音に対する考えが180度変わった」と発言した彼女の表情は、最初出会ったときと全く違っていました。
インタビュー後のシェアで、「あなたのような人に、是非、教師になって欲しい」との、どもる子どもの保護者やことばの教室の教師の感想は、彼女に勇気を与えたことでしょう。参加者も彼女の表情の変化に気づき、彼女も「教師になる自信がついた」と言いました。
相談会の最後の、ひとりひとりの振り返りは、彼女への応援と、自分自身への応援のようでした。
「当事者研究を見ているようでした」と主催者のひとり、植山文雄さんが、後で、感想を伝えてくれました。
ひとりひとりの課題に寄り添い、その場をともに生きることができて、僕もいい時間を過ごせたと思いました。このような時間を持つことができると、やっぱりまた来年もと思います。きっと主催してくれた岡山の古い友人たちも同じ思いでしょう。
最後に、「参加者が素晴らしかったので、今回もいい相談会になりました」と、主催者の挨拶がありました。1年後、また岡山で、吃音相談会が開かれることでしょう。地道な取り組みを続けてくれている岡山の人たちに、心から感謝します。
日本吃音臨床研究会 伊藤伸二 2017/6/21
古くからの知り合いが多い岡山言友会が、毎年、年に一度開催している吃音相談会。参加人数の多いときもあれば、少ないときもあり、それでも集まってくれた人たちと一緒に吃音のこと、どもる自分のことを考える時間は、僕にとって、かけがえのないいい時間です。
この相談会の2日前、僕の開設している吃音ホットラインに、ひとりの女子大学生から電話相談がありました。小さいころからどもってはいるが、将来は、小学校の教師になりたいと思っている人でした。教師になったらできない仕事を、学生のうちに経験した方が、後の教師生活に生きてくるとの先輩のすすめで、いろいろなアルバイトをしているそうです。そのアルバイトの接客業で、決まり切ったことが言えず、悩んでいるとのことでした。
住んでいる所を聞くと、岡山市内だといいます。吃音相談会の2日前です。予定があったとしても、自分にとって大切な問題である吃音のことを考えるいい機会だと思い、会場と開催時刻を伝えました。強引に誘っても、来るか来ないか、それは本人が決めることです。僕にできるのは、誘うところまでです。
6月18日、電話をしてきた女子大生は参加するだろうかと思いながら、岡山駅に着きました。
彼女は参加していました。これまでも、似た状況はたくさんありました。「必ず参加するんだよ」と、必要性を必死に伝えても、本人は来ないということもありました。参加することで、すべてが解決するわけではないけれど、少なくとも、これまでとは違う考え方を知り、仲間に出会うことで、何かが変わります。そのチャンスをつかむかどうか、本人次第ということになります。
せっかく参加してくれたので、彼女に僕が質問していきながら、彼女のもつ課題を明らかにし、参加しているみんながその場を支え、最後にみんなでシェアするというナラティヴ・アプローチ的というか、当事者研究的というか、いつもの僕の関わり方をしました。最近、このようなスタイルが多くなりました。
彼女から出たのは、アルバイトでの苦労より、やはり、どもっている自分が、教師としてやっていけるかの不安でした。まず、入学式で、子どもの名前が言えるだろうかの不安が出されました。
僕は、僕たちの仲間の教師の、実際にあった話をしました。採用試験の面接で自分の名前が言えず困っているときに、面接官の「ゆっくりでいいですよ」とのことばに落ち着き、どもっている自分だからこそ、悩みを抱えている子どもに寄り添えるとアピールできたという話、採用されてからの仕事上でのさまざまな苦労の話など、出された悩みや不安、問題に対して、僕なりの考えを伝えることを基本としています。
また、僕だけでなく、出された問題に対して、みんなで考えていくことにしています。だから、当事者研究のようになります。今回の参加者は、ことばの教室の教師が2名、保護者が3名、子どもの支援にかかわる専門家、そしてどもる人本人と、バラエティーに富んでいたため、話は深まりました。
場を支えたみんなの力も大きく、彼女も一所懸命考え、ことばを選び、質問に答えていきました。そのやりとりの中で、今できることをみつけ出してくれたようでした。「参加する前と今では、吃音に対する考えが180度変わった」と発言した彼女の表情は、最初出会ったときと全く違っていました。
インタビュー後のシェアで、「あなたのような人に、是非、教師になって欲しい」との、どもる子どもの保護者やことばの教室の教師の感想は、彼女に勇気を与えたことでしょう。参加者も彼女の表情の変化に気づき、彼女も「教師になる自信がついた」と言いました。
相談会の最後の、ひとりひとりの振り返りは、彼女への応援と、自分自身への応援のようでした。
「当事者研究を見ているようでした」と主催者のひとり、植山文雄さんが、後で、感想を伝えてくれました。
ひとりひとりの課題に寄り添い、その場をともに生きることができて、僕もいい時間を過ごせたと思いました。このような時間を持つことができると、やっぱりまた来年もと思います。きっと主催してくれた岡山の古い友人たちも同じ思いでしょう。
最後に、「参加者が素晴らしかったので、今回もいい相談会になりました」と、主催者の挨拶がありました。1年後、また岡山で、吃音相談会が開かれることでしょう。地道な取り組みを続けてくれている岡山の人たちに、心から感謝します。
日本吃音臨床研究会 伊藤伸二 2017/6/21