5月9日、小椋佳のトリビュート・コンサート〜命はいつも生きようとしている〜に行きました。会場は、フェスティバルホール。先日の芸人9条の会同様、ここも、年齢層は高いようでした。
 小椋佳は、1944年1月18日生まれの、今年73歳。ちなみに僕と同年齢です。小椋ファンというわけではないのですが、同年齢でがんばっている人への共感でしょうか、初めて聞きに行きました。
 2014年に、生前葬コンサートを、2015年には、余生あるいは一周忌コンサートをしている小椋さん、まだ生き延びているので、今年は、トリビュート・コンサートと名前がついていました。偲ぶ会ということらしいです。小椋さんが作詞や作曲でかかわりのある歌手が出演されました。道上洋三さんの司会で、コンサートは進行しました。
 僕が知っているのは、中村雅俊、堀内孝雄、研ナオ子、梅沢富美男さんたちです。和楽器の琵琶や琴、ミュージカルの人、ウクライナから来られた人など、小椋さんの幅の広さというか、つきあいの広さを感じさせる人たちが出演されました。へえ、これ、小椋さんの作詞だったのか、知らなかったという歌も結構ありました。
第一部も終わり、第二部に入っても、肝心の小椋さんは登場しません。小椋さんだけが歌うコンサートだと勘違いしていたので、想像していたものと違い、あれっと思いましたが、まあそれはそれとして、楽しむことができました。

 やっと登場した小椋さん。「潮騒のうた」、井上陽水との「白い一日」、美空ひばりが歌った「愛燦燦」など、後何曲か歌いました。すなおで、のびやかな声。父親の琵琶師範の声を受け継いでいるのでしょう。同い年としては、まだまだやれる!と思ってしまいます。
 最後に、全員が登場し、会場のみんなと一緒に「さらば青春」を歌いました。アンコールがあったらと考えていたという歌が、一番新しいアルバム「闌(たけなわ)」の中の最後に収録されている「顧みれば」です。歌を聞きながら、歌詞が、僕自身の人生と重なり、不思議な感慨がありました。
 
 思い起こせば、僕も、どう生きていこうか全く展望が持てず、夢も持てなかった21歳の頃、どもりさえ治ればと思いつめて、治す訓練を必死にしたけれど吃音は治りませんでした。それならと作っセルフヘルプグループ言友会。仲間との活動の中で、学童期・思春期を取り戻し、初恋の人との出会いで、どもっている自分を好きになることができました。

 どもりと共に生きてきた70年を思うと、本当にたくさんと人との出会いがありました。あの人と出会わなかったら、あの人の援助がなかったら、一人でも出会いが欠けていたら、今の私はありません。

 小椋さんは「教科書のない一度限りの人生」と表現しています。私の故郷には少年鑑別所がありました。表現は良くないとは思いますが、その少年鑑別所の塀の上を歩いているような、中学・高校時代でした。どっちの世界に転んでもおかしくなかったのが、今こうして生きているのは、奇跡としか言いようがありません。

 自分の意志で、計画を立てて生きてきたのではなく、本当に「風に吹かれて」風に乗って生きてきた不思議な人生です。27歳のとき、後輩が、大阪教育大学に勉強に行くと言わなかったら、そして学士入学した大学の卒業と時期が重ならなかったら、大阪に行くこともなく、大阪教育大学の教員にもなっていないでしょう。

 もし大学の教員になっていなかったら、本を出版するような機会などあるはずがありません。現在でも大学や専門学校で講義しているような、今の僕は絶対に存在していません。綱渡りのような人生でした。運に恵まれすぎた人生でした。だから、時々の大きめの挫折を経験させてくれたのでしょう。

 小椋さんとは業績については比較のしようもないほど違いますが、「力不足 才能超えて 果たせたことも 数多く」と同じようで、今の僕は僕なりに満ち足りて生きています。
 小椋さんには歌があり、僕にはどもりがありました。改めて吃音(どもり)に感謝しているのです。


 死を意識した20日間の入院。普通なら再起できそうにない、大きな挫折。それでも多くの仲間に支えられてきた僕なりの人生でした。小椋さんのやさしく歌う、5分に満たないわずかの時間に、これまで出会ったたくさんの人たち、かかわりのあった多くの人たちが思い浮かびました。そして、感謝の気持ちでいっぱいになりました。
 すべての人に「ありがとう」。

 「顧みれば」の歌詞を紹介します。ひとつ、ひとつの文章が僕と重なってきます。

       顧みれば
顧みれば 教科書のない 一度限りの 人生を
まあよく生きて 来たと思う
友の支え 女性の救い 出逢いの恵み 数多く
運良く受けて 来たと思う
運命を 満喫したと 思われる今

顧みれば 過ち挫折 一度ならずの 重なりを
まあよく越えて 来たと思う
力不足 才能超えて 果たせたことも 数多く
心は充ちて 来たと思う
運命を 満喫したと 思われる今

楽しみ 悲しみ 笑いも 涙も
生きていればこその 味わいと
瞳綻(ほころ)ばせて 見晴るかす

顧みれば 事故災いに 幾度ともなく 襲われて
まあよく無事に 来たと思う
人が見れば 名も実も得て 心豊かな 暮らし振り
望み以上で 来たと思う
運命を 満喫したと 思われる今

楽しみ 悲しみ 笑いも 涙も
生きていればこその 味わいと
瞳綻(ほころ)ばせて 見晴るかす

顧みれば今 込み上げる想い
わたしの運命に 関わった
全ての人々に ありがとう
                     ユニバーサルミュージック

日本吃音臨床研究会 伊藤伸二 2017/05/17