5月10日締め切りだった、全国難聴・言語障害教育研究協議会全国大会の吃音講習会の原稿を、今日やっと事務局に送りました。ゴールデンウィークも、この原稿で頭がいっぱいでした。
 私は、ひとつのことに集中すると、緊急のこと以外の、他のことはすべてストップしてしまいます。つくづく不器用だなあと思います。
 50字、50行、A4版、4枚の原稿なのですが、書き出しで、二転三転四転と書くたびに変わっていきます。これまでたくさんの原稿を書いているので、つぎはぎをすれば、すぐにでも完成するのでしょうが、今回もそれが出来ませんでした。

 吃音についてだけなら、5時間でも6時間でもメモなしに話せます。原稿も書けるでしょう。しかし、今回は、参加して下さることばの教室の先生たちが初めて聞くような、ほとんど知らないことについて話すことにしています。
 先日30名ほどが参加した教員研修がありました。そこで、冒頭、ナラティヴ・アプローチ、当事者研究、オープンダイアローグ、レジリエンスについて、一度でも聞いたことがあるか、何かの記事などで見たことがあるか、質問したら、全員が聞いたことも見たこともないと答えました。

 今回の全国大会の2時間30分の講習会での講演は、これらをベースにした、吃音についての新しい提案です。もちろん、これまで話してきたことではあるのですが、切り口が聞き手にとっては新しいものなので、どこまで理解してもらえるか不安です。
 
 吃音を吃音症状の問題と考えてはいけない根拠を、どもる人の体験を紹介して示し、これまでの吃音治療の歴史を振り返って、「疾病生成論」から「健康生成論」への転換を、レジリエンスやナラティヴ・アプローチをもとに提案します。オープンダイアローグの関心の高まりを説明し、これらの動きが、私たちの45年の取り組みと通底していることを説明して、「哲学的対話」をどもる子どもとすることを提案します。

 このような話の流れを組み立てました。吃音に関してならいくらでも書けるのですが、最近勉強し始めた、ナラティヴ・アプローチ、当事者研究、オープンダイアローグ、レジリエンスを、初めての人にわかりやすく、吃音を絡めて説明したり書いたりするのは、僕にとってはかなり難しいことです。
 僕自身が、書籍を読んだりワークショップに参加したりして理解した、分かった、ということと、それを何も知らない初めての人が理解できるように、吃音を通して話をする、書くこととは、かなり大きな開きがあります。丁寧にならざるを得ません。そんなわけで、ブログも完全にストップしていました。

 今日、なんとか書き上げて事務局に送信し、さあ、溜まりに溜まった仕事を片づけなくてはなりません。不器用で、いい加減にできない性分は変わりようがありません。

 吃音に深く悩んで生きてきた21歳までの私の人生。社会人になれるとは思えませんでした。子どものころから、何の根拠もなく63歳で「野たれ死にする」と思っていました。それも、金沢市の繁華街の香林坊の路地裏で、と場所も決まっていたのです。なぜ香林坊なのか。それは、子どものころからよく夢に見た、野たれ死にする場所が、大学4年生の時、3か月の日本一周の貧乏旅行で立ち寄った香林坊とよく似ていたからです。

 中学生、高校生の時、非行少年にならなかったのは、ただ田舎なので、暴走族も、シンナーもなく、非行仲間がいなかったからです。時代が私を救ってくれたのでしょう。少年院にいても不思議がないほどのすさんだ思春期でした。 それが、先月、73歳になりました。

 死ぬ予定だった63歳から、10年も生きたことになります。ありがたいことに、60歳からの10年が、人生の中でも実りのある充実した10年でした。大阪教育大学の教員時代に2冊の本を出した後、しばらく途絶えていたのですが、55歳から10冊の本を出版しました。その間、8校の専門学校、3つの大学の非常勤講師として講義をする忙しい毎日でした。今、講義をする専門学校も大学も、以前と比べて少なくなりました。

 今からの人生は、おまけのような、おつりのような、これまでのがんばりのご褒美のような、そんな一年一年になりますが、それでも、学びたいこと、したいこと、しなければならないことがあるのは幸せなことです。

 先日、73歳と同年の、小椋佳のコンサートに行き、改めてその幸せをかみしめました。そのことは次回に。

 日本吃音臨床研究会 伊藤伸二 2017/05/15