ネガティブ・ケイパビリティ( negative capability )という考え方
『ネガティブ・ケイパビリティ 答えの出ない事態に耐える力』朝日選書 帚木蓬生(ははきぎ ほうせい) を読みました。
「ネガティブ・ケイパビリティー」という言葉は、『週刊金曜日』1134号(4/28・5/5合併号)の憲法特集の中で、法政大学総長の田中優子さんの文章「憲法9条と自衛隊」で初めて知りました。精神科医の北山修さんの退職記念講演で紹介されたもので、その講演会の時のことを田中さんはこう書いています。
「詩人ジョン・キーツが言った「ネガティブ・ケイパビリティ」は、「短気に事実や理由を求めることなく、不確かさや、不可解なことや、疑惑ある状態の中に人が留まることができる」こと。つまりネガティブなものを包み込む環境や場を作る力である。それがあってこそ、自らの内面のために創造する人々の能力は発揮できる。これは教育とりわけアクティブラーニングの根本だ」
田中さんは、週刊金曜日では、憲法9条に重ねてこう書いています。
「憲法9条と自衛隊の存在は矛盾している。だからいろいろと考えてきた。9条を現実に整合させてしまったら、もう考えなくなってしまう。そうやって、憲法や法律は「考える手間を省くためのもの」に成り下がる。現実を憲法9条に整合させようとしても、ぴったり収まることは永遠にありえない。だから絶えずその距離を縮める思考と努力が必要になる。これこそが憲法9条の存在理由だ。その憲法をもつ国民は、いつも軍事力について悩み、議論し、現実と理想の乖離に心地悪い思いをもつ。そのことの意味は深い」
憲法記念日。一番守らなければならない立場にある人、首相が、現実にある自衛隊を憲法に位置づけようと憲法改正を表明しました。「戦争をしたい人などいるはずがない」と日本人は考えるでしょうが、結局は戦争をできる国にしたいのです。日本は、どんどん平和から遠くなっていく国になっていきます。僕たちに何ができるのか、考えた憲法記念日でした。ネガティブ・ケイパビリティならって言えば、現実と憲法9条の不整合に耐え、9条を守り、戦争を回避する努力をし続けるしかありません。考え、議論し、悩み続け、目の前のできることをするしかないようです。
桂文福さんから、「芸人9条の会」5月7日の案内がきました。僕の大好きな松元ヒロさんも来ます。そのような会に参加して、少数派ではあるけれど、これが本流だよねと確認し、粘り強く主張し、考え続けるしかありません。
ネガティブ・ケイパビリティーの言葉を知ってすぐこのタイトルの本が出ました。
『ネガティブ・ケイパビリティ 答えの出ない事態に耐える力』の中で、帚木蓬生さんは、ネガティブ・ケイパビリティ( negative capability )について、こう書いています。
「私たちは、「能力」と言えば、才能や才覚。物事の処理能力を想像します。学校教育や職業教育は、問題が生じれば、的確かつ迅速に対処する能力が養成されます。・解決できない、わけがわからない場面にあっても、そのプレッシャーに負けない。
ネガティブ・ケイパビリティーは、その裏返しの能力です。論理を離れた。どのようにも決められない、宙ぶらりんの状態を回避せず、耐え抜く能力」
「すぐには解決できなくても、なんとか持ちこたえていける。それは、実は能力のひとつなんだよ」ということを子どもに教えてあげる必要がある
・性急に問題を設定しない。性急に解決を求めない。
・わけのわからないまま、理解し難いまま、持ちこたえていく。
これらの能力は、どもる人やどもる子どもが生きていく上で、必要です。原因もわからず治療法もない。今後、どうなっていくかとても不安です。生活の中でどんどん話していくことで、吃音は変わっていくことが多いのですが、確実なことではありません。いつどもるか、どの場面でどもるか、どもる本人も、多少の予想はできても、確実にはわからないのです。どうなるか分からない不確実なものに耐える力。どもる子どもたちに、このような力もあるんだよと伝えたいと思います。
今、注目されている「オープンダイアローグ」も「不確実性への耐性」を言っています。 今、僕は、この夏の全国難聴・言語障害教育研究協議会・全国大会の原稿を書いています。
ナラティヴ・アプローチ、レジリエンス、当事者研究、オープンダイアローグに、このネガティブ・ケイパビリティも加えたものになると思います。
日本吃音臨床研究会 伊藤伸二 2017/05/04