「The Way We Talk」(私たちの話し方)上映とトーク
前回2回に分けて、トークの内容を紹介しました。それは途中からでした。今回紹介するのがトークの開始で、次に続いていきます。ややこしいことですみません。順番が逆になってしまいました。これをお読みいただいて、前回の二回に戻っていただければと思います。
人が集まるお寺として有名な應典院(おうてんいん)で、毎年幅広い団体が参加する、應典院コモンズフェスタ2017参加イベントとして、この企画がされました。
トークのゲストは、一ノ瀬かおるさんです。一ノ瀬さんは、漫画家として活躍する一方で、北海道浦河の「べてるの家の当事者研究」に強い共感と関心をもち、向谷地生良さん親子を大阪に迎えて事前の学習をするなど、準備を続けてこられました。そして、昨年10月、大阪大学で、530名が参加した「当事者研究全国交流集会大阪大会」を、運営委員長として開催されました。大阪の地に当事者研究を根づかせた人です。
壇上には、大阪吃音教室を運営する、どもる人のセルフヘルプグループ、大阪スタタリングプロジェクトの会長、東野晃之さんと、コモンブフェスタの企画者のひとり、藤岡千恵さん。藤岡さんは、一ノ瀬さんが運営委員長として開催した全国交流会で「吃音の当事者研究」の発表をしました。僕が司会進行をしながら、一ノ瀬さん、東野さん、藤岡さんの4人でトークをしました。
まず、「The Way We Talk」(私たちの話し方)上映の後、一ノ瀬さんに興味をもたれたことを三つほど出していただき、それをキーワードに話し合うことにしました。その中の少しを紹介します。しかし、発言者に校閲を受けていませんので、多少のニュアンスに違いはあるかと思います。正確なものは後日、本人の校閲を受けて紹介する予定です。
コモンズフェスタ 映画の上映とトーク
平松 壇上にお上がり下さい。登壇者の紹介も含めて、伊藤さん、お願いします。

伊藤 こんばんは。日本吃音臨床研究会の伊藤伸二です。時間としてはそれほどなく、55分くらいですが、よろしくお願いします。登壇して下さった人をまず紹介します。
一ノ瀬かおるさんです。漫画家ですが、ご自身のいろんなことも含めて、北海道べてるの家の当事者研究に関心を持たれて、應典院でまず当事者研究の学習会をされました。そして、ぜひ、大阪でというすごいエネルギーを持って、昨年、当事者研究の全国交流集会を大阪でされました。あれよあれよという間に、大阪で大きなイベントをやって下さいました。当事者研究を大阪になんとか根を下ろしたいと思って下さっている方で、今回、このイベントにぜひ来て下さいとお願いしましたら、快く来て下さいました。ありがとうございました。
横にいるのが、さきほど開会の挨拶をしましたが、大阪スタタリングプロジェクトの会長、東野晃之さんです。そして横が藤岡千恵さんです。藤岡さんは、当事者研究の交流集会で、吃音のことで発表をした人で、一躍有名になったらしい人です。今回も、登壇をしてもらいました。
話の進め方について、ちょっとだけ打ち合わせをしました。まず、一ノ瀬さんにこの映画を見て感じたこと、考えたことを3つか4つぐらいにまとめていただいて、話してもらって、それを基にみんなで話したいなと思っています。そういう方向で進みます。
まず、一ノ瀬さん、ごらんになって、どんな感想をお持ちになりましたか。

一ノ瀬 一言で言うと、本当にすてきな映画でした。
伊藤 そうでしたか。それはうれしいです。
一ノ瀬 皆さんは、もう何回も見られているんですよね。だったら、もしかしたら感動が薄いのかもしれませんが、私は、あ〜と思いました。最初、マイケル・ターナーさんの、僕は吃音という苦労を抱えている、どういう苦労を抱えているのか、そういう話ですすんでいくのかと思っていたら、最後、どんどん自分自身が、なぜだか分からない、得体がしれないんですけど、癒やされていきました。おや、なんだろう、この得体のしれない心地よさは、と思っていました。最後、人間って、なんで生きているんだろうね、みんなどういうふうに向き合って何をしているんだろうね、という語りかけをそっとされたような気がしました。
伊藤 そっと、ね。
一ノ瀬 いい作品に出会ったとき、それを作った人としゃべりたくなるんですよ。ターナー君、ターナー君、私、こう思っているよ、と。今回、マイケル、しゃべろう、みたいな気持ちがすごい出ました。
伊藤 じゃ、今度、大阪に呼びますかね。
一ノ瀬 英語、勉強しときます。質問を何個かピックアップしようと思っていたのですが、メモをとることもなく、自分自身が癒やされてしまって、ほわっとしていました。皆さんは、この映画を見るのは何回目ですか。
東野 僕は、3回目です。でも、やっぱり、1回目のときよりは2回目、2回目よりは3回目と、印象は違いますよね。おっしゃられたように、マイケル自身がどんどん変わっていくでしょう。吃音そのものも、最初の、吃音を持っているのに、ないようにしていたみたいな感じで話をしていたけれども、ずっと終盤にいくと、吃音を認める、だんだん受け入れていくような話の展開になっていきますよね。それがすごいなと思いますね。
藤岡 私は今日で、この映画を見るのは、2回目です。最初は、大阪吃音教室の仲間たちと、下の研修室Bで見たんです。マイケルが大阪吃音教室に来たときもその場に一緒にいて、マイケルの話も聞きました。それまではアメリカや世界では、治した方がいいというか、流暢にしゃべれるほうがいいという考え方で、そういうアプローチばかりだとずっと聞いていたのでそういう認識だったんですけど、マイケルに会って、話を聞いたときに、新鮮だったし、うれしかったです。
伊藤さんのことを知って、是非会いたいと日本に来てくれて、話を聞くと、ほんとに共通していることがたくさんあった。日本とアメリカ、日本と世界の境界がないんだなあと思いました。映画の中のメッセージも響くものがたくさんあるんですけど、最後のお母さんとの会話がすごく残っています。後日談で、私たちが下の研修室で映画を見た日に、マイケルの子どもが生まれたという話を聞きました。映画の話に、お母さんと子どもの話をしている場面がありますが、なんかすごい不思議なつながりというか、縁を感じました。
伊藤 さきほど一ノ瀬さんが見ているうちに、なんか自分が癒やされたというお話でしたが、もうちょっとどんな感じなのか、話していただけますか。
一ノ瀬 得体が知れないんです。整理できていないのですが、探りながらしゃべります。何なんでしょうね。ものすごく安心したんです。同時に、作中のエピソードの中で、ブタだったかなあ、ゾウだったかなあ、机の上にゾウの赤ちゃんがいるのに、みんなそれをいないことにして、しゃべっていたみたいなエピソードが出てきましたね。
ブタ? ゾウ? カバ?! カバでしたか。カバのこと、なるほどと思いました。いないことにしてしゃべったときの会話って、いないことにしているのでしゃべれないじゃないですか。そこで、ふっと、「カバ、いるね」と誰かがそう言ってくれると、「う、うん。実は、私もそう思っていた」みたいになって、これ、なんでいるんだろうねみたいな話ができていくと、
伊藤 誰かが言ってくれたらね。
一ノ瀬 そう。実は私もそう思ってた、みたいになる。しゃべれないところが開かれていくんです。その対話の語りかけを、まずして下さったような気がしたんです。「そうじゃない?」と言われた気がしたんです。「しゃべっていいの?」。じゃ、私もちょっとしゃべりたい、みたいな。それをやさしく、まず、最初にしゃべってくれた感じがしたんです。でも、まだ、得体が知れないなあ。何だろう。ターナーさんは、実際、どんな方でした? 伊藤さんは、実際、会われたんですよね。
伊藤 会いました。ターナーさんは、仕事としては農夫なんですね。ソフトで、繊細で、映像にも出てきてましたけれど、僕が話をしているのを一所懸命聞いてくれているあのまなざしが、まだいまだに印象に残っています。人の話をちゃんと聞いて咀嚼して、自分の中で対話をしようとする。そういう人だから、撮影を始めて、たかだか1年なんですが、1年間であそこまで変わっていくというのは、すごいです。それなりにきっかけがあって、もちろん親友から問いかけられたことが映画づくりのはじまりですが、そこから撮影に入って、1年でいろんな人を巻き込んで、それなりに変わっていった。
一ノ瀬 すごい行動力ですね。
伊藤 すごいですね。新婚旅行に日本を選んで、僕に会いに来るというのもすごいですし。
一ノ瀬 不思議ですけど、でも、彼の中で25年間、蓄積されてきた物語はすごかったんだったんだなあということが分かりました。映画の作りが、ドキュメンタリーとしても見事でしたね。
伊藤 ああ、そうですか。
一ノ瀬 本当に、語りが私たちの心にじわじわ浸透していって、吃音がどういうものかも分かりました。最初、家族とは語らなかったというところ、びっくりですよね。最後、改めて見ると、考えられないくらいです。
伊藤 両親だけでなく、おじいちゃんも、おばあちゃんも、弟も、吃音ですからね。
一ノ瀬 家では、吃音について全然しゃべらなかったんですよね。
伊藤 たくさんどもりがいながら、どもりのことは一切しゃべってこなかった。カバはたくさんいたのに、カバなんていないということですよね。すごいですよね。
一ノ瀬 でも、いるわけですからね。
伊藤 これが、どもりのすごくおもしろいところです。このイベントの最初、オープニングに出てきたスキャットマン・ジョンは、カバよりももっと大きな「象」なんですよ、彼が言うには。自分は、象という、ほんとに周りから見たら、めちゃくちゃ大きな動物を引き連れて歩いているにもかかわらず、自分は象なんて引き連れて歩いていない、象と一緒にはいないという、象を見ないで生きてきた。スキャットマンワールドというCDを出すときに初めて、吃音に向き合わざるを得なくなるのですが、それが52歳のときのことなんですよ。マイケルは25歳、スキャットマンは52歳。そこまで向き合えない吃音って、何だろうかと思います。
一ノ瀬 では、私は3つぐらいカードが切れるらしいので、じゃ、一つ目のカードにいきます。
伊藤 はい、どうぞ。
一ノ瀬 なぜ、語れない、語らないのか、です。分からなかった? でも、気づいていますよね。気づいているのに、語らなかった、語れなかった。そこから、語るとどうなるのか。それは一体、社会とか人生とかに何を生み出したのか。結局、語りとは何なのかみたいな話を、私はすごく考えたいのですが。じゃ、まず、お二人に聞いてもいいですか。きっかけ、ターニングポイントといえばいいでしょうか、吃音と向き合うとき、まあ向き合ってここにいらっしゃるわけですけれど、そのタイミングと、その前後、自分の象がぽこっと動いたのか、どういうことだったのか、ちょっと教えて下さい。
東野 映画の初めに、弟がいたでしょう。弟と最初に吃音の話を始めますけれど、弟は最初あんまり乗り気じゃなかったでしょ。あんまり話したくないけど、しゃあないなあ、みたいな。
伊藤 うん、そんな感じだったね。
東野 結局、吃音というのは、劣ったもので、恥ずかしいものだし、それをことばにしてオープンにしたくないという気持ちがどもりに悩んできた人たちにとってはある。自分も劣った、恥ずかしいものだと思っているし、きっと人も自分のことをそう見ているに違いないという、思い込みなんだけど、そういうものを持っているんです。だから、なかなか自分から、吃音のことを話したがらない。きっかけとしては、映画でもそうでしたけど、吃音のグループにかかわり出したときから、そこに参加して、どもっているのは自分だけじゃなかったんだということが分かり、仲間の前で、吃音の話をし、それに対する反応も返ってくる。お互いの吃音に対する共感、悩みなどを分かち合うことがあって初めて、自分のことが語れるようになる。苦しさも語れるようになる。それがひとつのきっかけだと思うんです。ひとりでは難しいけれど、仲間の力が、語れるようになったきっかけかなあと思います。
伊藤 藤岡さんが語れなかったのは、どうしてなんですか。
藤岡 カバを隠していたときですか。
伊藤 結局、親とも吃音について話をしていないわけでしょう。そして、僕たちと出会うまで、ほとんど誰にも、自分の核である、中心にある問題でありながら、マイケルのようにずっと語ってこなかった。語らなくさせたものとは、どういうものでしょう。
藤岡 私は、たぶん、3歳ころからどもり始めて、どもりの存在に気づいたのは、同じどもりの父のメッセージだったんです。私がどもりながら「おおおおおとうさん」と言ったら、父が「もう一回、ゆっくり、お父さんと言ってみ」と言うので、ああ、このしゃべり方はあかんのかなあと思い始めました。小学校に入ったとき、自分とクラスメイトとの違いというものを突きつけられたような気がして、すごい劣等感を持ってしまいました。
私もやっぱりマイケルの家族と同じように、吃音の話は自分からはしなかったし、学校の先生にも親にも、吃音のことを話したいとも思わなかったし、悩んでいるということも知られないように振る舞ってました。なんでそこまでかたくなになったのか。やっぱりどもっていたら、受け入れられないと思っていたし、親からの「あなたはどもらないでしゃべりなさい」というメッセージを自分なりに受け取って解釈して、「どもっていたら愛されないんだ。どもらないしゃべり方をしないといけないんだ」と思ったのです。どもりを存在しないことにしていたし。
伊藤 親からも否定され、また周りからも否定されていると感じることについては、語れないということなんだろうと思うんです。存在をないものとしているものに対しては語れないということになってくると思うのですが、それをお聞きになってどうでしょう。

日本吃音臨床研究会 伊藤伸二 2017/02/09