言い換えは、ことばの魔術師、得意技   「学習・どもりカルタ」より

 2017年 東京ワークショップ 簡単報告

 第5回目となる、東京での伊藤伸二・吃音ワークショップ。毎回、新しい出会いがあり、刺激を受けます。
 今回は、半年前くらいにホームページから問い合わせがあり、「スタタリング・ナウ」の定期購読をして下さっている公認会計士の男性、ホームページの案内を見て前日に申し込んで下さった外資系のコンサンティング会社で働いている男性、昨年夏のサマーキャンプに参加した高校1年生の女子、以前サマーキャンプに参加したことがある高校2年生の男子とその母親、どもる幼児の指導をしている言語聴覚士、ことばの教室の担当者など、様々な立場の人が参加して下さいました。

 午前10時から始まったワークショップは、どもる人の人生が語られる温かく深い雰囲気の中で進んでいきました。
 たくさんの吃音に関する書籍の中で、「吃音は治る・改善する」には一切目を向けず、僕の「吃音とともに豊かに生きる」主張の僕の書籍をかなり読んでいる、公認会計士のAさんは、吃音は治らないだろうし、治せないだろう、吃音を受け入れて生きていこう、そう心に決めました。そう決めたものの、時に、そうできない自分に気づき、悩み、生きづらさを感じています。そんな彼と、いつのまにか、対話が始まっていました。

A 職場で仲間が聞いている中で電話をしないといけないことが多いと思った瞬間から、電話のことばかり考えてしまって、電話への不安から能率が悪くなる。不安や嫌だなあと思う気持ちが長く続き、それを消すことができない。伊藤さんの本をいろいろ読んだ。10歳ころにどもり始めて、今までに変化はない。だから、吃音は治すものではないと本能的に思ったから、どもりながら話していこうと思っている。「治す」と「治さない」があったら、僕は、「治さない」の方だとは思っている。でも、吃音を受け入れようとしている僕が、どもらないようにと、言い換えをすると、後ろめたい気持ちになる。言いたいことを、どもって言えるようになるのが、僕の考えるゴールなんですが。

伊藤 ゴールの設定がまずいな。言い換えてしまった自分に後ろめたさを持つのはやめましょう。アメリカの研究者・臨床家の中には、言い換えしないでごまかさないで言うべきだ、吃音と向き合うのなら突破すべきだという。でも、これは、非現実的。どもる本人が言い換えなしではなすなんて無理です。
 今、僕はこうしてしゃべっているけれど、いっぱい言い換えをしている。その言い換えは子どものころからしているので巧妙で、無意識になっている。言い換えをしたという意識すらない。言い換えは、どもる僕たちの生きていくためのサバイバルと考えよう。近視の人に、近視は治せないが不自由を減らすために、眼鏡がある。どもる人にとって、ことばの言い換えや、ことばが詰まったとき、言いやすいことばを先に持ってきたり、「あのー、えー」と言ったり、語順を入れ替えたりして、僕たちは生き延びてきたんだ。その才能と工夫を全肯定する。

 不登校になった子に、本当につらくなったら、逃げてもいいよと僕たちは言う。選択肢の中に、逃げるということを入れるのは、とても大切なこと。どんな手を使っても、自分がしたいと思った仕事は、やり続ける。目の前の相手と話をする。これは逃げるけれど、これは逃げないと自分の中でメリハリをつける。強行突破もいいけれど、選択肢は多い方がいいと思う。

A 僕がどもるということを知っている人は多分いないと思う。

伊藤 どもりを改善すること、軽くなることが幸せにつながると思い込んでいる言語聴覚士やことばの教室の担当者は多いけれど、そうではない。卒業式で子どもの名前を呼ぶのに困った先生がいたが、同僚、校長や教頭、クラスの子どもたち、保護者に、自分のともりのことを伝えて、卒業式を乗り切った。

A 同僚には言えたとしても、初めて電話する相手には伝えようがない。

伊藤 落語家の桂文福さんは、言いにくい固有名詞の前にいろいろつけている。つけても悪くない、かっこいいものはないかな。郵便局員が、亀有郵便局に転勤したひとがいて困っていたけど、「かめあり」が言えないとき、どうしたらいいと思う。

A えー、あーをつけるくらいしか思い浮かばない。

伊藤「か」をやめて「めあり郵便局」と言う。これでも十分通じる。通じさえすればいい。アナウンサーと比較しないで、要求水準を下げる。仕事さえきちんとすれば、電話でどもってもいいのだという覚悟を決めることだ。どんな手を使っても、ぎりぎりまでしのぐ。そして、最後にはどもってもいいと覚悟を決める。言い換えはサバイバルであり、芸であり、技だ。

A 治すか、受け入れてどんなにどもっても言っていくのふたつの選択肢を持っていなかった。

伊藤 どもる子どもたちにも必ず複数の選択肢をもつようにと言っている。吃音以外のことでも、選択肢の幅を広げられたらいい。生きやすくなる。

A どもれるようになろう、に結論を置いていた。でも、そうではなくて、なんとかことばが出るようにいろいろな手を使って、サバイバルして、どうしても出ないときは、どもって言う覚悟を決めましょうということですね。

伊藤 そう。相手に伝えるということを一番大事に考えたら、何でもあり。大事にしたいのは、人と人との関係。ギリギリまで悪あがきをしたらいい。そして、最後はどもるに任せる。

 昼食休憩の1時間をはさんで午後5時まで、ワークショップは続きました。
 また、後日、「スタタリング・ナウ」などで、このワークショップでの報告をしたいと考えていますが、こうした時間を過ごすと、僕は、このような時間が好きなんだなあと、つくづく思います。小さな集まりで、目の前の相手とやりとりをしながら、深く話を聞いていく。その中で僕自身も自分のことを語る。そして、周りの人が、その人を、その場を支える。この形が、今一番好きなスタイルです。

東京ワーク 全体

東京ワーク 話を聞く伊藤

 小学校2年生の秋から、吃音に深く悩んできた僕は、21歳で吃音を治すことをあきらめ、同じようにどもる仲間と対話を続けてきたことで回復してきた経験をもっています。言語訓練ではなく、哲学的対話が大切、その確信を新たにした東京ワークショップでした。

日本吃音臨床研究会 伊藤伸二 2017/01/29