埼玉県越谷市での、ことばの教室の教員への講演

 越谷市での講演は、本当は夏休み中に予定されていました。しかし、台風が関東地方に直撃した日で、主催者は実施するか、中止にするかずいぶん迷われたようですが、大事をとって中止になりました。残念ながら講演はなくなったと思っていたのですが、せっかく計画したのだからと、再び話が持ち上がり、結局、冬休みに開催することになりました。夏に話す予定だった内容は、パワーポイントの配付資料として、たくさんの資料とともにすでに印刷されています。それが無駄にならずに済んだことを、主催者は喜んでくれました。冬休みに入ってすぐの12月26日、研修会が開催されました。年末を控えた休み中なのに、60人を超える人が参加してくれました。

 前半は、参加者全員に質問を書いてもらい、それにすべて答えるという形で、進めました。最近、この形をとるよえうになっていますが、僕には、これが一番合っているようです。何を知りたいと思っているのか分からない中で話をしていくのは、なかなかしんどいです。参加者が知りたいと思っていることにズバリとこたえていく方がお互いにいいようです。後半は、今、僕が考えていることをお話しました。

 4か月が過ぎているため、その間に、僕の方も「オープンダイアログ」の勉強も進み、「読書介助犬」との出会いなどもあり、話すことか少し違ってきました。もちろん基本は変わらないのですが、切り口の幅が少し広がりました。なので、冬に延びたことは、僕にとっても、聞く側にとってもよかったかもしれません。夏には、レジリエンスを中心に話す予定でしたが、今回は「哲学的対話のレッスン」が中心となりました。
 話の基本は、ナラティヴ・アプローチです。「その人が問題なのではなく、問題が問題なのだ」と、ネガティヴな部分だけに目を向けず、その人に必ず問題に対処する力があると信じ、対話を通して、否定的な物語(ナラティヴ)を肯定的な物語に変えるのが、ナラティヴ・アプローチです。これはジヨゼフ・G・シーアンの吃音氷山説そのものです。

 小学校2年生の学芸会の、セリフのある役から外すという、担任教師の教育的配慮で、僕は、強い劣等感をもって悩みの世界に入っていきます。それが21歳で大きく変わり、以降は幸せに生きています。それは、吃音の症状が改善したからではなく、吃音否定のナラティヴ(物語)を肯定的なナララティヴに変えることができたからだというのが、僕の話の骨子です。

 日本の精神医療、心理臨床、福祉の世界で注目されているトピックスがあります。
 ‥事者研究…北海道・浦河のべてるの家の取り組みです。統合失調症の人たちは、べてるの家と出会うまでは、入院や薬漬けでおとなしくさせられていました。医者や、家族から管理されていたのです。効き目の薄い薬に変えたり、薬を最小限にとどめることで、活動的になった人たちは、社会生活に出て行きます。社会に出て行くことで起こる摩擦や困難を、当事者は、「苦労を取り戻す」といいます。それまでは、周りから、苦労する権利を奪われてきたのです。その困難を自分で助けるために当事者研究をします。

 これは、僕が長年主張してきたことと通じます。言語訓練室やことばの教室で訓練して、ある程度改善されたとしても、それは、管理された条件の中でのことで、日常生活では使えません。日常生活で苦労しながら、恥ずかしい思いや、時には傷つきながら、どもりながら話していくしかありません。もし、吃音が変わるとしたら、日常生活の真剣勝負の中で話していくしかないのです。日常生活に出て行くのを励ますのが、専門家の役割だと、ずっと長い間主張してきました。吃音のことだけで話すと、なかなか通じなくても、べてるの家の当事者研究と絡めて話すと通じやすいことがわかりました。
 その他、レジリエンスとオープンダイアローグの実践をからめると、さらに説得力を増し、わかりやすくなります。
 レジリエンス、PTG(心的外傷後成長)、オープンダイアローグを絡めて話しました。その結論は、言語訓練より対話の力を育てようです。
 吃音の症状の改善だけで、人生を乗り切れるのは、比較的少数例です。少しでも改善できたら、その人は自信がもて、人生が楽しくなるほど、吃音は単純なものではありません。だから、100年以上の治療の歴史がありながら、吃音治療に取り組む人にとっては、吃音は大きな問題であり続けているのです。私たちは、吃音を否定し、吃音の改善を目指して戦ったことで悩みを深めました。その戦いから降りて、自分の人生を生きることに努力した人は、吃音の問題から早く解放されていきました。

 言語訓練より対話のレッスン
 「会話」は知り合い同士の楽しいおしゃべりで、「対話」は他人との新たな価値や情報の交換や交流です。子どもたちが今後話していく相手は、何を考えているか分からない他者で、相手が何を考えているかを知る方法が「対話」だと子どもたちに伝えたいと思います。思春期、青年期、社会人になって、吃音について自分のことばで説明する必要がでてきます。その対話をいとわない、対話する力を育てることは、言語訓練で吃音が改善されることよりはるかに大事だと思うのです。考え方の違う他者との対話は、意識的に育てないとなかなか育ちません。楽しく取り組む対話のレッスンをことばの教室の実践の中でしてほしいと話しました。具体的にことばの教室の指導の時間にどう反映させるかを、今回かなり詳しく話しました。機会があれば、またその時の話を報告したいと思います。

 こうして2106年最後の講演が終わりました。
 しばらくそのまま東京にいます。年末年始の『江戸』情緒を味わって、大阪に戻ります。
東京では、この1年間がんばった自分へのご褒美のつもりで、のんびり過ごすつもりです。
 まずは、1年前から予定していた、東京ステーションギャラリーでの「追悼特別展 高倉健」で、大好きな健さんに会ってきました。

 日本吃音臨床研究会 伊藤伸二 2016/12/29