内須川先生の思い出は尽きませんが、なんといっても世界で初めての世界大会である、第一回吃音問題研究国際大会は一番大きな思い出です。
1994年に僕は言友会から離脱し、言友会とは関係がなくなりましたが、全国言友会連絡協議会の会長をしていたとき、会創立20周年を記念して開いたのがこの大会です。インターネットがまだなかった時代、総費用2000万円という世界大会がどうして開くことができたのか、当時は必死で分かりませんでしたが、今考えても、奇跡のような気がします。
1986年夏、第一回吃音問題研究国際大会が、京都国際会議場で、11か国、33名の海外参加を含めて、総勢400人が参加して開催されました。大会会長は僕で、内須川先生は、顧問という形で、全面的に応援していただきました。それから2年後、ようやく大会報告集ができあがりました。内須川先生は、巻頭のあいさつと、大会を振り返って総括をして下さいました。大会報告集の文を紹介します。
巻頭あいさつ
大会顧問 内須川洸 筑波大学心身障害学系教授
歳月の過ぎ行くより速いものはない。世界でその類をみない第一回吃音問題研究国際大会が京都で開催されて早2年。想い起こせば暑い夏の盛りであった。ここにその報告書が漸く出来上がったが、不思議なことに記憶に薄れがない。参加した一人一人の顔が浮かぶ。姿が見える。太鼓の音すら響いてくる。時の流れが速いのに、時が止まったようにさえ感ぜられるのは何故であろう。
時を経だてて物を見ることは、時には、酒瓶のもろ味の沈澱を待って澄んだ酒を味わうように、澄んだ中味を吟味するのによいかもしれない。果たして第一回吃音問題研究国際大会は参加した我々にはどうその味を醗酵させたのだろうか。遅ればせながら報告書が発刊されたことを喜びたい。名酒は古いほどよいという。その風味が時とともに熟成するからである。
報告書の巻頭の言を述べるに当たって、現在の所感を率直に語って挨拶としたい。
1)第一回吃音問題研究国際大会は、参加者に強烈な印象を残した。我が国の吃音者はいうに及ばず、吃音研究者にも、吃音児をもつ両親にも、吃音児を指導する教師にも、しかも世界の吃音者や吃音学者にも同様であろう。まさに国際的といえよう。
2)吃音問題の解決は、様々な立場の人々の協力なくしては進まないことを認識した。吃音者自身の問題は、吃音学者の問題であり、吃音児の親の問題であり、立場は相違しても、そこに産み出される問題は種々様々であっても、考え方や追究の仕方はいろいろあっても共に語らねば解決に至らない。しかし、この課題は容易ならざるものと痛感した。
3)世界で初めて、国際的に、吃音者自身が参集し、そして共に吃音学者も、吃音に関係する両親、教師、社会人が語り合った感動の意味は、即興的、一時的なものであってはならない。今後の継続的かつ発展的課題として、今後に継承されてこそ、第一回吃音問題研究国際大会の香しい風味というものであろう。
4)私どもは「心を開いた」。世界に向かって心を開いた。その心がたとい傷を受けても心を開き続けたい。我が国の中でも、世界の中でも、どこの場所でも、どのようなぶざまなすがたであっても、口を閉ざしてはならない。
5)吃音者自身の団体であるセルフ・ヘルプ・グループが主催して、吃音問題研究国際大会が開かれた意義は極めて大である。
明年は西ドイツのケルンの地で、第二回吃音問題研究国際大会が開催される。担当される方々のご苦労も大変なものと思う。是非とも第一回と同様成功を期したいものである。心から声援を送りたい。
終わりに、この素晴らしい第一回吃音問題研究国際大会の開催に、蔭ながら心を砕きご援助を惜しまなかった大勢の方々に対して、心からなる感謝を述べさせていただきたい。
第一回吃音問題研究国際大会総括 大会顧問内須川洸
1986年8月、第一回吃音問題研究国際大会が京都の地に開催された。その総括に当たり、2〜3の点について反省と回顧をしてみたい。この時は丁度、言友会にとって20周年に当たる記念すべき年でもあった。時も時、我が国の日本音声言語医学会にとっても、東洋で初めて、東京で国際音声言語医学会が開催される記念すべき時機でもあった。学会と大会の開催が、その時期を一つにしたのは今にして想えば幸運なめぐり合わせであった。
吃音問題研究国際大会が我が国で開催されるためには、世界の吃音学者が一堂に会するこの機をおいて他になかったし、たまたま私も、国際学会では財務委員長の責任ある立場と同時に、国際吃音委員会委員として、吃音学者の一群に列していた関係から、吃音学者の招へいに一役を担うことができたのである。一方、全国言友会連絡協議会の委員の方々とは、年来の交わりがあり、折に触れて吃音問題に共同労作を重ねていたことも幸いした。良き時が与えられても、実施に踏み切る英断なしには事は実現しない。時は熟したというよりも、全国言友会連絡協議会の大きな決断による冒険がその背景にあったというべきであろう。私は国際会議の財務問題に係わっていたこともあり、会議を成功に導く一つの鍵は必要な財源を確保することにある点を熟知していた。
しかしどう考えてみても、全国言友会連絡協議会には当時その成算はなかったとみてよい。にも拘らずである。その道が開かれたのは、言友会会員の一致団結と止むに止まれぬ必死の叫びに、知人も友人も社会の人々も共鳴現象を起こしたからに他ならない。実際、私が一番心配し不安を感じたのは、本当に必要な資金が集まるだろうかという点であった。結果はご承知の通りである。予想を越え、心配を外にして、必要な資金は確保された。この事実を通して、私たちは大切なものを学んだ。本大会の成功の鍵は、実はここにあったのかもしれない。それは資金問題を遥かに超えて、人々の心を打ったし、学者の「知恵」ではなく、「心」を動かしたのであろう。心を合わせ、知恵を絞れば、良きものは自ら集まって事を成すのである。
大会を回顧し、現時点で心に残る2、3の点にふれてみよう。
1)人々の心の交流にこそ感動:吃音者自身は言うに及ばず、吃音学者も、吃音児をもつ両親も、吃音問題に関わる教師も、そして一般社会人も、交流に参加し、一つの輪を作ったことは目を見張るものがある。諸外国の吃音学者が口を揃えて感動していたことによっても立証されよう。大会の流れを作るのに、最初の導入で、心を和らげたのも有効であった。懇親会の太鼓もよかった。全員揃った盆おどりもよかった。さらに毎夜の話し合いもよかった。本大会開催の意義は、この連帯の輪の広がりにあるなら、第二、第三の国際大会への継承こそ重要となるであろう。
2)国際大会の成否を握る隠れた要素:会議のスムーズな進行を保証する準備は、特に国際大会においては大切である。文化や歴史そして言語を異にする諸国民が一堂に集まり、各々の考えや意見を交換する以上、コミュニケーションに支障があってはならない。この点について思うことは、京都の地で、会場を京都国際会議場にしたことは成功の第一歩であったといえよう。さちに同時通訳者に優秀な人材を獲得し得たことはコミュニケーション問題に素晴らしい効果をもたらした。重要なシンポジウムやワークショップにおいて「ことば」の壁を感じさせなかったのは本大会のメンバーの交流をいやが上にも昂めたものと考えられる。日本においての、初めての国際大会が成功裡に終わった一つの要因はここにあったものであろう。準備にエネルギーを集中した事務局の苦労が偲ばれ、改めて敬意を表したい。
3)マスコミユニケーションの協力:マスメディアの活用は言うまでもなく一般世論の喚起や大会開催の情報伝達にとって極めて重要な要因であるが、言友会会員の会衆まき込みと同時に新聞社やテレビ、ラジオへの訴えがタイミングよく作用したように思われる。日頃の活動の成果がその効果を発揮したものであろう。
4.)ボランティアの活動:本大会の別の特徴を列挙するならば、ボランティアの方々の献身的支援がその背後にあったことに注目しなければならないであろう。事務処理や通訳の働きがプロフェショナルな方々だけに依存するのでは、到底成功を期し難かったであろう。生々として働かれたこれらの多くの人々の姿が目に浮かぶ。回顧の中で忘れえぬできごとであった。
5)吃音に関する真実な「ことば」:学術講演の素晴らしさは目を見はるものがあった。参加された一人一人が印象に止めたことであろう。基調講演も実に見事なものであった。シンポジウムで発言されたそれぞれの先生方の意見も実に胸を打つものがあった。演題に立たれた方々の発言のみが素晴らしかったのではない。吃音者は吃音者なりに、吃音学者もそれぞれの立場で、吃音について真実の「ことば」の出会いがあったことこそ、本国際大会の圧巻であったと感じる。もの言われなかった一般人の方々も、この出会いの中で、それぞれの心の中で発言をしたと思う。話された内容については、必ずしも相入れないものもあったであろう。しかし発言は内容だけにその意味を持つものではない。発言者の話し方にも、吃り方にも、その態度にも、その表情にも、その身振りりにも、胸を打つものがあり、学ぶことが多い。
それでこそ世界の国々から集まる意味があるのであろう。口をひらくと共に心を開いて、真情を吐露する集まりが今後も続けちれたら、その値千金というものではないだろうか。涙を流し、喜びを歌い、眼を輝かせ、酒を酌み交わしたときも、「吃音」の故に、「吃音」を目指して、「吃音」あって繰り広げられた人の出会いであった。
6)私たちは現在、世界のどこの国でも、吃音学者と吃音者の相互扶助が必ずしも満足すべきものではない現実を確認した。第一回吃音問題研究国際大会が、全国言友会連絡協議会を中心として、吃音者や吃音学者の協力の下に開催されたことの意義は、逆に、世界の諸国では、吃音学者と吃音者、吃音関連者との相互交流の必要性に目が開かれるという結果を産んだ。本大会の学術講演者、グレゴリー博士は積極的にその成果を第二回吃音問題研究国際大会に反映すべく活動を開始していることが、他の世界の吃音学者にも大きな励みとなっている。
7)流暢に吃らずに話す(speak more fluently)というアプローチと、流暢に吃る(stutter more fluently)というアプローチとの対話:グレゴリー博士は、現状における吃音治療のアプローチには、ある意味で一つになり得ない先述の二つの行き方がいかに将来、混合(combined)されるかにかかっていると提言された。この課題は、第二回吃音問題研究国際大会へと継承される重要なテーマとなった。
第一回吃音問題研究国際大会の幕あけがあまりにも華々しかったので、その成功に酔いしれた感が無きにしもあらずであったが、反省点に立ち返って厳しく検討されてこそ、大会開催の意義も今後ますます望ましい方向に生かされるものであろう。
1)与えられた3日間の大会運営があわただしすぎたのではないか。各国のセルフ・ヘルプ・グループの中には、吃音者団体自身がもっと十分な時間をとって討論したいという要望があったように思われた。しかし、短い時間の中に、学術講演、基調講演、シンポジウム、ワークショップ、懇親会、人物交流と多種目の企画を盛り込んだので、これ以上の無駄な時間の割愛はなかったといってよい。むしろ、問題として今後考えねばならない点は、大会の流れの中に、いかに自由な時間、無駄と思われる時間を自然に挿入するかにあるのかもしれない。
2)本大会を「活動」と「交流」を中心として「動く大会」ど称するなら、今後は「沈思」と「討論」を中心として「静かに考える大会」が必要になるであろう。各国のセルフ・ヘルプ・グループの行き方にはそれぞれの文化と歴史があり、特徴があるから、それらの相違点を洗い出し、十分に対比するには、相当な時間が必要であろう。また吃音学者のグループについても、吃音者との支援・協力にはどのような方法があるか。吃音者団体が吃音研究において専門学者にどのように協力しうるか。社会的啓蒙や社会的対策の諸問題などは今後十分な「知恵」と「時間」をかけて実現していくテーマでもあろう。
時代はまさに情報交流、経済交流、学術交流、文化交流の加速的交流現象の中に突入している最中に、吃音者はようやくその眠りから醒めたといってよい。吃音者自身に向かって、そして社会に向かって、心を開いた意義は、本大会の出来・不出来にかかわらず、極めて意義の深い事実であった。
今後は、慌てず、騒がず、着実にゆったりと常に漸進を続けることこそ肝要で、決して「息切れ」があってはならないであろう。そのために世界が「横」に連帯すると同時に、それぞれの国において吃音者も吃音学者も関連する人々も「縦」に連帯し、それぞれの継承の歴史を確立する課題が検討され、具現化されねばならない。
第一回大会の準備に尽力された多くの人々に感謝するとともに、第二回吃音問題研究国際大会に精神を集中し、その準備に忙殺されている西ドイツの人々に心からなる感謝と声援を送りたいものである。
日本吃音臨床研究会 伊藤伸二 2016/12/23