内須川先生が亡くなって、いろいろなことが思い出されますが、その時々で書いてきたものを読み返すと、いいつきあいをしてくださったと、つくづく思います。ずいぶん以前に書いた文章です。
水の若く淡き交わり
「君子の交わりは淡きこと水の若く、小人の交わりは甘きこと禮(れい:甘酒)の若く」『荘子』
1年に2度程お会いするかしないか、普段は全く音信不通の状態なのだが、何か私たちがお願いした時快く応じて下さる。押しつけは全くなく、過度な情報提供も全くない。このようなおつきあいをさせていただいた中で、パンフレット『どもりの相談』、『人間とコミュニケーション』の出版、そして第1回吃音問題研究国際大会をご一緒することができた。
西ドイツのセルフヘルプグループと研究者・臨床家の関係は厳しい対立が、イギリスのグループでは指導する側とされる側のはっきりした依存関係が見られた。海外の吃音の研究者・臨床家と成人吃音者の関係は、敵対か依存かが少なくない。
日本の吃音研究の第一人者、内須川洸筑波大学教授と私たちの関係は敵対でも依存でもなく「淡きこと水が若き」関係であった。それだからこそ、吃音の第1回国際大会を日本で開くことができたのだと思う。その国際大会。大会顧問として「こうしたらいいのに、こうあるべきだ」というものがおありになったであろう。しかし、「こうしたらどうか」式の押しつけは一切なかった。いろいろアイデアやアドバイスが過剰にされていたら、とても私たちは対処できなかったであろう。緊張し、自由に行動できなかったのではないか。
自由に動けたおかげで、また大会顧問として後ろに控えていただいたおかげで無謀とも言えたゼロからの出発の第1回吃音問題研究国際大会は大成功を収めた。大会フィナーレ。舞台で満面に笑みをたたえて大きく両手をふり、拍手に応え、子どものようにはしゃいだ姿が忘れられない。
このおつきあいの中から、セルフヘルプグループとグループに属さないどもる子ども、どもる人とのつきあいにおける私たちのスタンスを学んだ。
成人のどもる人であれば、私たちの考え方に賛同し、セルフヘルプグループに入るべきだと私たちは考えていない。私たちの会が全てのどもる人に有効だとは思わない。人それぞれの考えがあり、「吃音と共に豊かに生きる」という私たちの主張を受け入れられない人もあろうし、民間のクリニック、宗教、スポーツ、芸術、心理療法など、どのようなルートからでもどもる人が自分らしさを発揮し、よりよく生きていればうれしい。
私たちだけが成人のどもる人のためになっているという意識はない。しかし、吃音に悩むどもる人が私たちを求めてきたら、私たちは最大限の努力と工夫で応えたい。私たちを必要とする人が、必要なときに、門をたたいてくれたらよい。
ある研究者から、「吃音者宣言を出し、治すという目標を下ろしたのだから、具体的に何をすべきか、羅針盤を示すべきだ」と言われたことがある。吃音の悩みからの脱出は共に考えられても、その後の生き方は個々人の問題だ。私たちが、「このように生きるべきだ」と押しつけるものではなく、押しつける必要もない。押しつけられることこそ迷惑だ。人それぞれよりよく生きる道は違うはずである。それは、個々人がみつけることだ。
どもる子どもやどもる人との交わりは、内須川教授から学んだ「淡きこと水の若く」でありたい。
この春、内須川洸教授は、筑波大学を定年退官される。学生時代から一貫して吃音を研究テーマにされ、定年まで続けられた初めての人だ。成人のどもる人間として、長年、吃音と私たちと、つきあって下さったことに心から感謝したい。その感謝の気持ちを込め、昨年末私たちが呼びかけ、『内須川先生の退官記念の関西の集い』を持った。水の若きつきあいの人々ばかりが大勢集まって下さり、心温まる集いができた。
そのときのフィナーレ。今度は「ありがとう」と、内須川先生がことばをつまらされた。私たちも胸がいっぱいになった。ギブ・アンド・テイクがつきあいの基本なのに、私たちの一方的なテイクだった。いただいたことへのギブは、どもる子ども、どもる人にしていきたい。きっと喜んで下さることだろう。内須川先生の4月からの新しい出発に乾杯!
1991年1月『吃音とコミュニケーション 23号』
日本吃音臨床研究会 伊藤伸二 2016/12/23