中学生の時、初めて吃音親子サマーキャンプに参加した有馬久未さん。彼女が高校1年生のときの、サマーキャンプに参加しての作文が残っています。「キャンプは私を豊かにしてくれる。自分の考えを持っている人や、夢や目標をもっている人たちと出会えるキャンプに参加して、どもりでちょっと良かった」と書いています。その彼女が、20年ぶりに、吃音親子サマーキャンプではなく、沖縄のキャンプに参加しました。
 20年の歳月の中で、成長し、今社会人として働いている彼女が、沖縄のキャンプについての感想を書いてくれました。20年の歴史の重みを感じます。素直な彼女の感性に乾杯。


沖縄の空気に包まれ、癒され       
           有馬 久未

沖縄のキャンプから帰って一週間後、実家に帰った時、母と夕食の準備をしながら「先週沖縄に行ってきてん」と話してみた。「そう、海に行ったの?」「ううん、私が子どもの頃に行った吃音のキャンプあったやろ、今回沖縄でキャンプがあって、そのお手伝いに。」
 多くの出会いがあったこと、心が動かされたこと。学びがあったこと。参加して、とても気が晴れたこと、感謝していること―――意外にも、心を軽くして話している自分に気づく。そして母はしきりに「そう、それは良かったねぇ」と穏やかな笑顔で答える。意外にも。

 約20年ぶりの吃音キャンプだった。前回は、正真正銘、どもる子どもとして。そして今回はどもる大人、スタッフとして。楽しみでありながら、これまで何の恩返しもしてこなかった私に何ができるだろうと不安もあった。それでも沖縄行きを決めてからは、10代の初参加の時に抱いた、初めて吃音の人たちと吃音のことについて話せること、共感してもらえること、吃っても全く咎められないことに対するあの言い知れぬ安堵感を、改めて思い出していた。

 キャンプ当日、出会いの広場に始まり、レク、話し合いや作文の時間など、数々のプログラムが進められていく。子どもたちの心にどんな変化が起こっているのか、想像するだけで心が高まる。懐かしさを感じながら、話し合いの時間では、どもる子どもの保護者のグループに入れていただいた。悩みや迷い、嬉しかったことなど、皆さんのお話はどれも愛情に溢れていた。同時に、自分の親もこんなふうに考えてくれていたのかなと思いを巡らせた。
また、このキャンプを支えた言語聴覚士の方々、言葉の教室の先生方の思いを近くで聴けたのは、とても贅沢な時間だったと思う。どなたも信念を持ち、どもる子どもたちとの関わり方を真摯に考えておられた。それは、私にとって結局「自分ごと」でしかなかった吃音を、良い意味で客観視する時間でもあった。

 休憩の時間など、広場で年齢関係なく一緒に走り回る子どもたちはきっと、単に「外で遊べて楽しい」以上のワクワクを心に抱いていたのだろうと思う。そしてキャンプが終わって日が経った今、参加した子どもたちはどのような気持ちでいるかなと考える。
 このキャンプによって劇的に変わることができたら、それが一番素晴らしいと思う。でも、それがすぐに実現できなくても、決してダメではないとも思う。葛藤しながら、自分の生き方を自分で選択する場面で、キャンプで得たことを噛みしめられたら良いと思う。できるだけ、吃音を言い訳にせず過ごせたらいい。それが人によっては1週間後かもしれないし、5年後、10年以上後かもしれない。それぞれのタイミングがあって良いのではないか。

―――私は母と心が通わないと感じた10代の頃から、吃音のことを含め、自分の心の奥底にある思いを伝えることは少なくなっていた。
 しかし考えてみると、20年ほど前に伊藤さんの記事を新聞で見つけては連絡をとり、翌年にはサマーキャンプに一緒に参加してくれたのは、まぎれもなく母だった。その後は日々の生活に流され、私自身どもりを受け入れられずに思い悩むことも少なくなかったが、それでも大人になって自分の意思で大阪吃音教室に参加し、大阪スタタリングプロジェクトの会員になり、吃音のことに留まらない、人との関わりや心の持ち方について考える場に恵まれながら、何とか日常に向かっていく今日の私の原点は、20年前のあの日だったのだろう。親にしてもらったことは無数にある。吃音に悩む思春期の私を放っておかなかった母に、ちゃんと感謝を伝えなければ。

 というようなことを、実家でジーマーミー豆腐を母と食べながら考える。沖縄のことを話さずに一人で食べてしまわないで良かった、一緒に食べる方が格段に美味しい。こうしみじみ思いながら。


 1996年、第7回吃音親子サマーキャンプに参加した、高校1年生の有馬さんが書いた作文を紹介します。

   
どもりで、ちょっと良かった
               有馬 久未
 帰ってきて丸一週間経った今、サマーキャンプでの楽しかった思い出ばかりが頭に浮かんでくる。もしかしてあの3日間、夢の中にいたんじゃないかと思うほど。おととし初めて参加した時には感じたことが多すぎて何から書いたら良いのか分からず、結局書かなかった感想を、今度こそは書き残しておこうと思う。
 私の知っている人たちがあまり参加しないと聞いていたので多少の不安はあったものの、やはりお互いに悩みを知っているだけあってすぐに仲良くなれる。このキャンプの大きな魅力だと思う。普段の私なら、初対面の人と話す時にはなるべくどもりたくないと思うから、しゃべることばがとても限られてきて、うわべだけのつき合いになってしまう。ここではそんなことに気を使う必要は全くない。笑われることも、妙な気まずい雰囲気が流れることも。初めてどもりを話題にして話した時、「あー、分かる分かる!」というその言葉がこの上なくうれしかったし、今回もとても新鮮に思えた。
 劇が終わった後の、父母の方の感想の中で、「声を出そうと一生懸命がんばっている姿は感動的」ということばが、心に強く残っている。どもりでない子が書いた文章も、とても温かく、久しぶりに心を打たれたという感じだった。
 このキャンプは、私を豊かにしてくれる。自分の考えを持っている人や、夢とか目標を持つ人に出会って、刺激されるから。そしてまた、私も大きくなりたいと思うのだ。
 もし私がどもりでなかったら、この人たちと会うこと、存在を知ることさえなかったんだと思うと、この偶然が不思議でたまらない。また、こういう場を与えてくれる人がいて、私はラッキーだと思う。どもりでちょっと良かったなと思う。

日本吃音臨床研究会 伊藤伸二 2016/11/30