二人の若者との対話は楽しいものでした。どもる、どもらないに関わらず、二人のような若者に世会うとうれしくなります。ひとりの人間の成長は、周りからは、ある短所や欠点も障害とみられがちなことに向き合い、それとどう折り合いをつけて生きるかにつきるように僕は思います。
ふたりの未来はとても明るいですが、苦労もたくさんでてくるでしょう。どもりと向き合った力は、その時、きっと役立つと僕は確信しています。長くなりますが、二人との対話を今回で全部抄録します。
なぜ、医者になりたいと思ったか
伊藤 将来の仕事だけれど森田さんは、おもしろいんだよね。早稲田大学のラグビー部だった。ラグビーをしていて、そのまま、上野公園のパスをもっていて、よくパンダの前でじっと見ていた。将来はパンダの飼育係になるんじゃなかったっけ。(笑い)
森田 冗談として、親にはそう言ってました。
伊藤 大学卒業してから、社会人になる気はなかったの?
森田 早稲田でラグビーをやってたときに、目をけがして、病院でお世話になったのがきっかけで、医者になろうと思いました。それが大学2年のときだったので、就職活動は最初からする気はなくて。
伊藤 病気をして医者にお世話になってよかったから、じゃ、医者になろうって、なんかちょっと単純過ぎるんじゃないですか。
森田 じゃ、語っていいですか。(笑い)
伊藤 いいよ、語って。
森田 病気ではなく、けがなんですが、9月だった。その前の6月に、ラグビー部の後輩が心臓発作で亡くなって、その後の8月に、祖父が他界して、そういことがあって、それで自分が死ぬときのこととかを感じ始めて、そこで考えたのが死ぬときに、満足して死にたいということで、仕事をなんとなくこなす会社に行って、働く見たいのは僕は嫌で、明確な目的をもって働きたいという思いがわき上がっていた矢先にけがをして、
伊藤 実際、患者の立場に立ったわけだね。
森田 それで、そこで、医師という病気やけがと向き合うことをすれば、いつ死んでも後悔はないと、
伊藤 なるほど。自分のやりたいという仕事につきたいとの思いが強いんだ。で、どういう科の医者になるかはイメージはあるの?
森田 当時は全然なかったけど、今、勉強し始めて、まだ漠然と、外科系に進みたいと思い始めました。
伊藤 俊哉は、手先は器用だったか?(笑い)どんくさいんじゃなかったかい。
森田 今、解剖をやってるんですけど、
伊藤 失敗してない?
森田 失敗は少ない方です。(笑い)
伊藤 そうか、そうか。
森田 たまに、気づいたら、静脈、切ってたりとか、(笑い)はありますけど。
伊藤 でも、他の人と比べて、きわめてどんくさい方ではないわけだ。まあまあいけそう。
森田 はい。
伊藤 ある意味、医者も教師も、話すことが多い仕事だよね。もちろん、動機として、植田さんは2日間の支援学校の経験があるわけだけれど、話すことの多い仕事をやっていけそうですか。
植田 これまでは吃音に悩んできたんですけど、これまで周りに認められてきたということと、自分が話すことに立ち向かってきたことの積み重ねであるので、大丈夫だと思います。がんばります。(拍手)
伊藤 すごい決意で、いいねえ。決意表明だね。医者も、すごくしゃべることが多いことになるけど、森田さんはどうですか。
森田 患者さんは、どんなに僕がどもさっても、医師の話を聞かないわけにはいかない(笑い)ので。
伊藤 なるほど、いいね、いいね。
森田 医師が弱み見せると、医師も病気じゃないけど、吃音がへんだというわけではないけれど、弱みのようなものをもってれば、患者さんも心を開きやすいんじゃないかなと思います。
伊藤 堂々とどもっている教師とか医師、これは信頼されるよね。どもりたくないなあ、どもりたくないなあと思いながら、結果としてどもるよりも、堂々とどもって平気でいる人間に対して、人は何も言いようがないものね。それができればすごい強みになる。僕の知り合いで、聴覚障害の医者がいる。聴覚障害を否定して生きてきたときは、しんどかった。でも、自分が耳が聞こえないことを、患者にも分かってもらい、看護師に通訳してもらったり、補聴器をつけたりしたら、すごく信頼される医師になった。なんか自分の弱みとか弱点を知られないように隠そうとしていたら、しんどいよね。そういう意味では、二人とも、堂々とどもっていこうとしているから安心だ。
二人 はい。
伊藤 堂々とどもっていく限り、どもりは自分たちとしては、ハンディとはならないと思っていますか。
森田 どもりのメリットもあると思う。今言ったことも弱みを隠さないで見せることとか、自分も人の苦労とかが分かるとか。
伊藤 それは、ある意味、大きな強みになる。僕も、糖尿病からくる心臓病で入院したけど、そのときに感じたのは、医師やでも看護師でもそうだけど、元気で自信満々で、生きている医者よりも、ちょっと優しい、ちょっと僕の気持ちも分かってくれそうな、看護師の方が話しやすかったし、痛んでいると、強い人はしんどい。そういう意味では、二人とも弱そうだから、いいか。
植田 ええええっ。(笑い)
子どもの時代から、今の自分をみて
伊藤 そうでもないか。小学校の時代の自分から見て、今、こうなってしゃべている自分、吃音に関係する、静岡わくわくキャンプにどもる先輩として呼ばれて、こんなことをしゃべっている自分を、小学校時代の自分が見ているとしたら、どんな風にみていますか。
植田 信じられないというか、僕は発表するのはあんまり得意じゃなかったので、大勢の前で話すことができて、幸せというか。
伊藤 なるほどね。
植田 よくぞここまで成長したな、と思います。(笑い)
伊藤 ね、ほんと、そうだよね。これは、僕も言える。高校2年生の時なんか、音読が怖くて不登校になって、このままだと卒業できないと思い、僕だけ朗読を免除してほしいと頼みの行って、免除されてなんとか高校を卒業できたので、中学校の同窓会に行くと、みんなびっくりするよね。これがあのぜんぜん目立たなかった伊藤がと。何かの事件を犯すと、必ず、あの人は無口で、目立たなかったとか、当時の同級生が言ったりするけど、僕なんかも、伊藤さんなんて知らないわと言われたりしそうな人間が、こうして人前で話したり、講義をしたりするなんて信じられない。ということは、今の状態、小学校のときのしんどい状態が、必ずしも、ずっと続くわけではないし、今後、いろんな人との出会いがあって、成長していけるし、人間は変われるということだね。
そういうことをどもる大人の僕たちが、どもる子どもたちや、保護者に伝えていけたらいいね。
森田さんはどうですか。小学校の4年生のときに、僕と始めて会って、そのときの自分から今の自分を見るとすると、どんな感じですか。昔の自分が今の状態を想像するなんて、できないけれど、昔の自分からみて今の自分をどう思いますか。
森田 まだ大学に通ってはいるけど、社会人としてまっとうにこうやって生きている。昔、僕が吃音親子サマーキャンプで見てあこがれたどもる大人に入るかなと思います。
伊藤 小学校4年生のときから見てきた成人のどもる大人の人たちに、自分も一歩近づけているという、そんな感じなんですね。僕は、小学校4年生のときから長いつきあいで、ずっと彼を見ているけど、人間って変わるなあと本当に思います。成長するというか、変わるというのか。小学校4年で、始めてあつたとき、キャンプのプログラムのボート遊びなど体を動かすことには全然しなかった。みんながやっていることと一緒のことはやらないし、ハイキングに行くと言っても、僕は行かないと言って行かないし、自分勝手な人間だったよね。
森田 (笑い)
伊藤 それが、スポーツで、それも運動量の多いラグビーなんて、一人がチームのためにとチームワークがもっとも大事なスポーツですよね。小学生時代、自分勝手な人間だったのが、チームワークが大事なスポーツとはびっくりです。
森田 ラグビーをやっているのは、僕も信じられない。
伊藤 僕も、ほんとに信じられない。だから、人間というのは、ひとつの子どもの時代だけで切って、こうだとか言わないで、子どもを信じて待つということが大事だよね。そういう意味では、森田さんも僕もお互い、見限られなかったからね。ありがたいよね。森田さんがこんなに大きく変貌をとけだこと、長年つきあってきた者として、本当にうれしいし、「子どもは変わる」を主張するときの話題としても使わせてもらっています。
さて、もう少しの時間ですが、質問があったらどうぞ。
質疑応答
参加者 好きな女の人との関係のときに、どもりはどうなんでしょうか。
伊藤 関係って、何の関係?(笑い)
参加者 おしゃべり。集団のおしゃべりはすごく苦手だったと言ってたけど、
伊藤 植田さんは彼女はいるのかい。
植田 はい。
伊藤 いるって。彼女との会話ではどう。
植田 初めのことばが出なかったり、前のことばを繰り返したりしますけど。
伊藤 彼女は、それをちゃんと、聞いてくれているんだね。
植田 何も言わずに聞いてくれてます。
伊藤 どもりって気がついてる?
植田 はい、気がついてます。
伊藤 ちゃんと言ったことはある? 「あんた、どもるね」って。
植田 言われて、そうだよと言ったら、そうなんだ、みたいな。
伊藤 ああ、いいね。とてもいいね。森田さんはどう。
森田 ・・
伊藤 いる???
森田 いないです。
伊藤 最初から、いないだろうと確信を持って聞いている(笑い)。ラグビーと医学部受験で忙しかったものね。小学校のことばの教室で子どもたちと会うことはあるんだけれど、よく僕に、なんでも質問してもいいよと言ったら、案外、言うのは、彼女はいるのかとか、結婚してるのかとかですね。どもりとは関係ないだろと思うけど、そのときに必ず、言うのは、「どもりはもてるでえ」と言う。もてるよね。
植田 いや、もてないです。(笑い)
伊藤 僕は、21まではどもりを否定して生きていた。これは全然だめだと思う。どんなに力があっても、何をやっても。何か時分の核心に触れる部分を否定して、隠している限り、全然もてない。だめな部分、欠点といわれる部分をちゃんとおおらかに認めて生きている人間は、すてきですよ。僕は、生まれ変われた一番大きい要因は、川内瑠璃子さんという、初恋の人が、僕がどもってどもってしゃべっている姿を見て、「伊藤さんは、こんなにどもりながら一所懸命しゃべっている。その姿がとっても素敵だ」と言ってくれて、僕を愛してくれた。それまでは、どもる僕なんか、男の友だちもいないわけたから、異性の友だちなんかできるわけがないと思っていたけど、その川内瑠璃子さんに愛されたという実感を持てたとき、なんか生きる勇気がわいてきた。それから、手当たり次第に(笑い)女性に声をかけられるようになって、僕は日本一周ひとり旅を、3ヶ月間したけと、行く先々で女性に声をかけられて、写真を見ると、この子、かわいかったなとか思い出す。
女の子にもてた話を、僕たちのワークショップに来てくれた、詩人の谷川俊太郎さんに、したときに、「どもる人は、ずるいよ。どもっていると、誠実でなくても、誠実そうに見られる。(笑い)だって、「僕ね君が好きだ」とすっと言うよりも、「ぼぼぼ僕、ききききき君が、すすすす好きだ」と言った方がすごい真実みがある。
僕たちのどもり仲間、大阪吃音教室の仲間や、落語家の桂文福さんも、どもりをチャーミングなポイントに変えていくことができる。欠点とか、マイナスとか、ネカティヴなものがあったら、それに沈んでしまったら、欠点でしかないけど、欠点をおおらかに認めてしまったら、これは特に教師とか医師とかの場合は、周りの人にいい影響を与える。そういう意味で、女性関係は今、発展中で、こちらはこれから。
参加者 ことばの教室の教員です。森田さんは、ことばの教室に通っていらっしゃったと思いますが、通っていてよかったなあと思うことは何ですか。植田さんは、通ってなかったけど、通いたかったかどうか、あったらよかったか、
植田 僕は、なんでどもるのか、知りたかったです。この僕のしゃべり方は何なのか、分からなくて。その理由が知りたかった。それを知るために、やっぱり通いたかったですね。
伊藤 なるほど。植田さんが通わなかったのは、ことばの教室の存在を知らなかった?
植田 幼稚園の頃は、構音でことばの教室に通っていたんですけど、小学校からは構音の問題はなくなったんですけど、どもり始めて、でも、周りからはみつからなかったので、
伊藤 さがしてくれなかったんだね。ということは、お母さんもあまり気がつかなかったから、ことばの教室にということはなかったんだね。
森田 3年か4年くらいのときから、ことばの教室に通ってたんですけど、正直、ことばの教室で、直接的な何かレッスンというか、そういうことはなかったというのが正直ななところですが、こういう静岡のキャンプのイベントとか情報とをもらうのが大事なことと思っている。ことばの教室に通っていなかったら、僕自身、ここの静岡キャンプのことは知らなかったと思うし、伊藤さんとも出会わないし、吃音親子サマーキャンプにも参加しなかったと思うので、そういう情報提供が大切なことかと思います。
参加者 森田さん、こういう吃音のキャンプに、自分から行きたいと思いましたか。それとも、うちの人が進めたから。
森田 親から行ってみようという紹介があって、たぶん最終的に行くと決めたのは自分だと思います。
伊藤 行くと決めた、どういうことを期待して、どういうことがあると思った?
森田 昔のことなので、あまり覚えていないけど、キャンプが静岡県全体での開催、規模が大きいから、どもっている人がたくさん来て理解を深められることを期待していたと思う。
伊藤 ひとつには、なぜこうなるのか、どもりとは一体何なのかということを、知識として知っていたら、ずいぶん違うんでしょうね。訳の分からないものに悩むというのは、一番しんどい。ことばの教室は、言語訓練をして、どもりを少しでも改善するという役割だと思い込むより、どもりに対する学習、知識を共有する場であったり、情報提供の場であったり、それだけで十分かなと僕は思います。あとひとりだけ。どうぞ。
参加者 吃音のキャンプには参加していたけど、親の会がしている一般的なキャンプにも参加したいと思うのか、それより吃音のキャンプがいいのか。
森田 親の会のキャンプってなんですか。
伊藤 どもる子ども以外にもいろんな子が参加するキャンプで、静岡わくわくキャンプや吃音親子サマーキャンプは、どもる子どもだけに特化したキャンプです。
森田 純粋なイベントとして、参加したいかどうかということですか。
参加者 親の会で、県全体でずっとやってるんですけど、いろいろな子どもたちが参加するキャンプに参加してみたかったかどうかです。
植田 僕はあんまり人付き合いとか好きな方ではなかったので、そういうのは乗り気ではなかった。
伊藤 どもりはちょっと独特なので、どもりだけの子どもたちが集まるというのが、子どもたちにとってはいいみたいで、「どもるとことが普通、どもりがそのままに認められる場がこんなに楽しいとは思わなかった」と子どもたちはよく言います。もちろん、子どもとして障害があろうとなかろうとそのまま認められることは一緒だけれど、どもりはどもりとして特化された方が、行きたいでしょうね。言い残したこと、あったらどうぞ。
植田 どもっていても、人生何とかなります。(拍手)
森田 自分の中で、どもりをどのくらい大きなものととらえるかが大事だと思っています。僕は、どもりなんか米粒みたいになって、症状は本人のとらえ方が変わってくると思うので、そこをうまく導いてあげることができたらいいかなと思います。(拍手)
伊藤 ことばの教室の教師も言語聴覚士も、どもりというのは、吃音といわれる症状の問題だととらえている研究者や学者が多いけれども、そんなこと、あんまり役に立たなくて、、どもりをどう受け止めて、どういうふに受け止めるか、そのことだけが大切だ、と言い切ってもいいくらいだと思う。僕も21までの暗黒な人生で、それ以後の幸せで楽しい人生をどこが違うかといったら、一点だけです。治すことをあきらめて、どもりを認めたら、どもる状態は全く変わらないのに、どもりに悩まなくなって、影響されなくなった。
吃音の症状と言われるものは、後半は変わってきたけれど、最初の3、4年は全く変わっていないのに、全く世界が別世界になりました。どもりを認めて、オレはおれだ、これで生きるんだと考えることができたら、ほんとに楽になる。
楽になることに、ことばの教室の教師や言語聴覚士がどうお手伝いができるか、というで、吃音を少しでも、軽くするということでは決してない。ということをずっと言い続けているんだけど、なかなか僕の考え方が多数派にはなっていかない。
なんとか静岡では、こういう形で続けてもらって、どもりにとってほんとに大事なことは何かということを伝え続けていってもらいたいなと思います。ではこれで終わりです。もう一度二人の若者へ感謝と、将来への応援を込めて拍手を。ありがとうございました。 終わりです
日本吃音臨床研究会 伊藤伸二 2016/11/08