4つめの吃音キャンプである、群馬の赤城山のキャンプから帰りました。今週末の沖縄キャンプで今年のキャンプは終わりです。前回からの続き、森田さん、植田との対話の続きです。
学生時代のクラブ活動
伊藤 植田さんが大きく変わったのは、クラブということでしたが、何のクラブ?
植田 バレーボールです。
伊藤 それは中学、高校と。
植田 中学、高校、大学です。
伊藤 かなり一生懸命やった?
植田 そうですね。先生がこわかったのもありますが。一生懸命していました。
伊藤 クラブもやって、勉強もやって、どもりに悩む暇がなかったんだね。クラブ活動での人間関係はどうだった?
植田 ボールや自分のことに精一杯でプレイ中はどもりが出ないし、一生懸命していたら、人間関係でも困ることはなかったです。
伊藤 そうか、何でも一生懸命している人に何も言えないわな。バレーは声は出さないの?
植田 出します。出しますが、運動しているときは、あまりどもりは出ない。
伊藤 野球部に入っている子が、声が出せと言われて困るという話を聞いたことがある。剣道している子は特に困る。「面!」と言わないと、面を打っていても「面一本」とはならないので、悔しがっている子がいた。そのように、タイミングがとれなくて困ったり、クラブ活動で困る人は案外にいるんだけど。じゃ、植田さんの場合は、プレイも人間関係も、クラブ活動ではあんまり困ってなかったんだ。
植田 はい。
伊藤 森田さんはどうですか、クラブ活動については。
森田 中学校から、ラグビーをしていた。プレイ中や練習中に困ることはなかったし、あまりどもらない。
伊藤 そうか。声をかけたりはしないの?
森田 あるけど、それでも、あんまり困ることはなかった。
伊藤 困ることはない? クラブ活動の中での人間関係の困難さというのは?
森田 先輩と話をするときは、結構どもる。人間関係が悪くなるというところまではいかないけれど、純粋に意思の疎通が迅速にできないというところが、不便だということが、問題といえば問題としてありました。
伊藤 具体的にいえば、どういう場面で?
コミュニケーション
森田 練習会で話をするとき、どもるので、
伊藤 話をするときってどういう話をするの。
森田 他愛もない世間話とか、戦術面の作戦についての話とか。
伊藤 雑談ではなく、戦術でこうしろああしろという話もあるわけだよね。そのときに、不便は感じたけれども、みんなはちゃんと聞いてくれてた?
森田 僕がどもってでも、何かを言うときは、それだけ伝えたい重要なことを言おうとしているという認識は周りにもあったと思う。普段はあまりしゃべらないけど、しゃべるときは、大切なことを話すのだと思ってくれたのか、みんな、聞いてくれた。
伊藤 なるほど。つまり、あんまりわいわいと雑談をして、和気あいあいと楽しく雑談することに対してはもうあきらめていたわけか。あきらめるというか、そういうことに対しては、自分はもういいやと考えていたのかな。
森田 まあ、そうです。
伊藤 だから、森田がしゃべるときは、大事なことをしゃべるので、これは聞かないといけないと周りが思っていた。そのときくらいはちゃんと聞こう、そんな感じかな。
森田 まあ、そんな感じです。
伊藤 おもしろいね。じゃ、人とわいわいと、楽しくというのは、今でもあまりない?
森田 グループでも複数の人と話していても、会話の中心に僕がいなくても、周りの話を聞いているのが楽しいというか、必ずしも自分が何か言わなくてもいい。
伊藤 輪の中にいて、必ずしも話さなくてもいいと森田さんのように考えることができると、どもる人は楽なんだけど、そう考えない人は多い。話し合いの中で自分もタイミングよく冗談を言ったり、話さなければならない、話さないと輪の中にいる意味がないと思ってしまう人にとっては、タイミングよく話せないのはつらいね。僕がそうだったから。森田さんの場合、それはもういい、自分がしゃべるときは、大事なことを言うわけだから、そのときには、ちゃんと聞いてくれたらいいと考えている。それはとてもいいコミュニケーションのあり方だと思う。僕も、人前で講演したり、講義したり、こういう話をしてくれと言われたら、何時間でもしゃべれるけれども、雑談というか、どうでもいいような会話がとても苦手です。どうでもいいような、絶対話したいというようなものではない場面でどもりたくない。大阪吃音教室の仲間の中に、かなりどもる人間がいて、輪の中で森田さんのように、ただ聞いているだけで存在しているということで良しとできなくて、やっぱり話してなんぼとか、自分が中心的にいなければならないと思っている人がいる。そう人は、つらいよね。植田さんは、そういうことはないの? 雑談なんかでもあまりどもらないの?
植田 雑談はする方なんですけど、公式というか、集団討論で話すタイミングとか、とれなくて、僕の場合はそういう場は苦手です。
伊藤 集団討論は、話さなければならないと設定された場だものね。
植田 入るタイミングが分からなくて、かなり苦労しました。
伊藤 その苦労を、これまでどういうふうにしのいできたの?
植田 とりあえず、手を挙げることから。
伊藤 そうやね。
植田 尻込みしてもしょうがないので、とりあえず何か言おうかなと。つっかえてもいいから、まず手を挙げる。
伊藤 結局、上手にどもらないでしゃべるタイミングを待っていたら、しゃべれないよね。とりあえず手を挙げたということは、しゃべるという意思表示をしたということで、そのときはどもってでもしゃべるということだね。そういうふうにどもってでもしゃべったときは、みんな聞いてくれてるわけだ。
植田 はい。僕の方を向いてうなずいてくれるので、僕もしゃべってよかったというのはありました。
伊藤 そのとき、聞き手は、君がどもっているというのは、気がついてないの?
植田 さあ、どうですかね。
伊藤 どういうふうに思われているんだろうね。あまりどもらないけれど、何か違うとは思っているのだろうか。
植田 なんか変なやつだなとか。(笑い)
伊藤 ちょっとスムーズじゃないけど、別に話は分かるし、問題にすべきことではないということか。話し上手ではないし、流暢ではないけれどもね。そこが、植田さんと森田さんとは違うところだね。森田さんは、はっきりとどもりだというのは分かっているわけだから。
将来の仕事について
植田さんは、将来は、教員採用試験に合格したわけだから、教師になるんだよね。支援学級や支援学校の教師になるの?
植田 はい。特別支援学校の先生に。
伊藤 どうしてそれを選んだんですか。
植田 大学4年次に、支援学校で障害のある子たちと、2日間共に過ごしました。2日間だけなんですけど。僕よりも重い課題をもっているけど、がんばっている姿を見て、勇気をもらったし、自分の悩んだ経験を活かすことができる場なのかと考えて志望しました。
伊藤 そうか。それは、あやしいな。(笑い)いや、僕は、多いときは7校、8校くらいの大学や言語聴覚士の専門学校で吃音の講義をしていたんだけど、必ず、そこにどもる人がいる。志望動機を聞くと、自分が吃音に悩んできたから、どもる人の気持ちが分かると言うんだ。植田さんの場合は、教えるのが吃音の子ではないからいいと思うけど、吃音の人が、吃音の子どもに関わるとき、自分の体験があるから、分かった気になってしまうことは怖い。分からない人間だったら、質問したり、相手の話を丁寧に聞いていくだろうけれど、「オレ、経験者だし、分かっている」と省いてしまうと、それはものすごいマイナスに働く。僕の今の話を聞いてどう思いますか。
植田 僕も他人のことはよく分からないと思っています、当事者じゃない限り。とりあえず、自分だけの判断で言わずに相手の話を聞くということは第一に考えています。
伊藤 そうね。大体同じような体験をしてきたとしても、その人の生活や、環境、パーソナリティなどで全然違う。同じような、たとえば吃音に悩んだ経験をしてきたとしても、常に、ひとりひとりが違うということをしっかりと意識しておく必要がある。でも、苦しんできたことを活かすことはできると思う。
僕は、カウンセリングの中の、ベーシックエンカウンターグループという、10人くらいが輪になって、4泊5日で話をするワークショップでファシリテーターをした経験がかなりあるけれど、やっぱり吃音で悩んできたというのは、人の苦しみや悲しみなどに、全く同じとは言わなくても、ちょっとだけは近づけることは何度もあった。極楽とんぼのように生きてきた人より、とても悩んだ経験があるから、そのしんどさが、少しだろうけれど、理解できる。
まだまだ続きます。
日本吃音臨床研究会 伊藤伸二2016/11/07