「吃音の当事者研究」に寄せて書いて下さった、斉藤道雄さんの文章。僕たちにとって、とてもありがたい応援のメッセージでした。まえがきで書いて下さった、向谷地生良さんの文章も、大きな応援となりました。吃音ショートコースの3日間「伊藤さんたちの夜明けは近い」と何度もいって下さいました。そのとき、そう思えたのですが、発達障害支援法などの出現で、また夜明けは遠くなった気がします。
まえがき 吃音という可能性
私が「吃音」の世界に足を踏み入れるきっかけは、斉藤道雄さんが北海道浦河町内にもつ「別荘」にお邪魔した際に、一緒に来町されていた伊藤伸二さんを紹介されたことでした。「べてるの"非"援助の考え方の中に、私がこの分野で長年主張してきたことが、そのままあるんですよ!」と「治さないこと」の大切さについて語られる伊藤さんの熱い思いに耳を傾けながら、吃音をめぐる議論が、統合失調症のそれとあまりにも似ていることに、驚きを禁じ得ませんでした。それは、脳科学や遺伝子レベルの研究をはじめ、養育環境やストレスとの関連から、その原因を探ろうとするところまで、ほとんど統合失調症に対するアプローチの歴史と重なるものがあります。
そして、私は、お会いした瞬間、失礼ながら伊藤さんに独特の「匂い」を感じていました。実はこの手の匂いをもつ人は、敵が多いし、往々にして「嫌われる」ことが多いものです。本や映画にもなった『奇跡のリンゴ』(幻冬舎文庫)で知られる青森県弘前市のりんご農家、木村秋則さん(世界ではじめてりんごの無農薬、無肥料栽培に成功)にも、同じ匂いを感じたことがあります。木村さんも、無肥料、無農薬という究極の「非」援助な農業に挑戦するなかで、病気や害虫の蔓延を心配する地元から村八分にされるという経験をもっています。その木村さんに、そのような困難を生き抜く「極意」をうかがったことがあります。すると木村さんは、ニコニコしながら「向谷地さん、それは"狂う"ことと、"嫌われること"だよ」といいました。そういえば、「よそ者・ばか者・若者」が地域を変えるキーワードだと聞いたことがあります。「非」援助を志ざそうとする人には、そのような固有の"ばか"を貫く趣があるのです。
そんな出会いの後にお誘いをいただいたのが、このたびの出版のきっかけとなった滋賀県のアクティプラザ琵琶で開催された「第17回吃音ショートコース」(2011年10月)への参加でした。
「吃音の当事者研究」というまったくの未経験の分野に、ほとんど準備もなく、出たとこ勝負のように参加した私は、吃音の世界のかかえるテーマの奥深さにひとり興奮していました。それは、吃音の世界は、生きる"研究素材"の宝庫であり、ともすれば「治したい」「治りたい」という括りでとらえられがちな「吃音」のテーマが、一方では「どもりたい」「どもれて安心した」という当事者の見えざる思いを内包していることを知ったからです。同様に、統合失調症をもった人たちの中にも、「向谷地さん、大変だ!病気が治ったかもしれない」と〃治ること"への危機感を訴える人たちもいます。このことは、吃音が、単なる「どもらなくなる」ことを越えたテーマ性をもっていることを示唆します。
今回の「吃音の当事者研究」は、吃音という現実を単なる克服すべき問題や病理としてとらえるのではなく、吃音という"難題"がもつ可能性に着目し、それを生きている人たちのしたたかな知恵とたくましさに学ぼうと企画されたものです。そして、私は、この当事者研究のアプローチが、(統合失調症の領域がそうであったように)吃音をめぐるさまざまな議論、時には対立的にとらえられている見解を融和させ、この新しい風は、吃音の世界の「夜明け」をもたらす大切な一里塚になると確信しています。
2013年6月5日 向谷地生良
日本吃音臨床研究会 伊藤伸二 2016年10月16日