作務衣姿の櫛谷宗則(くしや しゅうそく)さんが、大阪吃音教室に来て下さった。浄土宗のお寺だが、いろんな人が集まるお寺として有名な応典院の研修室が僕たち大阪吃音教室の会場だ。そこに、道元禅師直系の櫛谷さんが「自己の存在価値を自身の中にを見いだす」をテーマに話して下さった。33名が参加して、櫛谷さんの独特の話術に生き込まれていきました。その二日後、日曜日の午後六時半、NHKラジオの宗教の時間に、櫛谷さんの法話が放送されていました。内容は、その法話を吃音に照らしての話でした。大阪吃音教室に来てまた日が浅い人には、ちよつと難しいと感じた人も中にはいたかもしれませんが、僕たちの吃音についての考え方を熟知している人にとっては、心に響くものになつたと思います。
また、そのときのお話は報告しますが、今回は、2014年4月、僕たちのニュースレター「スタタリングナウ」に書いて下さったものを2回に分けて紹介します。
櫛谷宗則(くしや しゅうそく)
昭和25年、新潟県五泉市の生まれ。「宿なし興道(こうどう)」といわれた豪快な禅僧、澤木興道老師の高弟、内山興正(こうしよう)老師について19歳で出家得度(しゆつけとくど)。安(あん)泰(たい)寺(じ)に10年間安(あん)居(ご)する。老師の隠居地に近い宇治田原町の空家(耕(こう)雲(うん)庵(あん))に入り、縁ある人と坐りながら老師のもとに通う。老師遷(せん)化(げ)の後、故郷へ帰り地元などで坐禅会を主宰。大阪では谷町のプレマ・サット・サンガで、毎年9月末に坐禅法話会を続けている。
伊藤伸二さんとは10年ほど前、朝日新聞に載った伊藤さんの紹介記事が面白かったので、「共に育つ」への原稿をお願いしたのが始まりです。
<編著書>
『禅に聞け−澤木興道老師の言葉』『澤木興道 生きる力としてのZen』『内山興正老師 いのちの問答』『澤木興道老師のことば』『禅からのアドバイス−内山興正老師の言葉』(以上、大(だい)法(ほう)輪(りん)閣(かく))
『コトリと息がきれたら嬉しいな−榎本栄一いのち澄む』(探求社) 『共に育つ』(耕雲庵)など。
10年前、朝日新聞のコラム「小さな新聞」で、私たちのニュースレター「スタタリング・ナウ」が紹介された記事を読んだ櫛谷さんから、ご自分が編集し出版しておられる「共に育つ」への原稿依頼があった。それまで縁のなかった仏教関係の冊子への執筆依頼が、当時、仏教に惹かれ始めていた私にとってはありがたいことだった。毎回、出版されるたびに冊子を送って下さり、私たちのニュースレターもずっと読んで下さっている。読んで、ときどき、はっとするような感想を書いて私を励まし続けて下さっていた。新潟で講演があったとき、足を延ばして五泉市のお寺にお伺いしたかったが、お互いの都合がつかず、お会いすることができなかった。昨年、大阪市天王寺区のプレマ・サット・サンガで2日間座禅会をされると知って、1日参加した。一番前に座っていた私に、休憩時間、「伊藤伸二さんですね」と声をかけて下さった。そのとき、私の顔をまっすぐに見て「あなたの目は何かと闘っている目だ」と見抜かれた。そのとき、何か文章を書いていただけないかとお願いした。その文章に添えて下さったお手紙にこう書かれていた。
「これもご縁と思い、精一杯書かせていただきました。治す派との闘いは、対立しないで伊藤さんご自身の、吃音を光とする生き方を深めていかれること、その生活そのものが一番の道(武器)ではないかとふと思いました」
いのちの吃音日本吃音臨床研究会 伊藤伸二 2016年9月27日
櫛谷 宗則
吃音を考える
吃音で悩むという、何に悩んでいるのだろう。言葉がつっかえる、出てこない、しかしそれはそんなに不都合なことではない。吃音それ自身が問題なのではない。かりに吃音はチャーミングと感じる文化だったら、吃音であることは悩みにならない、うれしいこと。
人からの評価、人の目が気になっている。カッコ悪いと思われる、笑われる、モテない、面接で不利だなど。振り返ってみると、人は人からよく思われたいと必ず思っているのではないだろうか。自分の行為の基準がたいていそこにある。
そしてそれは、自分の目を気にしていることだ。なぜかというと、人の目は必ず人の目であって、私の目ではないからだ。私の目がカッコ悪いと思うからこそ、人もそう思っているに違いないと思ってしまう。
そんなふうに自分を自分で外から傍観者のように眺めて、どう見られているかを気にし、そこで良しとされる世間的な価値だけを良しとして生きているとはどういうことだろう。そこに展開されているのはいつも自分だけが可愛いと思っている私が、他と比較し競争する世界だ。勝った・負けた、得だ・損だ、偉い・偉くない、好きだ・嫌いだと、追ったり逃げたりしているなかに一日が暮れていく。そんな他との関係において外から見られた自分だけが、本当に自分なのだろうか。
昔、私のいたお寺にアメリカの大きな会社の社長さんがみえたことがある。会社も順調、家庭にも恵まれているのに、何年も前から自分の人生に対して、何んともいえないさびしさ虚しさを感じるというのだ。そして、これは何でしょうと、私の師匠(内山興正(うちやまこうしよう)老師)に問いかけた。
「あなたは自分の存在価値を自分以外の他のもの、たとえば地位とかお金持ちとか立派な家庭人とかいう他人の評価のなかにだけ求めていて、本当の自分の実物においてそれを見出していないからではありませんか。つまりいつも他との関係においてだけ生きていて、本当の自分を生きていないからさびしくなるのじゃありませんか」。
こういわれて、その社長さんは深く思い当たるところがあったようだった。そして「自己が自己の実物を生きることが大切で、それを純粋にやるのが坐禅です」と言う師の言葉にうなずいて帰っていった。
われわれたとえどんな世間的成功者になろうと、いずれ年老い、お金も地位も家族もみな手放して死んでいかねばならないときが必ず来る。人からよく思われることを価値として人とのカネアイだけの世界で生きてきたら、そんな着物をぜんぶ剥ぎ取られたときの自分は、どう思うだろう。裸の私はたった一人で生まれ、自分のいのちを自ら生き、たった一人裸で死んでいく。私の実物は初めから、人の評価で値段がつけられない地盤を生きていたのではないだろうか。
人は誰でも自分の人生の当事者、主人公として生きている。それなのに自分の人生をあたかも置き換えがきくもののように錯覚し、都合の悪いことは何かのせいにして生きていることがある。しかしどれだけ他人や社会やあるいは吃音のせいにし、いまの自分から逃れて生きようとしても、自分の人生を生きるのはこの自分しかいない。たとえそれが自分で認めたくない自分の人生だったとしても、他の誰が認め、代わって生きてくれるというのだろう。
私が生きるところにすべてがある
私は背が低い。でもそれは人と比べればこそ、なるほど低い。比べなければただこのようであるというだけで「低い」ということはない。つまり私が生きるという実際は、七十億人分の一として生きているだけではない。たとえていえば成功率五十パーセントの手術を受けた人が「私は半分生きていますが、半分死んでいます」と言ったらおかしい。当の本人にとってはすべてが生きているか、死んでいるかだ。
だから世界のなかのちっぽけな街の片隅で、ぽつんと小さな私が生きているのではない。私が生きているところにあらゆるものが感じられる、あらゆるものが生きている。山田さんはいままで、「山田さんの生きている世界」しか生きてこなかったはずだ。加藤さんはここまで、「加藤さんが生きている世界」だけを体験してきている。私にとって私のいのちがすべてのすべてなのだ。
いま吃音を授かって生きるなら、それがその当人にとっていのちのすべてだ。それぎりとしてこの身にあるなら、どうして劣っているとか欠けているとかいって比較できるものであるだろう。そこに吃音などない。ただそのような喋り方をする者が当り前に喋っているだけだ。
道のコンクリートの割れ目から雑草が生え、小さな花をつけていることがある。こんな排気ガスが多くて人にも踏みつけられそうな場所で、かわいそうだなと思うかもしれない。しかしそれは傍観者の言葉だ。当の本人にとっては、その場がいのちのすべてなのだ。すべてだから、いい悪いなどいっている浮ついた隙間はない。ただその場に安らい、精一杯咲いている。その生きる姿は、可憐で美しい。
それを傍観者のように外から眺め、人と比較するとき吃音が生まれる。伊藤伸二さんも小学二年の学芸会でセリフのある役から外されるまでは、伸び伸び明るくどもっていた。吃音などなかった。吃音を忘れたところで、吃音とともに豊かに生きていた。それが吃音は恥ずかしいものと意識したとたん、そこに吃音が生まれた。
つづく