大阪吃音教室は、この日は休みなのですが、桂文福さんが来て下さることになり、臨時で特別の大阪吃音教室を開きます。
§ 臨時特別 大阪吃音教室 §
日時 2016年9月30日(金)18:45〜21:00
会場 應典院B研修室
内容 桂文福さんとともに、どもりについて語ろう
桂文福さんと僕たちとのつながりはずいぶんと前からで、文福さんがご自分の吃音と向き合い、いろいろなところでカミングアウトされることになったきっかけは、NHKの「にんげんゆうゆう」という番組でした。
「にんげんゆうゆう〜仲間がいるから乗り切れる〜」の番組に僕が出演したのを、文福さんの息子さんが録画して、それを見られた文福さんから、faxがあり、すぐに電話もかかってきました。初め、吃音の相談かと思ったくらいどもって電話をしてきて下さいました。それをご縁に、その後、人が集うことで有名な、大阪市天王寺区の應典院というお寺が毎年開催する、コモンズフェスタというイベントにゲストとして来ていただいたり、吃音ショートコースにも特別ゲストとして来て下さいました。吃音親子サマーキャンプにも行きたい行きたいとよくおしゃっています。コモンズフェスタでの講演記録は、「スタタリング・ナウ」で特集しています。今日は、「スタタリング・ナウ」での講演記録の前の紹介文と、その時の僕が書いた巻頭言を紹介します。
どもりを個性に桂文福オリジナルの落語家人生
人が集い、息をする劇場寺院として知られる大阪市天王寺区・應典院を舞台に、様々なジャンルのNPOが集結する市民活動フェスティバル。日本吃音臨床研究会は今年は、個性的な落語家として活躍する桂文福さんの講演会で参加した。
「てんてんてんまりてんてまり」
紀州の殿様のお囃子にのって舞台の袖から登場するだけでもう笑いのモードに入っている。前列にずらっと並んだ小学生に一段と和やかさが増す。
桂文福さんは多くの著作があるがその中で、「対人恐怖や赤面症」については書いておられるが、どもりについては全く書いておられない。お話の中でも、NHKの『にんげんゆうゆう』を息子さんがたまたまテレビ欄でみつけビデオ録画をし、仕事先から帰ってからそれをみて共感して直ぐにファックスを下さったが、「皆さんが、私のどもりについて知っており、話にきて欲しいと言われても、来なかったかもしれない。『にんげんゆうゆう』を見なければこの出会いはなかっただろうと言われる。
大勢の人の前で、自分のどもりについて話すのは初めてだと言われ、これは私のカミングアウトだとおっしゃった。そして随分とどもりについて話して下さった。会場は常に爆笑の渦だった。どもりについての、苦しい、悲しい話を、おもしろおかしく話すわけではないが、「どもりも悪くないなあ」という、温かい大きな笑いが広がっていく。
価値観が広がる
日本吃音臨床研究会 代表 伊藤伸二
180度の価値の転換、逆転の発想、マイナスをプラスになどのことばが流行ったときがある。プラス思考で生きれば脳内に革命が起きる、との陳腐な本がベストセラーにもなった。
人が変わるとは、どういう道筋を辿るのだろうか。実際に180度の価値の転換ができて、その人が生きやすくなるのであれば、それはそれでいい。しかし、価値の転換にどうもついていけない感じがするのは、今在る自分を否定する、あるいは自分が否定されることへの抵抗感、嫌悪感からだろう。
私がどもりに悩み、苦しみ、将来の展望が全くもてずに堂々めぐりをして悩んでいた21歳の頃から、それなりに自己肯定への道を歩み始めたその道筋は、180度の価値の転換、どもりをプラスに、などというものでは決してなかった。どもりを治したいと、精一杯治す努力をしても治らず、「まあ、しゃあないか」と事実を認めたところから出発したように思う。どもりながらも生活を続けて数年後、ふと立ち止まったとき、数年前の自分とは随分変わっていることに気づいた。価値の転換や自分の変化、成長を目指して取り組んだことは何一つなかったから、自分の変化に気づかなかった。おそらく傷が癒えるときに薄皮ができ、その薄皮が1枚1枚はがれるようなものであったような気がする。
昨秋、應典院で開かれたコモンズフェスタで、桂文福さんがどもりについて語って下さった。
桂文福さんの落語家としての半生は、涙と笑いに満ちたものだった。どもりでシャイで対人恐怖で赤面症だった文福さんが、個性派の落語家として歩んでいく道は、最近CDとして出され全国でヒット中の『和歌山ラブソング』にも似て、『どもりラブソング』そのものだった。
しかし、不安を抱いて落語家界へ飛び込み、どもるがゆえに起こる数々のできごとは、今は笑いとして話され、聞く方もつい大笑いしてしまうが、その真っ只中にいた頃は、不安、恐れ、悔しさ、腹立たしさ、様々な思いがうずまいていたことだろう。その後、どもるがゆえに失敗するテレビのインタビュー番組で「とほほ・・・」のギャグが大受けする。
「そうか、どもって立ち往生し、『とほほ・・・』となるのもありか?!」
どもっている自分をそのままに置いて、少しだけ価値観が広がったということだろう。
障害児教育で「限りない発達」が言われたことがある。受け止め方によっては、人は縦への発達をつい考え、願ってしまう。縦へ、上への限りない成長、発達など在り得ないことだろう。しかし、自分の今できることを手を替え品を買えてならいくらでも出来る。つまり横へは広がっていける。
悲しみも苦しみもあっていい。あるから喜びも味わえるのだ。その中でも何かが起こっていくのは、縦へではなく、横へ、価値観が広がるからだろう。自分を否定しないで、そのままに、カニのように横へ横へと歩いていく。背伸びしすぎないで、そのまま、あるいは少しだけの工夫や努力でできることに精一杯取り組む。その行動の範囲が広がっていくプロセスの中で、人はいろいろな人と出会い、価値観が広がっていくのだろう。
桂文福さんの落語家としての30年の道のりは、どもっているどもりの症状をそのままにしながら、相撲甚句、河内音頭などと出会い、横へ横へと広がっていったように思う。
だから落語をするときはどもることはなくても、一旦高座から下りて、どもりについて私と話す時の文福さんはかなりどもっておられたのだ。その後の打ち上げ会での酒席では更に、文福さんは楽しくどもっておられた。そのどもり方は私たちにはとても心地よく、仲間意識が一段と深まった。なんかほっと安心する。笑いと、あたたかい雰囲気がその場いっぱいに広がっていった。
私たちが相談会や講演会を開くと必ずといっていいほど、「私はこうしてどもりを治した、軽くした。私もこれくらい喋れるようになったのだから、みんなも努力してどもりを軽くし、そして治せ」と言う人が現れる。その言動はどもりに悩む人たちへは励ましよりも大きなプレッシャーを与える。
文福さんは違う。どもりを打ち負かすのではない、勝たなくても、少なくとも負けへんでと、取り組んできたから今の文福さんがある。
「どもってもええやんか。そやけどな、どもっていてもおいやん(おじさん)のように、噺家のプロにもなれるんやで。プロになっても悔しいこと、悲しいこと、いっぱいある。けどな、負けへんで」
その日、広島から、福井からと遠くからも小学生が前の席にずらりと並んでいた。その子どもたちに、ちょっと太った一茶さんが話しかけていた。
「痩せ蛙 負けるな 一茶ここにあり」
「スタタリング・ナウ 2001.1.20 NO.77」
日本吃音臨床研究会 伊藤伸二 2016年9月21日