吃音親子サマーキャンプでは、年齢別に話し合いのグループをつくります。初日90分の話し合い、二日目には90分の作文教室があり、作文の後、2回目の話し合いが120分あります。初日、グループで話し合った後、泊まり、翌朝に今度は一人で吃音に向き合い、さらに話し合うのです。作文教室では、毎回、ひとりくらいは、自分のどもりについて一人で振り返ることで、からかわれたりした嫌なことを思い出し、泣き出す子どもがいます。以前参加した女子高校生は、作文を書き上げたあと、二回目の話し合いには参加できないと言ってきました。よほどつらいことを思い出したのでしょう。

 「いいよ、話し合いに出なくても。そこら辺を散歩して、気持ちがおさまったら、プログラムにまたもどってきたらいいよ」
 彼女は、もう帰りたいと思ったそうです。しかし、帰らなかったのは「劇」をしたかったからだと後になって振り返っていました。小さな子どもたちが、真剣に自分の「ことば」に向き合い、どもりながら劇の練習をする姿に励まされたようです。最終日、劇の上演もすべて終わった後の振り返りの話し合いで、彼女はこう発言しました。
 「高校生も、小さい子も関係なく、みんな真剣に劇の稽古をしている姿に励まされた。途中で帰らずに、最後まで残ってよかった。心が軽くなった」

 僕は、毎日新聞の記事は、保護者の学習会で紹介しようと思っていました。理由があるわけではありませんが、僕が担当した、中学2年生、3年生のグループで紹介しようとはまったく考えませんでした。ところが、スタッフミーティングで、各グループの報告をした時、小学6年生、中学1年生のグループでは、毎日新聞の記事で、すごく盛り上がったと報告されました。小学6年生、中学1年生の子どもたちが、新聞記事にこんなに関心をもち、はっきりと自分の意見を言うのには驚いたと、スタッフが報告し、他のスタッフも驚きました。
 話し合いは、録音はしないが、詳細な記録をとることにしています。その記録をもとに、毎日新聞に対する子どもたちの発言を紹介します。
 
 小学6年生、 中学1年生のグループの話し合い
 スタッフが、「吃音のことが大きく新聞に載っているけれども、ちょっと読んでみるね。また、後で意見を聞かせてほしい」と、新聞記事を見せながら、本文を読み上げました。それを食い入るように聞いていたそうです。子どもたちの反応です。

・自分らは、こんなとは違う。
・僕は毎日新聞は悪いと思う。どもっていると、苦しそうなことばかり。ここで紹介されている人たちは、全員がつらそうだ。
・俺らは、どもっているけれども、こんなにつらくはない。死にたいとか、生まれ変わりたいとか、僕ら、考えたことはない。そんな苦しい、つらいことばかりをピックアップしている。
・どもりで悩んでいる人のことばかり書いているけれど、そうではない人の欄がほしかった。
・ここに書いてあるような悩んでいる人ばかりではなくて、前向きに生きている人がいるということを入れてほしい。
 スタッフが「じゃ、どう書いてほしいの」と問いかけました。
・僕らの体験や意見を書いてほしい。
 スタッフが、「どもりに苦しんでいる人と、君たちのように、つらいこともあったかもしれないけれど、今は明るく生きている人と、何が違うのかなあ」とさらに問いかけました。
・周りの人が違うんだと思う。
・僕の家族も学校の友だちも、僕のどもりのことをこんなにマイナスに考えていない。
・ここに「理解されずに」と書いてあるけれど、僕は、自分が自分の吃音を説明する意志が大事だと思う。
・僕もどもっていて、嫌なことやからかわれたことがあったけれど、「これは、僕の話し方やから」と説明ができる。苦しんでいる人は、それが自分の力でできないんだと思う。
・明るく生きている人は、この「サマーキャンプ」や神戸で集まっている「ほおーっと神戸」に行って、どもりのことを話し合っている人やと思う。
・ここに「発達障害」と書いてあるけれど、僕たちは、発達障害なのか。障害は、かわいそうという感じがする。どもりを障害とは思わないでほしい。僕がほかの人に自分のどもりについて言うときには、どもりのことを障害や病気だとは言わない。吃音で悩んでいる人、苦しい人にとっては、吃音は障害だというのはありがたいのかもしれないけれど、「吃音を障害と認識することが大事だ」というのは、どうかと思う。
・こんなに新聞に大きく載って、吃音のことを知ってもらうという点ではいいと思うけれど、記事の書き方がよくない。
・サマーキャンプに来ている人や僕らは、どもることで困ったり悩むことはあるけれど、それでも楽しく元気に生きている。どもりながらちゃんと生きている人のことをもっと大きく書いてほしい。なんか差別されている人のことだけが書いている。
・困っている人のことも、僕たちのような人のことも両方、強調しないといけない。治したい、改善したいという人が80人中67人が「はい」と回答したと書いてあるけれど、僕らもどもりが治るものなら治したいけれど、治せないんやからしゃあないと思う。「吃音の改善・克服」と書いてあるけれど、「改善」は吃音を治す方向だし、「克服」はどもりながらもちゃんとどもりとつきあうことだから、意味が違う。第三者が分かったように書いている。
・僕らはどもるけれども、どもる人間全員が一緒のような感じ方、考え方をしているように、どもる人全員を一緒にしないでほしい。僕も、治したいかと言われたら、治るんやったら治ってほしいけど。
・みんなで毎日新聞に投書しようか。

日本吃音臨床研究会 伊藤伸二 2016年9月1日


毎日新聞 8.17

毎日新聞 8.17 part2