吃音「差別受けた」6割  「理解不十分」7割  本社アンケート
 こんな見出しで、吃音についての調査記事が、関東地方で、一面トップで掲載されました。吃音が、大きな新聞で、しかも一面で掲載されるなど、今までなかったことでしょう。記事を読んで唖然としました。あまりにも一面的な、ネガティヴな記事だからです。

 以前、働きたいが吃音のために働けないから、身体障害者手帳を取得したい人の記事が掲載され、吃音の悩み、苦しみばかりが強調されました。それに対して、「吃音とともに豊かに生きている」人のことも紹介してほしいと、たくさんの書籍と資料を担当記者に送りましたが、資料を受け取ったとの連絡もなく、完全に無視されました。吃音に悩んでいる人を紹介するなら、吃音とともに豊かに生きている人も紹介すべきです。そうでなければ、吃音であれば差別を受け、大変な人生になるとの、一方的な吃音のイメージを社会にまき散らすことになります。それは、吃音全体にとって好ましいことではありません。

 後日、そのことを先輩の記者だった八木晃介さんに、「資料を送ったが、完全に無視された」と話したところ、「信じられないことだ」と話していました。以前、筑紫哲也さんが、「ジャーナリズムは死んだ」と発言していました。残念ながら、今の政治や経済、社会の記事についてもそう感じざるを得ません。

 これまで毎日新聞が吃音について書いてくれた記事は、「吃音と共に豊かに生きる」論調のものでした。それが、吃音の悩み、苦しみだけの記事に大きく様変わりしました。
 2016年8月17日の記事について、僕の感想を書く前に、僕と毎日新聞の出会いを、当時の毎日新聞の記者で、現在は花園大学名誉教授八木晃介さんの文章で紹介します。


 
「吃音者宣言」に学んで
 毎日新聞大阪本社学芸部記者 八木晃介

 
 1975年の初秋でした。当時、私が勤務していた毎日新聞東京本社に、言友会の代表と名乗る方が私に面会を求めて来られたのです。認識不足も甚しいのですが、「言友会? さて、なにかしら?」などと躊躇していると、本社の受付嬢は「『紙面について問いただしたいことがある』とおっしゃっています」とかなりきつい調子なのです。「これはただごとではないわい」と四階の編集局からエレベーターにも乗らず、階段を駆け下りて一階の受付へ行きました。

 そこに立っていた童顔の、颯爽たる青年が当時大阪教育大学の助手で、全国言友会事務局長も務めたことのある伊藤伸二さんでした。それが、私の最初の言友会体験だったわけです。地階の喫茶店に腰をおろし、コーヒーを注文したのですが、伊藤さんはそれに口をつけることもなく、開口一番から私を激しくめくりはじめたのです。むろんそれは私を罵倒するなどというものではなく、温厚で説得的な伊藤さんのいつもの語り口だったのですが、私にすれば、いわば糾弾を受けていると実感せざるを得ないほどに胸にこたえてくることばかりでした。

 「八木さんは部落問題や障害者問題などについて比較的まっとうな反差別の論理を新聞でも展開しているのに、吃音問題についてはなぜあのようなデタラメの原稿を書くのですか」というような調子であったと記憶します。私は読者に対して、常にある種の恐しさというものを意識しながら原稿を書いているつもりですが、そのときもまたここにも本質的なこわさを持つ一人の読者がいる、と実際に感じなければなりませんでした。要するにそのとき、伊藤さんは私に対して、おまえは分かったような顔をしているが、実際には何も分かっていないではないか、と指摘されたのだと思います。恥かしさをおして言えば、私は今まで一貫して、そのような指摘を受け続け、その中でようやく自分が歩いていく道筋をみつけ出してノロノロと進んできたように思うのです。私にとっての幸いは、そういう私を見捨てることなく、めくり続けてくれる部落の人々や、「障害」者の人々が私の周囲に存在していたことでした。伊藤さんもまたそのような存在として、つまり、私を“真人間”に作りかえてくれる人物として私の前に登場してこられたのです。

 伊藤さんが“あのようなデタラメの原稿”と指摘されたのにはむろん具体的な対象があります。それは、ある民間の吃音矯正所の紹介記事といったもので、それも単なる紹介ではなく、その矯正所の作った本やレコードの配布方法にまで詳しく触れたものでした。私は正直いってその当時、吃音はある種の医療的手だてによって完治する、もしくは少なくとも軽快するにちがいないと信じていましたし、治療できるものは治すにこしたことはないと極めて単純に考えていたのです。ですからその民間矯正所が本やレコードを無料で配布すると聞いたとき、無料というところにその矯正所の良心のごときものを感じたのは事実ですし、本やレコードが吃音矯正に多少でもプラスするならばそれはそれで評価してよいのではないか、とも思ったわけなのです。

 伊藤さんは様々なことを私に教えてくれました。いかなる治療によっても治らない吃音が少なくないこと、その場合でもなお治すことに執着すべきであるかどうかということ、そうではなく、吃音をありのまま認めてたくましく生きていくことか人間として本質的な生き方ではないか、そのためには“治す努力を否定する”ところから出発すべきではないかということなど、今から考えてみればごく妥当なことばかりでした。それ以前にも私は新聞や雑誌に「障害」者問題にふれて「もし障害さえなかったら…と非現実を空想するのではなく、障害をありのまま認めたうえで、人間としての解放を展望することこそ重要ではないか」といった内容のことを書いているわけですから、伊藤さんにすれば、吃音問題に関する記事を書いている私と、「障害」者問題を書いている私とが果して同一人物か、と不審感をもたれたのも当然のことと思います。いいかえれば、私はそれほどにも真実が見えていなかったということですし、さらにそれを裏返していえば、結局は「障害」者問題についても、もっともらしいことを言いながら、実際のところはやはり見えてはいなかったのだということなのです。まさに何度赤面してもしすぎることのない恥ずかしさをいまもって感じ続けているのです。

 伊藤さんはそのとき、言友会活動のあゆみを克明に総括しながら、到達した地平について熱っぽく次のように説明してくれたのです。「吃音が治ってからの人生を夢みるのではなく、いまこのときをどう生きるかを大切にすべきだと思うのです。“どもりを治す努力を否定する”ところから新しい生き方が生まれます。どもりを治すべきかどうか、の問題ではなく、どう生きるかを問題にしていくのが言友会活動の内容なんです」と。さらに「言友会の考え方と、八木さんの考え方とが全然違うと思えば私は最初からここにはきません。一致する部分が多いはずだと思えばこそ抗議にきたわけですが、どうですか、ちがいますか」とも述べられました。私は伊藤さんのいうところにほとんど同意し、きれいにめくられていく自分を意識していました。ちなみに伊藤さんは私と全く同年齢なのでした。

 言友会に所属する吃音者の人々は、「どもりさえ治れば本来の自分の姿をとりもどせる」とか、「いまはどもっているのだから仕方がない」という自らの逃げの姿勢をまずはっきりと対象化するところから出発し、逃げない自己の確立をめざすという非常に高いところに到達されたのだ、と私は思います。口にすればそれだけのことかもしれませんが、それがどれほどの痛苦を伴う作業であるかを考えることができる程度の想像力は私にもあるつもりです。

 そのような地点から「吃音者宣言」に達したことは、第三者的ないい方になりますが、その意味で自然なことがらであったと考えられます。むろん、自然なゆき方とはいうものの、「隠せば隠しきることができる吃音」をあえて自ら宣言するというところに自然なゆき方を超えた本質的な思想性が存在することも当然でしょう。私は後日、伊藤さんから送られてきた「吃音者宣言」の草案を拝見したときに、実をいって、日本の最初にして最高の人権宣言ともいうべき「水平社宣言」を読むときとほとんど同質の熱い感動を覚えたものでした。
 「全国の仲間たち、どもりだからと自分をさげすむことはやめよう。どもりが治ってからの人生を夢みるより、人としての責務を怠っている自分を恥じよう。そして、どもりだからと自分の可能性を閉ざしている硬い殻を打ち破ろう」「どもりで悩んできた私たちは、人に受け入れられないことのつらさを知っている。すべての人が尊重され、個性と能力を発揮して生きることのできる社会の実現こそ私たちの願いである」「吃音者宣言、それは、どもりながらもたくましく生き、すべての人びとと連帯していこうという私たち吃音者の叫びであり、願いであり、自らへの決意である。私たちは今こそ、私たちが吃音者であることをここに宣言する」

 さきにあげた「水平社宣言」の精神は現在に至るも強く生き続け、たとえば教育の場における部落民宣言という形でも具体化されています。さらに、位相と局面を異にしますが、在日朝鮮人生徒の本名を名乗る運動と朝鮮人宣言にも本質的には共通する精神が存在していると思います。この一連の流れの中に吃音者宣言を位置づけることはむろん強引すぎると思われますが、底流としての思想性や精神としてはやはり重なる部分が多いと私は考えます。

 現代日本の総体としての差別社会にあって、自らが被差別者であることを宣言することは、もとよりいかなる現実的利益をももたらすものでないことこれは確実です。しかし、それにもかかわらず、否、そうであるがゆえに、宣言は人間的な意味合いを担保するものといえるわけなのでしょう。自らの依って立つ基盤を客観的に把握することによってはじめて自己の社会的立脚点や立場が見えてくるのであり、しかも被差別者の存在がこの階級社会にあっては十分階級的であることから、宣言それ自体がすぐれて階級的意味を持たざるを得ないことにもなると思います。

 伊藤さんは『吃音者宣 (たいまつ社刊)のプロローグを「どもりが、どもりとしてそのまま認められる社会の実現こそ、私たちの願いなのである。その道は遠くとも、行かねばならない」という言葉で結んでおられますが、以上に記したような意味で私はそのことの意味をとても大切なことと思います。部落出身者や在日朝鮮人が差別されることのない社会の実現、「障害」者が「障害」のゆえに差別されることなく「健全」者と共に地域、職場、学校などで平等に生きていける社会の実現こそ必要であり、そのためには自らのおかれた社会的立場の即自的かつ対自的な認識こそが前提となると私も考えています。そしてそれこそが、社会的な広がりを加味した人間的連帯の根本的契機にもなると思うのです。言友会は「吃音者宣言」を発することにより、その抜きさしならない苦しい、しかし正統的な歩みを、歩みはじめたのだと思います。

 すでに述べたように、私は伊藤さんをはじめとする言友会の方々から実にたくさんのことを学びました。にもかかわらず、私はそれにほとんど応えていない自分というものを厳しく認識しています。たったひとつの仕事といえば、たいまつ社の編集委員をしている関係で『吃音者宣』の刊行を企画し、伊藤さんを中心とする言友会の方々の努力でそれが実現されたことくらいです。私はこれからも私自身の立場から言友会運動に参加していきたいと願っております。
 本稿で、私は編集者の意に添わず自分のことを書きすぎたような気もします。私はこの文章を、私自身への“確認書”のつもりで記したのです。御容赦下さい。
 (1977.6.17記)


日本吃音臨床研究会 伊藤伸二 2016年8月30日