週末、第5回講習会のための実行委員会が合宿で開かれました。鹿児島、島根、大阪、愛知、神奈川、栃木 千葉の仲間13名が集まり、いろんな話ができました。ありがたい仲間たちです。またその報告はしますが、浜田さんの講演の続きを紹介します。
 前回の続きです。

第1回 親、教師、言語聴覚士のための吃音講習会

日時  2012年8月4・5日
会場  千葉県教育会館
テーマ 吃音否定から吃音肯定への吃音の取り組み

<講演>
   ありのままを生きるというかたち 〜治すという発想を超えて〜

       奈良女子大学名誉教授 浜田寿美男



自閉症の子ども親の体験

 私が自閉症の問題をずっとやってきて、出会ったお母さんからこんなエピソードを聞いたことがあります。息子さんは1960年生まれで、もう50歳を超えている、関西で自閉症第一号といわれている人です。自閉症は昔からあった障害ではありません。1943年、アメリカでレオ・カナーという精神科のお医者さんが11の症例を集めて、特有の症状を示す症候群があるのを発表して以来ですから、まだ70年ほどしか経ってない。日本で第一症例が出たのが1950年の後半で、関西では1960年に関西一号とか言われてました。

 小児科のお医者さんも誰も知らないという時代でした。この息子さんは自傷行為もあるし他害行為もあるという結構重度の方だったのですが、お母さんは普通学校に入れました。幼稚園にも行かせていましたので、集団生活には慣れていましたが、学校ではやっぱりいろいろトラブルを起こす。そのつどお母さんは学校に行くものですから、同級生の子どもたちともなじみになって、学校に行くと子どもたちが寄ってきて、「おばちゃん、おばちゃん」と言ってくれる。ある時、息子と数人の友だちとで遊んでる場にお母さんも横にいた。そのときなにかのきっかけで息子さんが同級生の女の子にかみついたんだそうです。さすがに自分の目の前で自分の息子が友だちに噛みついたら叱りますよね。「やめなさい!」と言って怒ったんだそうです。そしたらその噛まれた女の子が「おばちゃん、怒らんといて。この子が噛むのはこの子のことばみたいなもんだから」と言ったそうなんです。小学校1年生ですよ。すごいなあと思いましたね。

 幼稚園からのつき合いがあったんでしょうが、こんなに小さな子どもでも、そういうふうに思えるということなんですね。本当に大事なのはその子を治すということじゃなくて、その子とどうつきあうかの、そういうスキルです。そうすると周りも生きやすくなる。周りから理解されると本人も楽になる。そう思うんです。障害は、もちろん、治るものならば治った方がいい。でも、治る治らないにかかわらず、その人、その子どもとのつき合いはあって、そこの部分を大事にしたいと思うんです。

 あー、それで思い出しましたが、そのお母さんが先ほどの伊藤さんの話とそっくりのお話をして下さいました。自閉症第一号と言われて以降、いろんな同じような障害をもつ人たちとのつき合いが増えてきて、「自閉症親の会」を作って、そのリーダーを長くやってこられた。私がそのお母さんとお出会いしたのは、その子がもう高校生年代ぐらいの時でした。親として大ベテランになっていましたが、そのお母さんがある日、私としゃべっているときに「自閉症は治ってもらったら困る」とおっしゃったんです。「治りたくない」という話が先ほどありましたが、「治ってもらったら困る」と言われるのを聞いて、やっぱり不思議に思いますよね。「治ってもらったら困る」ってどういうこと、と思ったんですが、お話を聞いてみるとよくわかる。

 自閉症が世間でかなり知られるようになってから、○○療法があるとか、××療法があるとか、あるいは自閉症に効く薬物が開発されたとか、あれこれ宣伝されたりする。たとえば、もうずいぶん前になりますが、厚生省の薬物研究班が自閉症の新薬を開発したと、一面トップの新聞記事になったことがあります。すると、その研究班に属している医者を探して、その人が勤める病院に列ができる。それくらい親御さんたちは必死になって、あちこちと子どもを連れて、いわゆる病院ショッピングをする時代がありました。この自閉症の新薬も、効果があるかどうかを確認できないということが後に明らかになって、「がせネタ」だったということが判明します。でも、そうした情報に親御さんたちが引きずりまわされる様子を見ていて、これではいけないと思ったと、そのお母さんは言うんですが、それだけではありません。大事なのはもうひとつの理由です。

 自閉症がもし風邪が治るみたいに治るんだったら、そりゃあ治してもらったらいい。だけどそんな簡単に治るもんじゃないことは重々わかったというんですね。人間は複雑な生き物だから壊れることもあるし、壊れたときに簡単に修理ができるような簡単な生き物じゃない。治る治るって、そうそう簡単に治るものじゃないことはよくわかりました、そのうえで、なおかつこの子は治るという思いでその子をあちこち引きまわしたりする。でも、「治る」という思いで薬を飲ましたり訓練したりするということは、現に治っていないこの子を否定するに等しい。治る治るという思いでいることは、現に目の前にいて治っていないその子どもを否定するに等しい。それはやっぱりおかしいとお母さんはおっしゃる。裏返して言うと治る治らないに関係なく、この子はこの子のまま私は引き受けて生きていきますと言いたかったんですね。それはまっとうな感覚だと私は思います。

 治る治らないに関係なしに、この子のまま私は引き受けて生きていきます、そういう感覚を親御さんが自分の中でしっかりもつことがお互いの関係を楽にする。伊藤さんのことばで言うと「諦める」ことなんですが、「まあそんなものだ」と諦める、あるいは「断念する」。それは、結構大事なことです。人間だからできないことはあるわけです。そんな場合は、それを引き受ける、諦める、断念することが、生きるうえですごく大きな意味合いとしてあるんじゃないかって、私は思うんです。

 生きるかたち

 私は今回、テーマとして「ありのままに生きるかたち」を掲げて、「かたち」という表現を使ってます。「生き方」じゃなくて「生きるかたち」と言っています。「生き方」と別にたいして差がないと言えばないんですが、生きるかたちという方がむしろ普通は言わない言い方なので、何なんだと思われたかもしれません。私は、「生き方」ということばに抵抗感をもった時期がありました。「私の生き方」、「あなたの生き方」、「彼女の生き方」となると、生き方をその人がそれぞれ選んでいるニュアンスがすごく強い。どんな生き方を私はすればいいかという、選べるニュアンスで言っている。だけど、人には選べないことがたくさんある。どうしようもなく引き受けざるを得ないことがたくさんある。

 自分が生まれた家は選べない。男に生まれたら男、女に生まれたら女、性同一性障害の状態であればそういう状態で生まれているわけで、選べない。障害をもって生まれれば障害をもったかたちで生まれざるを得ない。それは選べない。もちろん自分たちの生きていく道を選べることはいいことだし、いくつか選択肢があったとき、その自分の思いに沿って生きていくこと意味を私は否定しません。すごく大事なことだと思う一方で、選べないということも相当ある。この選べなさを引き受けて生きていく側面もちゃんと見ないといけない。「生きるかたち」というのは、自分に与えられていて引き受けざるを得ない部分にちゃんと目を向けようということでもあるわけで、「生き方」という選ぶところにアクセントを置くんじゃなくて、選べなさにもちゃんと着目して、自分たちなりの生きるかたちをどうつくっていくかという目で見たほうがいいんじゃないか。そういう意味を込めて、「生き方」という言い方をあえて避けて、「生きるかたち」と言っています。

 諦める

 そういう構図を改めて考えたとき、今の子どもたちが学校の中で求められているものは、選ぶ方向、努力してなんとか切り開いていく方向ばかりに目がいっていると思うのです。すごく消極的に聞こえるかもしれないけれど、諦めることは、実はすごく大事なことです。諦めるを字で書くと「諦念」の「諦」という字です。もともとは仏教用語で、しっかり、はっきり見るということです。諦めるとは明らかに見るという意味で、それを引き受けてやっていくということだとすれば、諦めるとか、断念するというのは相当大事なことです。もちろん自分の与えられた条件をなんとか乗り越えることも必要だと思います。たとえば今のような時代の中で、私たちは生まれてしまった、ああもう断念しましょう、諦めましょうというのは、ちょっとまずいかなと思います。だけど、どんなに頑張っても変えようのないこと、選びようのないことはいくら言ってもしょうがないので、それは引き受けましょう、ということです。

 自分のからだを引き受ける

 先ほど控え室で少し話していたんですが、障害のなかには、どうしても変えようがない、治しようがない障害もある。たとえば生まれた時に腕が最初からなくて、どんなふうにやっても生えてこない。これは引き受けるよりしょうがない。ただ、これも微妙なところがあって、小さいとき可哀想だから義手をつけようということがある。そうして義手をつけることで偽った自分のからだを外に見せ、腕がない自分を隠す。だけど、隠して世間に向かって自分は他の人と同じ格好ですよと見せることは、実は自分自身を受け入れないということに等しい。だから、大人になってからそれがすごくつらくなる。隠すことで、そのまま世間にさらしちゃいけないからだだとして、自分のからだを否定してしまう。それはすごくしんどい。五体満足という、世間のドミナント・ストーリーを自分のものとして受け入れて、それに沿わない自分のからだを差別するのです。世間一般のドミナント・ストーリーを自分の中に吸収し、それによって自分を裁き、否定するのですから、それはとてもつらいことです。吃音の世界でも、人はみなすらすらとことばを喋るものだというドミナント・ストーリーに呑み込まれるなかで、自分の吃音を恥じ、それを克服しようとする。しかし、その克服の努力そのものが、実は自分を裁き、自分を否定することにもなる。
 それでも四肢欠損の障害の場合、ない手足が生えてくるはずがありませんから、結局は、それはそのまま引き受ける以外にないのだけど、吃音の場合、どもっているけれどこれは治るかもしれないというか、ボーダーで行きつ戻りつすることがあったりするものですから、治るという話にどうしても飛びついてしまいがちになる。だけど、それが結局、ドミナント・ストーリーに自分が飲み込まれて、自分を否定してしまうことにもなるわけですですから、どもる自分を、どこかでそんなものだと引き受けた方がずっと楽。ことばが人に自分の思いを伝えるものとしてあるとすれば、どもろうとどもるまいと、伝わるものは伝わる。そう開き直ることができないと、結局、一生自分のありのままを認められずに、自分自身を差別し続けながら生きていかなきゃならないということになる。
 そういうみじめなありようをなんとか越える道を探るためには、まず一つには、いまの学校のドミナント・ストーリーを組み替える努力をしなきゃいけないのではないかと思っています。つまり学校という場を、子どもが力を身につける場から、力を使う場に転換できないだろうか。子どもはいつも大人から見れば半人前かもしれないけれど、かつて子どもたちは自分の手持ちの力を使って家庭、地域の中で、子どもなりの一人前を生きてきた。しかし、今の子どもたちは自分の手持ちの力を使う機会を失い、その一方でいつ使うかわからないような力を身につけることばかり求められている。そうした状態は今日の貨幣経済が続き、グローバリズムが続いている限りは続いていくのかもしれません。非常に悲観的な言い方をすると、日本経済が潰れたときにはじめて学校は変わる、そういうものかもしれません。そこまで言ってしまうとちょっと無責任になってしまいますが、いまはいまで、やはり子どもたちが自分の手持ちの力を使う機会をどう提供したらいいのか、生活の中でいかに子どもたちが自分の力を使えるのか考えなければいけないのではないかと思っています。
 
日本吃音臨床研究会 伊藤伸二 2016/06/21
 
 前回の続きです

第1回 親、教師、言語聴覚士のための吃音講習会

日時  2012年8月4・5日
会場  千葉県教育会館
テーマ 吃音否定から吃音肯定への吃音の取り組み

<講演>
   ありのままを生きるというかたち 〜治すという発想を超えて〜

       奈良女子大学名誉教授 浜田寿美男



 子どもに料理をつくってもらう

 かつて家族は一つのまとまりをもった生活共同体だった。まず、家族は家の中で働いていた。しかし、いまは職住分離で、家の中で働く人がいない。生産労働を家の外に押し出して、会社や企業で働いて金を稼ぎ、その金で家族の生活を成り立たせている。また教育や保育の営みも、かつては家の中でやっていたのに、いまは幼稚園、保育所、学校に追い出した。そして出産はほとんど産院や病院、病気になって死ぬのも病院、お葬式も葬祭場、結婚式もブライダルと、家の中で家族の成員が共同でやることがほとんどなくなっています。50年以上前までは、これら全部を家の中でやっていた。家族が生活共同体だった。今、家族の中に残っている生活の営みは、消費活動ぐらいです。ちょっと惨めだなあと思うんです。

 仏教でいう「四苦八苦」の四苦、「生・老・病・死」をともに営むのが家族だったのに、そのほとんどが全部外に押し出されている。今の家の中には親と子とが一緒にする生活の営みががほとんどない。子どもとしっかり話し合いましょうとか、一緒に遊びましょうと言うかも知れませんが、生活を共同しないもの同士がしゃべっても、そのことばは虚しい。昔はそんなに家族は一緒にしゃべったり遊んだりしてなかったけれど、一緒に働き、一緒に生活をつくっていくことは、いまより圧倒的に大きかった。

その生活をもう一度家の中に取り戻すためには料理などがいい。料理というのは面白いもので、自分一人で食事するとわかっているときは、ひとりで料理するのがひどくわびしい。だから適当に済ませてしまう。料理は、作って、誰かが食べてくれて、「おいしい」と言ってくれるところが、一番おいしい。
 一週間にいっぺんは、子どもが料理をするというのはどうでしょう。料理を子どもにさせると言うと、お手伝いをさせるというふうに考えて、子どもができそうな配膳や洗い物をさせだけだったりするのですが、配膳や洗い物は料理の作業の中で一番おもしろくないところです。4,5歳の頃は手伝いをさせるだけでも喜ぶかも知れないけれど、しばらくすると嫌になって、やろうとしなくなるものです。

 料理で一番おもしろいのは、もちろん作るという本番、中心の部分です。それをしなきゃおもしろくない。料理によっては、保育所・幼稚園の年長さんぐらいから十分できる。それで、4人家族だったら今晩はみんなの晩御飯をお願いと言って、千円を渡す。料理の仕方をまったく知らなければ、スーパーでお惣菜を買ってきて並べるだけでもいいから、とにかく全部任せる。子どもたちは、最初作りつけの惣菜を買ってきてそのまま並べるだけかもしれないけれども、そのうち、皿に盛り付けぐらいはする。盛り付けだけではおもしろくないから、何かひとつ手を加えたりする。そして親が食べてくれて「おいしい」とか、「おー、これはちょっとおもしろい味やなあ」と言ってくれると、子どもはうれしい。ごく単純なことだけど、そういう機会が今、子どもたちには全然ない。せめてそれぐらいからやったらどうかと思います。

 地域で子どもを使う

 学校と地域の交流ということで、地域のおじさん、おばさんがやってきて子どもに話したりすることはあるけれど、そういう交流だけでなく、学校の子どもたちを人材として、その手持ちの力を使ってもらうといういようなことがあってもいい。たとえば、学校の近くに一人暮らしのおばあちゃんがいたとする。それで電球が切れて換えられない。そんな時に学校に電話したら、6年生がやってきて換えてくれる。それぐらいのことはできます。そういうことをしたら必ずおばあちゃんは喜んでくれる。「あー、助かったわ」と、お茶の一杯でも飲ませてくれる。そういうふうに学校を一種の人材バンクと考えるということがあっていい。そのなかで子どもたちは自分のいまの手持ちの力を使うことを学ぶ。
 子どもたちに、力の持ち主として、またその力を使う存在として期待することをもっとやっていい。そのことで、学校の試験だけではなくて、使える力をもっているという感覚を、子どもたちがもってもらうといいなと考えています。   
 
 日本吃音臨床研究会 伊藤伸二 2016/06/21