日本吃音臨床研究会のニュースレター「スタタリングナウ」の2号連続の講演記録の後半です。その巻頭言です。
 

「英国王のスピーチ」の豊かな世界
    日本吃音臨床研究会・代表 伊藤伸二

 『英国王のスピーチ』について取り上げるのが今回で5回目になった。ひとつのテーマでここまで書くのは初めてのことだ。それだけ、この映画は豊かな世界を提供してくれたことになる。

 4月から始まった言語聴覚士養成の専門学校で、講義が始まる前に、「将来、言語聴覚士になる者として、英国王のスピーチから何を学んだか」の、2000字以上のレポートを義務づけることにした。ひとつの専門学校はすでに講義が終わり、もうひとつは第一回の3時間の講義が終わったばかりだ。今後行く予定の大学や専門学校でも同様にレポート提出を求めるつもりだ。

 2校、70名ほどの学生のレポートは、映画を観るだけでなく、吃音について調べたり、教科書である私の書籍を読むなどして、どれもが真剣に考えて書いているのが分かる力作ばかりだ。その共通の基盤に立って講義をするのは楽しかった。

 「映画や小説などの感想はひとりひとり違います。その上、吃音についてこれから学ぼうとする皆さんと、吃音に深く悩み、45年間も吃音について集中的に考えてきた私と、見る視点が違うのは当然です。ひとりの吃音の当事者として、どうあの映画をとらえたか、話を聞いて下さい」
 このように前置きし、学生のレポートの中で、誤解しているところや、知識の誤りなどを解説し、前号から続いているような話をした。

 「ジョージ6世は、吃音のマイナス面ばかりを挙げていたが、プラスの面もあるのではないかと思った。吃音のおかげで、自分と向き合うことができるし、自分の過去の劣等感や困難を受容するための心のトレーニングにもつながると考えた。そして、吃音でなければ出会うことのなかった、ライオネル・ローグという生涯の友と出会えたこともプラス面だ。ジョージ6世は、ローグを「初めて交流できた平民」と言っていた。今まで出会うことがなかった人たちとかかわることができたのだ。吃音の受容という点では、ローグのカウンセリングの結果、欠点を治すことから、どもる事実を認め、吃音とうまくつきあいながらどう生きていくかという「生き方」の問題としてとらえ直していくように促したのではないか」

 吃音についてほとんど知らないはずのこの学生の、的確な感想には驚いたが、ほとんどの学生は、自分の抱いた感想と、私の説明する話の大きな食い違いを感想に書いていた。

 「私のとらえ方と全然違っていました。私はセラピストとクライエントの信頼関係の形成が、訓練の成功につながったと思っていました。ところが、言語訓練自体は、出会ってから開戦スピーチまで5年も続けているのに、何の効果もなかったと聞いて驚きました。確かにそう言われれば、スピーチ直前まで話せず、焦りに焦っていたことを思い出しました。映画を観ていた時は、そこまで、考えが至りませんでした。説明、解説を聞いて、いろいろと気づけたことがありますので、改めて、もう一度観たいと思います」

 このような感想がほとんどだった。また、弟が、兄に対して劣等感をもっていたことは分かるが、兄の方が弟に劣等感をもっているとは思わなかったとの感想も多かった。
 「英国王のスピーチ」は、吃音治療の歴史や吃音の原因論など、吃音の基礎知識の整理ができる、吃音を知り、考える教材として今後活用されることだろう。しかし、1930年代の臨床が、今後の吃音の取り組みに展望を与えていると読み解く人は多くないだろう。

 2か月かけて紹介した今回の話をもとに、もう一度映画を観て、話し合い、学び合うきっかけになれば、こんなにうれしいことはない。
 私たちとしては、今、学びつつある、当事者研究、ナラティヴ・アプローチと結びついたこともうれしい。「英国王のスピーチ」は、「吃音否定」から「吃音肯定」への今後の私たちの取り組みに展望を与えるものになった。
       2012年4月22日 記  続きます。

日本吃音臨床研究会 伊藤伸二 2016/06/07