英国王のスピーチの講演の続きです。

吃音への不安が頂点に達した時

 兄が、愛人と一緒にいる山荘に、弟夫婦を招待した時に、ヨーク公は、王としての仕事をしない兄に苦情を言います。その時兄は、「お前はスピーチの練習をしているそうだが、王位を奪おうと思っているのか」と、彼のどもる真似をします。とても仲のいい兄弟だったから、今まではあまりなかったことだろうと思いますが、その時に、怒りが込み上げても、兄に何も反論もできず、本当に悔しい思いをします。悔しい思いを、ローグのところに行ってぶちまけます。ローグが誘って散歩をするシーンです。

 「長男の国王が、離婚歴のある人間と結婚するつもりらしい。王室では、離婚経験者とは結婚できない」と話した時に、ローグが、「あなたが王になったらいい、立派な王になれる」と言います。すると、現実には兄が王の座にいるのに、王を侮辱するのかと怒ります。これは、兄が侮辱されたことへの怒りというよりも、国王になることへの不安が頂点に達したのだと思います。

 兄が本当にシンプソン夫人と結婚したら、王ではいられなくなる。となると、絶対になりたくなかった王に自分がならなくてはならない。国王になるとスピーチをしなければならない。不安が頂点に達する。ローグがいなければ本当は困るにもかかわらず、不安が恐怖になり、思わず「お前とのセラピーはおしまいだ」と決裂します。
 このシーンが、大きなポイントになっています。 吃音そのものではなく、彼の不安と恐怖にこそアプローチをしなければならないと考えたローグのセラピーに対する考え方は、的を得て、とても素晴らしいと思います。

 異端の、卓越したスピーチセラピストであるローグは、1920年代にすでに、スピーチセラピーは大した効果はないことを知っていた。セラピーすべきは、吃音への不安と恐怖から、全てに自信をなくしている、心の問題だと見抜いたのです。

   吃音治療の歴史  ローグの時代の吃音治療 


 1920年から1930年代当時の治療技法が発達していなかったからうまくいかなかったと皆さんは考えるかもしれませんが、映画に出てくる技法は、ビー玉を口に入れること以外は、全部現在でも使われているものばかりです。

 これまでたくさんの治療を受けながら、少しも改善しないために、ヨーク公本人は吃音治療をあきらめていますが、妻のエリザベスはあきらめません。探し回ってローグに行き着きます。彼女の強い希望で、仕方なく、ローグの治療室を訪れますが、「バーティ」と対等に呼ばれることに抵抗感もあり、気乗りはしません。「誰にも私の吃音は治せない」と言うヨ−ク公に、今でも使う、マスキングノイズを使います。

 「私はあなたが、全然どもらずにしゃべれることを証明してみせる」と1シリングの賭けをします。シェイクスピアの有名な「生きるべきか、死ぬべきか、それが問題だ」の台詞を読ませますが、どもって読めません。そこで、ヘッドフォンをつけさせ読んでみなさいと言う。ヘッドホンから大音量の音楽が流れる中で読ませてレコードに録音します。

 「無駄だ、絶望的だ。この方法は私には向いていない」と去ろうとするとき、「録音は無料です。記念にお持ち下さい」とレコードを渡される。

 父親のクリスマス放送に立ち会ったとき、「お前も練習してみろ」と原稿を渡され、読んでみた。どもって全然読めずに落ち込んだ。そして、ひとりで、部屋で音楽を聴いていたとき、ふと、あのレコードのことを思い出し、聴いてみました。すると、「生きるべきか、死ぬべきか、それが問題だ」とどもらずに読んでいます。自分の耳には、音楽が聞こえているから、しゃべってる声は全然聴こえません。これがマスキングノイズです。びっくりして、ひょっとすると役に立つかもしれないと思い直して、ローグのもとを再び訪れ、治療が始まります。

 ローグは、治療として、音楽をヘッドフォンで聴かせる、腹式呼吸、からだや顎や舌などの筋肉をゆるめる、大声で発声する、ゆっくり間をとって話す、歌って話すなどを試みますが、驚くことに、それらは現在とまったく変わっていません。その後新たな治療法は何一つ生まれていないのです。しかし、ローグは、あの当時は異端であっても、現代にも十分通用する、吃音臨床に対する哲学をもっていました。

 ローグは、吃音の問題はことばにあるのではなく、心の治療こそが必要だと言います。あの当時も、いろいろな治療法をするセラピストがいたでしょうが、何の役にも立たないと、ローグ自身はわかっていたのでしょう。だから他のセラピストとは違う異端のセラピストだとの評価がされていたのです。これは、当時としてすごいことです。

 アイオワ学派の治療 

 1930年代に、吃音に悩んで、吃音を研究したいと考えた人たちが、アイオワ大学に集結しました。チャールズ・ヴァン・ライパー、ウェンデル・ジョンソンらです。

 彼らは、従来の「わーたーしーはー」という不自然であってもどもらない話し方を身につける、吃音をコントロールするセラピーは、どもることへの不安や恐れをかえって大きくすると批判しました。吃音の問題は、吃音症状だけにあるのではないとの考え方です。
 ウェンデル・ジョンソンは言語関係図で、ライパーは吃音方程式を作り、吃音は症状だけの問題ではないと強調しました。

 この二人よりも明確に言ったのが、アメリカの著名な言語病理学者、ジョゼフ・G・シーアンです。吃音は、随伴症状を含めて周りから見えていて、本人も意識しているのは、氷山のごく一部で水面上の小さな部分だ。本当の吃音の問題は、水面下に大きく隠れている。それは吃音を避けたり、どもると惨めになったり、不安になったり、恐怖に思ったり、そういう感情の問題だとする、吃音氷山説を主張しました。

 1970年、シーアンは、この考え方を、アメリカ言語財団の冊子「To The Stutterer」で発表しました。その冊子を、内須川洸筑波大学名誉教授と一緒に翻訳して出版したのが、『人間とコミュニケーション−吃音者のために』(日本放送出版協会)です。

 私が自分の体験を通してずっと考えてきたことなので、うれしくて、シーアンに手紙を書きました。とても共感し合え、新しい著書も送っていただきました。シーアンよりも丁寧に整理すると、行動、思考、感情はこうなります。
 行動は、吃音を隠し、話すことから逃げ、いろいろな場面で消極的になっていくことです。
 ジョージ6世は、吃音を隠し、話すことから逃げて、すごく非社交的な生活をしました。王室は社交の世界で、社交が大事な公務であるのに、彼はすごく引っ込み思案で、王室としては困った存在でした。エリザベスと結婚することで、社交の場は広がったようですが、人前に出るのをとても嫌っていました。ヨーク公は、どもりを隠し、話すことから逃げ、できたら話さないでおきたかったのです。だから国王なんかになりたくないと逃げ続けました。これが行動です。

 思考は、「どもりは悪いもの、劣ったもの、恥ずかしいもの」。「どもっている人間が王などになるべきではない」。「どもってするスピーチは失敗だ」などという考え方です。「どもってスピーチすると、国民はこんな情けない国王を持って、不幸せだと思うに違いない」という考え方です。

 感情は、どもることへの不安、スピーチすることへの不安、恐怖です。どもった後の恥ずかしい、みっともないと思う気持ち。どもることで相手に迷惑をかけたと思うなどの罪悪感です。

 シーアンは、これこそが吃音の問題なのだと主張しました。それなのに、アメリカ言語病理学は、1970年のシーアンのこの提案を吃音にどう生かすか、全く考えずに放置してきた。やっと最近、吃音評価と臨床のために「CALMSモデル」という多次元モデルが、何か新しいことのように出されました。
 けれど、それよりもはるか前にシーアンが言った方が、吃音の本質をついて、シンプルで臨床に使いやすいモデルを提案していたのです。シーアンは、水面下に隠れた大きな部分が、吃音の問題だと言ったわけですが、1920年代のローグがすでに考え、実際にやっていたのです。

 ローグの孫が、ローグの日記やセラピーの記録を、脚本家のサイドラーに提供したことで、吃音治療の真実が語られることになりました。サイドラーは、アカデミー賞の脚本賞をもらいましたが、思春期までかなり吃音に悩んでいました。また、子どもの頃に、ジョージ6世のスピーチを実際に聴いています。自身の体験と照らして、セラピー記録をもとに、当時の吃音治療を詳細に調査して脚本を書いていますので、「英国王のスピーチ」に出てくる吃音の治療場面は、正確で間違いないだろうと思います。
 そう考えると、この映画が誕生したのはいろいろな要素がからみあった奇跡のような気がします。

 吃音治療に関するローグの基本的な考え

 ローグの吃音治療の考え方が明らかになるシーンがあります。戴冠式の準備の時です。
 医者や言語聴覚士の免許もなくて、吃音や臨床の研修の経験もないことが、王室の調査機関で分かり、宮殿でローグはヨーク公から責められます。大司教から、セラピストを変えるように言われるからです。一向に治療効果がないことへのいらだちもあって、資格のない人間が、どうして吃音治療をしているのか、お前は詐欺師だと、ローグを責めます。その時に彼が反論したことが、彼の臨床を物語っています。

 「言語障害専門」と看板を掲げるローグのもとに、様々な言語障害に悩む人が相談に来ます。ベトナム戦争のあと、帰還戦士が戦争後遺症から、自殺をしたり、さまざまな精神障害に悩まされます。心的外傷後ストレス障害やトラウマのことばが一般に知られるようになりましたが、それより前の第一次世界大戦で、人を殺し、友人が知人が死んでいくのを目の当たりに見た兵士たちが、戦争が終わった後、しゃべれなくなります。そのような兵士のセラピーの体験を語ります。

 「私は医者ではないが、芝居はそれなりにやった。パブで詩を読み、学校で話し方も教えた。戦争になり、前線から戻る兵士の中に、戦争神経症でしゃべれない人間がいた。誰かが私に言った。「彼らを治してやれ」と。運動や療法も必要だが、心の治療こそが大切だ。彼らの叫びに誰も耳を傾けない。私の役目は、彼らに自信をもたせ、“友が聞いている”と力づけることだ。あなたの場合と似ているだろう」
 「見事な弁明だが、詐欺師だ」
 「戦争で多くの経験を私は積んだ。成功は山ほどある。経験はたくさんしている。ドクターと自分で言ったことはない。詐欺師だというなら、私を監禁しろ」
 このやりとりで、ジョージ6世は、ローグが自分の話をよく聞き、真剣に向き合ってくれたことを思い出します。資格がなくても自分にとってはローグが必要だ。大司教の推薦するセラピストを、「これは私個人の問題だ」と断固拒否し、改めてローグをセラピストとして選びます。本当の信頼関係が確立した瞬間です。再びセラピーが始まります。(つづく)

 次回は、次の項目で話が続きます。
 人は何によって変わるか
 ナラティヴ・アプローチの実際
兄と弟の劣等感の葛藤
 ジョージ6世のスピーチの成功要因

 日本吃音臨床研究会 伊藤伸二 2016/06/06