映画「英国王のスピーチ」に学ぶ吃音の取り組み

 英国王のスピーチ、講演記録の2回目です。北海道の浦河の「べてるの家」の向谷地生良さんが、僕たちの吃音ワークショップに3日間来て下さったとき対談しました。その時に話題に下ひとつが、「弱さを認める」ことでした。僕は「どもりぐらいで悩んでいる、弱い、だめな人間」と、悩んでいることに強い劣等感をもって悩んでいました。高校生の時、阿部次郎の「三太郎の日記」の一節に「弱さ」についての記述があり、「弱さを自覚している限り、弱さを恥じることはない」の文章に救われました。「弱くてもいい」の僕の原因になりました。講演の続きです。


 弱音を吐けること

 弱音を吐けることは、人間が生きていく上で大事なことだと思います。人に助けを求められる能力も大切です。「助けて」と言えるのは、自分の弱さを認めることでもあります。

 ヨーク公には、弱音が吐ける、自分が自分でいられる場がありました。ローグから対等を求められたとき、即座に彼は、家族は対等で、妻も娘もちゃんと聴いてくれ、吃音は何の問題もないと言います。吃音があっても人間としては対等だと言います。弱さを認めて、愚かな人間だ、自分は大した人間じゃないと認めるシーンがあります。

 エリザベスが、ピーターパンの絵本を読んでいた時、「ピーターパンのように自由に飛んで行ける奴はいいなあ」と、ヨーク公が言ったあとで、娘二人からおとぎ話をせがまれます。そこで、ペンギンの真似をしますが、娘はさらに求めます。
 「では、ペンギンの話をしよう。魔女に魔法をかけられペンギンになったパパが、二人の姫に会うために、海を渡ってやっと宮殿にたどり着き、姫にキスをしてもらいました。姫にキスをしてもらって、ペンギンは何になりましたか?」
 娘に聞くと、娘たちはうれしそうに、「ハンサムな王子様!」と言います。すると、「アホウドリだよ」と言って、大きな翼を広げて、二人の姫をしっかりと抱きしめます。ペンギンのままでは愛する姫を抱けないが、大きな翼のあるアホウドリなら抱けるからです。
 このペンギンの話を娘に聞かせることで、自分の劣等感、惨めさを客観視して話したのだろうと思います。つい見逃しそうな場面ですが、自分の弱点とか愚かさを、ユーモア、自虐ネタのように使うのは、自分の弱さを認めていたからでしょう。

 また、戴冠式のニュース映像を家族で観ている時に、自分の映像が終わった後、ヒトラーが演説するシーンがでてきます。「この人、何を言っているの?」と聞く娘に、「何を言ってるか分からんが、演説はとてもうまそうだ」と言います。ヒットラーの演説はうまい、自分にはできないスピーチだと認める。これも大事なシーンだと思います

 1936年12月12日、王位継承の評議会で、すごくどもってしゃべれませんでした。そしてその夜、もう自分は駄目だとエリザベスの胸で子どものように泣きじゃくります。クリスマス放送で不安がいっぱいになります。
 「クリスマスの放送が失敗に終わったら…。戴冠式の儀式…。こんなのは大きな間違いだ。私は王じゃない。海軍士官でしかない。国王なんかじゃない。すまない。情けないよ」

 「何を言うの…あなた…かわいそうに、私の大切な人。実はね、私があなたのプロポーズを二度も断ったのは、あなたを愛していなかったからじゃないの。王族の暮らしをするのが嫌で嫌で、がまんできなかったわ。あちこち訪問したり、公務をこなしたり、自分の生活なんかなくなってしまうから。でも、思ったの。ステキな吃音、幸せになれそうって」

 エリザベスは、どもりながら一所懸命話すヨーク公の姿に誠実さをみたのでしょう。あなたの吃音を聞いて、「Beautiful」と言う。そして、「素敵な吃音のこの人となら、私は幸せになれるかもしれないと思って結婚したのよ」と言う。とても素敵なシーンです。

 こういうふうに、自分の弱さを、妻にも娘にも、アホウドリという表現をしながら、自分なんか大した人間じゃないよと言う。家族に弱音を吐けるのはすごく大事なことです。
 人が生きていく上で、嫌なこと辛いことは山ほどあります。弱音を、誰かに話したい。私はよく、教師や援助職のセルフヘルプグループ、弱音を吐ける教師の会のようなものがあればいいなあと思います。愚痴を言い合える仲間が必要だと思います。

 どもる子どもに対して、強くなれ、そんなことで逃げちゃだめ、泣いちゃだめ、と言うのではなくて、弱音が吐ける子どもに育ててほしい。困った時には困った、苦しい時には苦しい、助けてほしいと素直に言えるしなやかさが必要です。強くたくましく生きる必要はない。弱音を、家族にもセラピストにも話せたから、ローグとの臨床が成功したのだと思います。もしあの家族の、妻の、娘たちの支えがなかったら辛いです。そういう意味では、これは家族の支えの映画でもあったと言えると思うのです。

吃音の問題とは

 ローグが治療を引き受けるとき、「本人にやる気があれば治せる」と言います。吃音治療の要望に言語訓練はしましたが、これまでの経験から効果があるとは思ってなかっただろうと思います。治療の初期には80日以上連続して集中的に訓練を続けますが、まったく効果がありません。
 全く改善しないままに、最後の開戦スピーチの録音室に向かいます。スピーチ5分前まで、歌ったり、踊ったり、悪態を叫んだりして、必死で声を出す練習をしますが、うまくいかない。不安を抱きながら、スピーチをしますが、自分でも満足できる成功を収めます。なぜ成功したのか。ここに吃音の臨床の大きなヒントがあるのです。

 はじめのシーンで出てきた、口にビー玉を含んで話す治療は、紀元前300年代ギリシャのデモステネスが実際に訓練した方法で史実です。海岸の荒波に向かって大声を出す練習などで吃音を克服し、大雄弁家になったと言われています。彼は吃音を治すために過酷な訓練を続け、成功したと言われていますが、訓練の結果ではないと私は考えています。

 デモステネスも、ギリシアの国を守る責任感と、政治家として弁論をしなければならない役割と立場があった。それらがデモステネスのことばを変えたのであって、訓練がことばを変えたのではない。
 私も、21歳までかなりどもっていましたが、治すことを諦めて、どもりながら生きていこうと覚悟を決めて、日常生活に出ていきました。仕送りの全くない東京の大学生活を送るためのアルバイト、自分が創立したどもる人のセルフヘルプグループの発展のために必死に活動しました。その後、大阪教育大学の教員になり、人前で自分の考えを伝えなければならない立場に立ちました。

 セルフヘルプグループの責任者として、大学の教員として、「語るべきことばと、語りたいことば」を話していく中で、私のことばは変わりました。
 デモステネスも、ジョージ6世も、私も、人前で話せるようになったのは、吃音治療の結果ではなく、自然に変わったのです。ローグが治せると言ったのは、吃音症状そのものではなくて、吃音不安、吃音恐怖だったのです。
 心の問題だと捉え、不安や恐怖へアプローチしたのです。
 ジョージ6世の話すことへの不安と恐怖は、映画全編に出ています。不安が頂点に達したのが、国王にならなければならないかもしれないと感じ始めた時です。 −続きます   2012/3/20 記

 日本吃音臨床研究会 伊藤伸二 2016/06/06