神戸スタタリングプロジェクトの機関紙「ほっと神戸」の記事から、相談会の記録です。前回の続きです。
先日吃音ホットラインに、23歳の吃音の息子のことでの相談だと、保護者から電話がありました。
「大学を中退してしまいました。仕事に就かなくてはと思い、今は理学療法士養成の専門学校で勉強しています。実習先が大きな病院で、大勢の理学療法士の前で、報告などしなければならない。挨拶なども大きな声でしろと強く言われました」
実習先には運・不運があり、すごく嫌な実習先に当たったりします。僕は言語聴覚士養成の大学や専門学校で講義をしていますが、どもる人が実習先で苦戦することはよく聞きます。彼の場合は、厳しい実習先に当たりました。彼は「ハキハキと挨拶をしろ!」と言われて、喋れなくなってしまいました。彼の吃音はあまり重くないから、母親も大丈夫だと心配していませんでした。実習先での苦戦はある意味、逆境です。彼は、精神的に苦しくなって、心療内科に行って、薬をもらいました。しかし、これ以上頑張れと言って実習を続けていては、彼が壊れてしまうので、実習を中断することにしました。実習を中断すると単位がとれません。その瞬間に1年間留年が決まりました。
そういうかなりのプレッシャーになる逆境でも耐えられる人もいます。
たとえば、吃音親子サマーキャンプの卒業生の兵頭君は、厳しい逆境の中にいました。
消防士になりたいと消防士に採用されましたが、消防学校はものすごく厳しい所です。自分の担当教官に、報告に行かなければいけない時は、ノックして、「何年度、何々隊の何々入ります」と伝えて、「よし、入れ」と言われないと入れません。そういう時に、自分の名前が言えずにいて、後に並んでいるみんなも入れなくなり「早くしろ」と言われます。教官からは「自分の名前くらい言えなくてどうする。練習しろ」と言われて、残されて、ノックするところから、何度も練習をさせられて、挙げ句の果てには「お前のようにどもっていて、緊急の無線連絡がとれないとか、電話ができないとかで、消防士ができるのか、消防学校にいる間にどもりを治せ、そんなことで、市民の命が守れるのか」と言われました。
これは、大変な逆境です。「ハキハキ挨拶しろ」と言われる程度じゃない。給料をもらっている消防学校での出来事です。でも、彼は、そんな中でも、1年間耐えて、消防学校を卒業して、消防士として働いています。
理学療法の専門学校生の母親の話では、そんなにどもる方ではない。どちらがどもるかというと、消防士の方がずっとどもります。同じようにどもっていても、どもることを指摘されても、最後まで頑張った消防士と、実習をリタイアした専門学校の学生。このように、吃音から受ける影響には大きな個人差があります。
理学療法士のように、吃音が大きな壁になり、逆境に陥ったとき、これまでの吃音の臨床では「吃音を治す、改善に」向かいます。「ゆっくり、そっと、軟らかく」の流暢に話すための言語訓練をするのがアメリカ言語病理学と、それをモデルにしている、日本の臨床家です。しかし、このアプローチは、1903年からの治療の歴史の中で失敗してきています。100年以上たった今でも、吃音の治療法はゆっくり話すことしかありません。
カナダのアルバータ大学のアイスターという、世界有数のトップクラスの吃音治療所が何をしているかを知ってびっくりしました。1903年から始まっている「みーなーさーんー、わーたーしーのーなーまーえーはー」というゆっくりしゃべるスピードコントロールが治療法の中心です。僕が1965年に経験した東京正生学院で教えてもらったのと全く同じ方法です。
どもりの治療法はひとつしかありません。ゆっくり話す方法だけです。ゆっくり話すか、メトロノームに合わせて言うとかです。ひどいもんでしょう。こんなもの、とっくの昔になくなっているだろうと思っていました。ところが、この方法を、2015年の今、未だにこの時代に、北米のトップクラスの大学でしています。
僕は、言語聴覚士の専門学校に行っていますが、アルバーター大学の現実を話しても、それでも、何か治療法があるはすだと期待しています。これだけ科学・医学が進歩しているのだから、どもりぐらいの治療法がないわけがないと思い込んでいるのです。楽天的な考え方をもっています。
アイスターで言語聴覚士として働いていた人の話では、15年間、治すために必死にがんばり、有名な大学の教授の治療を受けるなど、500万円も使ったそうです。その人は年収1000万円を超えるファイナンシャルプランナーだから、長年治療を受けることができたのかもしれないけれど、普通の人には、500万円も使っていられない。また、15年も諦められずに続けるのは、僕には信じられません。誰ひとり、「15年も治そうとしてだめなんだから、そろそろ諦めようよ」と言う人がいなかったことが、とても不思議です。
じゃ、何をすればいいのか。もうそろそろあきらめて、個人差に注目したいのです。理学療法士と、消防士のこの大きな個人差はどこからくるのか。吃音の悩み、影響の大きな個人差はどこから来るのか、ここに注目するのが、レジリエンスです。
今ここで、皆さんの中に、どもりで苦しんだ時代はあったけれども、今こうしてどもりながら自分なりの人生を生きているのは、こういうきっかけがあったからじゃないか、こういうことがあったから自分はここまで生きてこれたんだという、何か自分で思いつくこと、思い浮かぶことがあったら話をして下さい。
Nさん:青春時代に、彼女ができました。どもっている僕でも必要としてくれる人がいた。それが自信になりました。
伸二さん:これは他者貢献ですね。人に必要とされることが自分を勇気づけてくれます。また、重要なポストにつき、人の役に立て、周りから必要とされることで、生きる力がわいてきますね。
Aさん:成人になってから吃音になりました。大阪の吃音教室で、15年前に、伊藤伸二さんに出あって開き直れました。学生時代は吃音がなかった。それから吃音になり、それまで持っていた人生のストーリーをあきらめました。今までの思い描いていたストーリーを捨てました。捨てられたから、死のうという思いもなくなりました。
伸二さん:大阪吃音教室の人たちが、どもりながら生きているそれが見本になったのですね。レジリエンスでは、メンターといって、先輩・恩師・師匠などいわれますが、自分が目標にしたり、参考にできる人がいることを大きな要素とします。八百屋のおっさんのことばが身にしみることがあります。人がアドバイスしてくれることばが役に立ちます。
精神病院に入院していた10代の若者の追跡研究があります。退院後に立派に生活している人、だめになっていく人がいます。回復している人に共通するものは、メンターがいたからです。カウンセラーでなく、身近にある人との出あいがあり、その人が励まして、話を聞いてくれています。メンターが、人生のモデルになってくれます。
伸二さん:佐々木さんは、すごく吃る女の子でした。大阪教育大学に入学しました。僕の研究室に来ました。教員採用試験で面接に行った時、こんなにひどいどもりの人は初めてだと、教育委員会の人から言われましたが、それでも教師に採用されました。教員になって、仕事で児童相談所に電話したら、相談所が「大人のどもりの相談は受け付けられない」と言われたぐらいどもったそうです。
佐々木さんは小学生の時は、全く学校で喋らなくなりました。そのきっかけはある時音読しましたが、同じ個所を、次の人に先生が読ませました。佐々木が、頑張って音読した所は、読まなかった事にされたのです。それは屈辱でした。それから、音読も。発表もしなくなりました。周りは逃げたと思います。私はこれ以上傷つきたくないから、身を守るために、音読や発表しないと自分で決めたそうです。これはイニシャティブです。
Rさん:仕事で就職活動の支援をしています。どもりながら、大学の講師もしています。講義で「面接でうまく喋ろうと思わんでいい」「意味がわかったら、それでいい」「伝わったら、ええねんで」と、面接では自分の思いを伝えることだと言っています。私は、吃音があるから、そう言えます。そう話すと、後で一人か二人が「私もどもりがあるけど、就職できるんですね」と言いに来ます。
伸二さん:今のような吃音に向き合う態度が出来るようになった、自分の過去を振り返った時、どういうことがあったからか思いだす事がありますか。
Rさん:元々楽天的ですかね。中2の時、親友がいて、毎日2〜3時間喋っていました。「何で生きる」とか、「何で生れてきたか」とかを喋っていた。どもりながら、喋っていた。
伸二さん:関係性ですね。人間関係の基礎で、人は信用できるものという気持ちです。リジリエンスのとても大きな要素です。
Nさん:結婚して、家族ができた事が大きいと思います。子どもができたら、どもることより、家庭の方が大切です。自分はどない格好悪くてもいいと、どもりながら仕事を頑張りました。
伸二さん:モラルですね。道徳という意味でなく「よりよく生きる」意志のようなものです。先ほどの消防士も、自分はこのような仕事につき、こう生きたいとの目標があった。せっかくの一回きりの人生です。“どもりが治るのはあきらめるが、自分の人生はあきらめない”これを、レジリエンスの要素のなかのモラルといっていいと思います。家族を幸せにしたい。という思いが乗り越えていける力になっています。
(次号に続く)
【相談会に参加して・・・】
福本さん:大変久しぶりでありましたが、変わらぬ雰囲気でほっとしました。
伊藤伸二さんも相変わらずお元気そうで、お会いするだけでどもる人にとっては大木にしがみついているような安心感を持たせてくれる人だなと改めて思いました。
感じた事は、当事者はもちろん吃音の子どもを持つ親御さん祖父母の方までと多様な視点を持つ方のお話が聞けて良かったという事です。私自身悩みの淵にいた15年前はそれこそ自分の吃音の事しか考えておらず、人の言葉も耳に入らず、人生を悲観してばかりでした。ですが、今ではそれなりにまともに仕事もし、結婚して二人の子どもにも恵まれ、吃音というものをまた違う視点から見られるようにもなってきました。
Aさん 吃音というものは確かに社会生活を営む上では不便であることは間違いないですが、その経験から得られるものは強烈な苦労や苦悩はもちろんありますが、その背中合わせに生きている事の幸せを感じ取れる為の能力を養える事もあると今では思っております。私たちは、こと喋る事においては人一倍悩みますが、その他の悩みについては吃音でない方よりも耐性が強いのではないかと思っています。
Bさん 私はこれまで日々忙しくしていた事もありますが、吃音の事ばかり考えて人生を損しないよう、できるだけ吃音の事は忘れて日々がむしゃらに頑張ろうと思い、ろくに吃音教室などにも参加せずおりました。ですが、吃音になって15年たつ今でも毎日吃音の不便さには悩まされる現状で、克服には至っておりません。これはひょっとしたら吃音の問題から目をそむけて逃げているだけで、ちゃんと自分に向き合おうとしていないからなのかな?と最近そう思うようになり、今回数年ぶりに参加させていただきました。
今後私自身の為はもちろんのこと、まだ小さい子どもたちや現在吃音で悩みの淵に立っている人たちの為にも、もっと自分の吃音の問題に向き合い、この経験を活かせていけたらと願っています。また可能な限り、ほっと神戸にも参加させていただきますので、今後ともどうぞよろしくお願いいたします。
先日吃音ホットラインに、23歳の吃音の息子のことでの相談だと、保護者から電話がありました。
「大学を中退してしまいました。仕事に就かなくてはと思い、今は理学療法士養成の専門学校で勉強しています。実習先が大きな病院で、大勢の理学療法士の前で、報告などしなければならない。挨拶なども大きな声でしろと強く言われました」
実習先には運・不運があり、すごく嫌な実習先に当たったりします。僕は言語聴覚士養成の大学や専門学校で講義をしていますが、どもる人が実習先で苦戦することはよく聞きます。彼の場合は、厳しい実習先に当たりました。彼は「ハキハキと挨拶をしろ!」と言われて、喋れなくなってしまいました。彼の吃音はあまり重くないから、母親も大丈夫だと心配していませんでした。実習先での苦戦はある意味、逆境です。彼は、精神的に苦しくなって、心療内科に行って、薬をもらいました。しかし、これ以上頑張れと言って実習を続けていては、彼が壊れてしまうので、実習を中断することにしました。実習を中断すると単位がとれません。その瞬間に1年間留年が決まりました。
そういうかなりのプレッシャーになる逆境でも耐えられる人もいます。
たとえば、吃音親子サマーキャンプの卒業生の兵頭君は、厳しい逆境の中にいました。
消防士になりたいと消防士に採用されましたが、消防学校はものすごく厳しい所です。自分の担当教官に、報告に行かなければいけない時は、ノックして、「何年度、何々隊の何々入ります」と伝えて、「よし、入れ」と言われないと入れません。そういう時に、自分の名前が言えずにいて、後に並んでいるみんなも入れなくなり「早くしろ」と言われます。教官からは「自分の名前くらい言えなくてどうする。練習しろ」と言われて、残されて、ノックするところから、何度も練習をさせられて、挙げ句の果てには「お前のようにどもっていて、緊急の無線連絡がとれないとか、電話ができないとかで、消防士ができるのか、消防学校にいる間にどもりを治せ、そんなことで、市民の命が守れるのか」と言われました。
これは、大変な逆境です。「ハキハキ挨拶しろ」と言われる程度じゃない。給料をもらっている消防学校での出来事です。でも、彼は、そんな中でも、1年間耐えて、消防学校を卒業して、消防士として働いています。
理学療法の専門学校生の母親の話では、そんなにどもる方ではない。どちらがどもるかというと、消防士の方がずっとどもります。同じようにどもっていても、どもることを指摘されても、最後まで頑張った消防士と、実習をリタイアした専門学校の学生。このように、吃音から受ける影響には大きな個人差があります。
理学療法士のように、吃音が大きな壁になり、逆境に陥ったとき、これまでの吃音の臨床では「吃音を治す、改善に」向かいます。「ゆっくり、そっと、軟らかく」の流暢に話すための言語訓練をするのがアメリカ言語病理学と、それをモデルにしている、日本の臨床家です。しかし、このアプローチは、1903年からの治療の歴史の中で失敗してきています。100年以上たった今でも、吃音の治療法はゆっくり話すことしかありません。
カナダのアルバータ大学のアイスターという、世界有数のトップクラスの吃音治療所が何をしているかを知ってびっくりしました。1903年から始まっている「みーなーさーんー、わーたーしーのーなーまーえーはー」というゆっくりしゃべるスピードコントロールが治療法の中心です。僕が1965年に経験した東京正生学院で教えてもらったのと全く同じ方法です。
どもりの治療法はひとつしかありません。ゆっくり話す方法だけです。ゆっくり話すか、メトロノームに合わせて言うとかです。ひどいもんでしょう。こんなもの、とっくの昔になくなっているだろうと思っていました。ところが、この方法を、2015年の今、未だにこの時代に、北米のトップクラスの大学でしています。
僕は、言語聴覚士の専門学校に行っていますが、アルバーター大学の現実を話しても、それでも、何か治療法があるはすだと期待しています。これだけ科学・医学が進歩しているのだから、どもりぐらいの治療法がないわけがないと思い込んでいるのです。楽天的な考え方をもっています。
アイスターで言語聴覚士として働いていた人の話では、15年間、治すために必死にがんばり、有名な大学の教授の治療を受けるなど、500万円も使ったそうです。その人は年収1000万円を超えるファイナンシャルプランナーだから、長年治療を受けることができたのかもしれないけれど、普通の人には、500万円も使っていられない。また、15年も諦められずに続けるのは、僕には信じられません。誰ひとり、「15年も治そうとしてだめなんだから、そろそろ諦めようよ」と言う人がいなかったことが、とても不思議です。
じゃ、何をすればいいのか。もうそろそろあきらめて、個人差に注目したいのです。理学療法士と、消防士のこの大きな個人差はどこからくるのか。吃音の悩み、影響の大きな個人差はどこから来るのか、ここに注目するのが、レジリエンスです。
今ここで、皆さんの中に、どもりで苦しんだ時代はあったけれども、今こうしてどもりながら自分なりの人生を生きているのは、こういうきっかけがあったからじゃないか、こういうことがあったから自分はここまで生きてこれたんだという、何か自分で思いつくこと、思い浮かぶことがあったら話をして下さい。
Nさん:青春時代に、彼女ができました。どもっている僕でも必要としてくれる人がいた。それが自信になりました。
伸二さん:これは他者貢献ですね。人に必要とされることが自分を勇気づけてくれます。また、重要なポストにつき、人の役に立て、周りから必要とされることで、生きる力がわいてきますね。
Aさん:成人になってから吃音になりました。大阪の吃音教室で、15年前に、伊藤伸二さんに出あって開き直れました。学生時代は吃音がなかった。それから吃音になり、それまで持っていた人生のストーリーをあきらめました。今までの思い描いていたストーリーを捨てました。捨てられたから、死のうという思いもなくなりました。
伸二さん:大阪吃音教室の人たちが、どもりながら生きているそれが見本になったのですね。レジリエンスでは、メンターといって、先輩・恩師・師匠などいわれますが、自分が目標にしたり、参考にできる人がいることを大きな要素とします。八百屋のおっさんのことばが身にしみることがあります。人がアドバイスしてくれることばが役に立ちます。
精神病院に入院していた10代の若者の追跡研究があります。退院後に立派に生活している人、だめになっていく人がいます。回復している人に共通するものは、メンターがいたからです。カウンセラーでなく、身近にある人との出あいがあり、その人が励まして、話を聞いてくれています。メンターが、人生のモデルになってくれます。
伸二さん:佐々木さんは、すごく吃る女の子でした。大阪教育大学に入学しました。僕の研究室に来ました。教員採用試験で面接に行った時、こんなにひどいどもりの人は初めてだと、教育委員会の人から言われましたが、それでも教師に採用されました。教員になって、仕事で児童相談所に電話したら、相談所が「大人のどもりの相談は受け付けられない」と言われたぐらいどもったそうです。
佐々木さんは小学生の時は、全く学校で喋らなくなりました。そのきっかけはある時音読しましたが、同じ個所を、次の人に先生が読ませました。佐々木が、頑張って音読した所は、読まなかった事にされたのです。それは屈辱でした。それから、音読も。発表もしなくなりました。周りは逃げたと思います。私はこれ以上傷つきたくないから、身を守るために、音読や発表しないと自分で決めたそうです。これはイニシャティブです。
Rさん:仕事で就職活動の支援をしています。どもりながら、大学の講師もしています。講義で「面接でうまく喋ろうと思わんでいい」「意味がわかったら、それでいい」「伝わったら、ええねんで」と、面接では自分の思いを伝えることだと言っています。私は、吃音があるから、そう言えます。そう話すと、後で一人か二人が「私もどもりがあるけど、就職できるんですね」と言いに来ます。
伸二さん:今のような吃音に向き合う態度が出来るようになった、自分の過去を振り返った時、どういうことがあったからか思いだす事がありますか。
Rさん:元々楽天的ですかね。中2の時、親友がいて、毎日2〜3時間喋っていました。「何で生きる」とか、「何で生れてきたか」とかを喋っていた。どもりながら、喋っていた。
伸二さん:関係性ですね。人間関係の基礎で、人は信用できるものという気持ちです。リジリエンスのとても大きな要素です。
Nさん:結婚して、家族ができた事が大きいと思います。子どもができたら、どもることより、家庭の方が大切です。自分はどない格好悪くてもいいと、どもりながら仕事を頑張りました。
伸二さん:モラルですね。道徳という意味でなく「よりよく生きる」意志のようなものです。先ほどの消防士も、自分はこのような仕事につき、こう生きたいとの目標があった。せっかくの一回きりの人生です。“どもりが治るのはあきらめるが、自分の人生はあきらめない”これを、レジリエンスの要素のなかのモラルといっていいと思います。家族を幸せにしたい。という思いが乗り越えていける力になっています。
(次号に続く)
【相談会に参加して・・・】
福本さん:大変久しぶりでありましたが、変わらぬ雰囲気でほっとしました。
伊藤伸二さんも相変わらずお元気そうで、お会いするだけでどもる人にとっては大木にしがみついているような安心感を持たせてくれる人だなと改めて思いました。
感じた事は、当事者はもちろん吃音の子どもを持つ親御さん祖父母の方までと多様な視点を持つ方のお話が聞けて良かったという事です。私自身悩みの淵にいた15年前はそれこそ自分の吃音の事しか考えておらず、人の言葉も耳に入らず、人生を悲観してばかりでした。ですが、今ではそれなりにまともに仕事もし、結婚して二人の子どもにも恵まれ、吃音というものをまた違う視点から見られるようにもなってきました。
Aさん 吃音というものは確かに社会生活を営む上では不便であることは間違いないですが、その経験から得られるものは強烈な苦労や苦悩はもちろんありますが、その背中合わせに生きている事の幸せを感じ取れる為の能力を養える事もあると今では思っております。私たちは、こと喋る事においては人一倍悩みますが、その他の悩みについては吃音でない方よりも耐性が強いのではないかと思っています。
Bさん 私はこれまで日々忙しくしていた事もありますが、吃音の事ばかり考えて人生を損しないよう、できるだけ吃音の事は忘れて日々がむしゃらに頑張ろうと思い、ろくに吃音教室などにも参加せずおりました。ですが、吃音になって15年たつ今でも毎日吃音の不便さには悩まされる現状で、克服には至っておりません。これはひょっとしたら吃音の問題から目をそむけて逃げているだけで、ちゃんと自分に向き合おうとしていないからなのかな?と最近そう思うようになり、今回数年ぶりに参加させていただきました。
今後私自身の為はもちろんのこと、まだ小さい子どもたちや現在吃音で悩みの淵に立っている人たちの為にも、もっと自分の吃音の問題に向き合い、この経験を活かせていけたらと願っています。また可能な限り、ほっと神戸にも参加させていただきますので、今後ともどうぞよろしくお願いいたします。